「知られざる地政学」連載(37)移民をめぐる地政学(上)
国際
いま、スーダン(人口は2024年で5100万人[OCHA])は危機的状況にある。2023年4月、まず首都ハルツームで、その後スーダン全土で戦闘が勃発した。2023年12月、国際連合の人道問題調整事務所(OCHA)の情報によると、国際移住機関(IOM)の情報として、スーダン国内で540万人以上が戦闘により家を失い、全18州の5939カ所に避難している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、同年12月11日現在、約140万人が近隣の中央アフリカ共和国、チャド、エジプト、エチオピア、南スーダンに避難している。
2024年3月には、国連は「スーダン軍と「急速支援部隊(RSF)」と呼ばれる敵対グループとの戦闘により、数千人が死亡、800万人が避難している」と伝えた。
残念ながら、スーダンの人々の惨状を知る日本人は少ない。ましてや、世界の難民や移民の置かれている状況や、世界各国の移民や亡命希望者への政策を知る人はもっと少数だろう。
問題意識
拙著『知られざる地政学』〈下巻〉の「第4章 金融」において、「ドル化と送金問題」を論じたことがある。米国は、自国通貨ドルを貿易決済通貨として世界中で使わせる体制を構築したことがそのヘゲモニーの確立に大いに役立っている。そのドル取引に対して、圧力を加えたい当事国に制裁を科すだけでなく、当事国とドル取引のある第三国の銀行や企業にも制裁を科すという二次制裁によって米国政府の政策に従わない国や企業に打撃を与えることができるからだ。
この仕組みは、「とくに中低所得国を中心に、いわゆる「ドル化」とか「ドル経済化」という現象が起こり、それが移民や出稼ぎ労働者による母国へのドル送金をもたらし、それが自国の経済成長に悪影響をおよぼすといった悪循環」を生じさせている(336頁)。こんな現実があるために、私は以前から世界中の移民や難民をめぐる諸問題に関心を寄せてきた。
その関心は2024年6月の欧州議会選に関連している。反移民政党が720議席ある欧州議会の4分の1もの議席を獲得する可能性がある。その結果、欧州全域で移民規制が強化され、移民や難民の問題がより深刻化するかもしれない。
こんな問題意識から、今回は「移民をめぐる地政学」について論じたい。とくに、参考にしたのはThe Economistに掲載された「移民が再び混乱に陥る理由」という2023年11月9日付の記事である。
移民の構造
最初に、最近の移民動向について確認しておきたい。International Migration Outlook 2023によれば、主に富裕国からなる経済協力開発機構(OECD)加盟国への移民はかつてない水準に達している。下図に示されているように、新たに600万人以上の永住移民(ウクライナ難民を除く)が加わり、OECD諸国への永住型移民は2022年に記録的な水準に達した。これを牽引したのは、同伴家族とともに人道的移民と管理労働移民の増加であった。OECD加盟国の3ヵ国に1ヵ国以上が少なくとも15年ぶりの高水準を記録し、カナダや英国など数ヵ国が過去最高を記録した。一時的な労働移動、とくに季節的な移動も大幅に増加した。留学生の受け入れ数は初めて200万人に近づいた。アメリカの場合、米国国境で追い返されたり逮捕されたりした移民の数は、2023年度(2022年10月1日~2023年9月30日)には320万人に達し、少なくとも1980年以来最多となった。
OECD加盟国への永住移民の推移(単位:100万人)
(出所)はこちら
これとは別に、ウクライナからの難民の流入がある。2023年6月現在、OECD加盟国には約470万人のウクライナ難民がいる。ウクライナからの難民の絶対数がもっとも多いのはドイツ、ポーランド、米国であり、人口比で最も多いのはエストニア、チェコ、リトアニアである(下図参照)。
ウクライナからの難民数(単位:100万人)
(出所)はこちら
移民の増加の背景には、さまざまな理由が考えられる。一般にいわれているのは、国際的な移動は広く行われているが、国際的な移動はコストが高く、厳しく管理されているため、ほとんどの移動は気候変動への対応を含めて国内で行われている。ここでは、主に、国際的な移動という意味での移民問題を取り上げる。なお、2050年までに世界銀行の六つの地域全体で、2億1600万人 もの人々が気候変動による国内移住者となる可能性がある (悲観的な参照シナリオの高水準の場合)。これは、これらの地域の予測総人口のほぼ3%に相当する(GROUNDSWELLを参照)。
