【連載】百々峰だより(寺島隆吉)

私の近況報告: 相継ぐ来訪者と研究所「花だより」

寺島隆吉

研究所の皆さん


一昨日、二人の友人が加賀からはるばる訪ねて来たので1泊してもらいました(かつて私が高校教師をしていた頃、泊めてもらったことがあったから尚更です)。
翌朝は家内が自然農法でつくっている野菜畑を案内し、毎日2回行っている百々峰の麓まで一緒に散歩してから加賀に帰ってもらいました。
二人の友人のうち、一人は私が高校教師として赴任したとき初任地(富来高校)で同僚だった西山さん(仮名)で、もう一人は富来高校から母校(羽咋高校)に異動したときの同僚だった坂藤さん(仮名)です。


坂藤さんは、一昨年12月に私がJR岐阜駅構内の大ホールで、池田としえさん(東京都日野市