「豊かな国」への移民理由には、①その平均賃金の相対的高さ、②安全性の高さ――があるだろう。OECD加盟国全体では移民の70%以上が就労しており、その数は上昇をつづけている。EUの平均賃金は2023年時点で、サハラ以南のアフリカの12倍を超えている。興味深いのは、下図に示したように、ここ数十年、富裕国の一群では、純移民が総人口に占める割合が純出生を上回っていることだ。ドイツでは人口の18%にあたる1500万人近くが移民一世であり、これは1890年のピーク時の米国よりも高い割合だ。
OECD加盟国の一部(27カ国)の純出生率と純移民率の推移(単位:%)
(出所)https://www.economist.com/international/2023/11/09/why-migration-is-in-such-a-mess-once-more
OECD諸国における亡命申請も2022年には過去最高となった。2022年にOECD諸国で新たに申請された件数は200万件を超え、これまでの最高記録となり、2015/16年の前回記録である170万件を大きく上回り、2021年の2倍となった(OECDを参照)。一方、OECD諸国における市民権取得も、予備データによると2022年には280万件となり、過去最高を記録した。
労働移民制度と政治的亡命とは、意味合いが異なる。前者は大量であり、後者は少量の人を想定している。それでも、豊かな国々は、人口動態と逼迫した労働市場に悩まされる経済のニーズと、亡命というデリケートな政治とのバランスをどうとるべきかという課題に取り組んでいる。なお、1951年の難民の地位に関する条約、1967年の同議定書、または、その両方に加盟していたのは2020年末時点で、149カ国だった。しかし、国連加盟国のうち44カ国は、これらの基本文書のいずれにも加盟していない。これらの非締約国は、中東と南アジア、東南アジアに多い。中東地域では、条約に加盟しているのはイラン、イスラエル、エジプト、イエメンのみであり、イラク、レバノン、ヨルダン、湾岸地域のほとんどの国など、主要な難民生産国および難民受け入れ国は非加盟国である(「1951年難民条約と非締約国」を参照)。
移民の経済学
移民は労働力不足を補う手段として注目されている。ただ、近年問題化している低技能・低賃金の人々の流入は先進国で大きな反発を招いている。農業や接客業など、労働者不足を声高に叫び、多くの移民を雇用している産業は、資格や経験を必要とせず、給与や待遇も劣悪な傾向がある。他方で、資格や経験を必要とする高賃金部門は、移民急増の恩恵をあまり受けていない傾向がある。その結果、低技能移民が少なくとも労働集約的な部門の所得の足を引っ張る懸念がある。
米国の研究では、2021年6月に公表された「不法移民の市民権取得は米国の経済成長を促進する」という論文がある。この時点で、1020万人の非正規移民が米国全土のコミュニティで生活し、働いているとされ、彼らは米国に平均16年間住んでいた(「連邦政府は2018年に1140万人の無許可移民が国内にいたと推定している」という情報もある)。
論文は、非正規移民が国家の社会基盤に不可欠な存在となっており、彼らに市民権を取得させることで、すべての労働者の賃金を引き上げ、何十万もの新規雇用を創出し、国内総生産(GDP)を押し上げると主張する。肉体労働や低賃金労働は移民に任せるため、地元の労働者は移民によってより良い状況に置かれ、事実上、移民はより多様な労働力を生み出し、より専門化することを可能にするというのだ。それが多くの労働者にプラスに働く。ただし、移民の結果、賃金が下落する可能性がもっとも高いのは、移民ともっともよく似た人々であり、一般的には外国人労働者の前世代である。
ただし、重要なのは、新規入国者が正味で財政に貢献するのか、それとも財政から流出するのかということだ(The Economistを参照)。高スキル労働者は、正味で莫大な財政貢献をしているが、低技能労働者の場合、この問いに答えるのは難しい。とくに、将来的な社会保障負担まで考慮すると、目先の労働力不足といった理由だけで移民を受け入れるにはリスクが高すぎる。
ヨーロッパにおける移民政策
ここでは、紙幅の関係から、ヨーロッパにおける移民政策を取り上げたい。2024年4月10日、欧州議会がEU加盟国との合意に基づき、欧州の移民・亡命政策を改革するための10本の法案を採択したばかりだからである。
2014年から2023年の間に、EUの国境フェンスの総延長は315kmから2163kmに増加した(下の図を参照)。さらに、建設途上のものもある。フェンスの人気が急上昇したのは、2015~16年にかけてのシリア主導の移民危機のときだった。パンデミック時代の規制がなくなった今、非正規移民が再び急増している。EUの対外国境機関であるFrontexは2023年、38万件の不法越境を登録したが、これは2016年以来最多であった。その多くは不法入国した者で退去命令の対象となっている。
ウクライナ戦争勃発で、対ロ警戒から、ロシアとの国境を防備する動きも広がっている。ポーランドは、2021年にベラルーシとの国境沿いに3億5300万ユーロ(約4億700万ドル)の電気フェンスを建設することを決め、2023年8000万ユーロでロシアとの国境に最新鋭のカメラと動体検知器を設置した。フィンランドは3億8000万ユーロを投じて、2026年までに全長1340kmのロシアとの国境の15%にあたる200kmをフェンスで封鎖する。
EUの国境フェンス設置と不法国境横断
(出所)https://www.economist.com/europe/2024/02/29/europe-hopes-barbed-wire-will-keep-migrants-out-it-wont
EUは「移民・亡命協定」と名づけられた計画を2024年6月に予定されている欧州議会選までにまとめるため、交渉に3年間を要しながら、2023年12月20日、EU各国は共同移民制度を見直すための重要な合意に達した。この合意を受けて、前述の4月10日の10本の法案成立に至ったことになる。
たとえば、毎年、連帯プールを設立し、すべてのEU加盟国は、移転(すなわち、国際保護の申請者または受益者が、恩恵を受ける加盟国の領域から、貢献する加盟国の領域へ移転すること)または財政的貢献を行う必要があるとする「亡命・移民管理に関する規則」が承認された。これは、EUが2016年にトルコ(60億ユーロ[64億ドル]の移民協定)と、2023年にチュニジア(10億ユーロの協定)と結んだ協定を雛形とするもので、2024年3月には、EUはエジプトに50億ユーロ(約54ドル)以上の補助金と融資を提供することに合意している。
EUに入国する条件を満たしていない人は、最長7日間、本人確認、バイオメトリックデータの収集、健康・安全チェックを含む入国前審査を受けるとする、EU国境における第三国国籍者の審査方法も決められた。6歳以降の指紋や顔画像を含む、EUに不規則入国した人々のデータは、改革されたユーロダック・データベースに保存されることも定められた。欧州議会はまた、難民または補助的保護資格の認定、および保護資格を持つ者に与えられる権利に関して、すべての加盟国が統一した基準を新たに設けることも支持した。加盟国は、EU庇護庁からの情報に基づいて出身国の状況を評価すべきであり、難民の地位は定期的に見直される。保護申請者は、申請を担当した、あるいは保護が認められた加盟国の領土に留まらなければならない。
これらの規則は2年後に適用が開始される予定だ。EU加盟国は2年以内に国内法に改正を導入する必要がある。2024年6月までに、欧州委員会は、EUと各国の行動に関するロードマップ、スケジュールなどを盛り込んだ共通の実施計画を発表する。同計画は、2026年までにすべての加盟国が新法の適用を成功裏に開始するために必要な法的・運用的能力を確実に整備するために必要なギャップと運用上のステップを明らかにするものである。
EUはすでに西バルカン半島(2022年12月採択)、中央地中海(2022年11月採択)、大西洋/西地中海(2023年6月採択)、東地中海(2023年10月採択)の各ルートに焦点を当てた四つの「EU行動計画」を策定し、これらのルートにおける集団的で実効性のある行動の道筋を示している。
新規則は、①対外国境管理の強化、②技術的に進んだ国境管理システムを導入、③2027年までに常設部隊に1万人の国境・沿岸警備隊員を配置することを含め、対外国境業務能力の向上、④海上国境における協力の改善――などの特徴をもつ。さらに、非正規移民の90%以上が、移民密入国者の助けを借りてEUに到着していることを考慮して、犯罪組織対策も強化する。
「より効果的な帰還は、非正規移民に対するEUの対応の重要な一部であり、また、無許可での入国を考える人々の誘因を減らすものでもある」という共通認識のもとで、自発的な帰還を促し、潜在的な帰還者を帰還プロセスに関与させ続けることを含め、加盟国の帰還と社会復帰を支援することでも一致している。
「知られざる地政学」連載(37)移民をめぐる地政学(下)に続く
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。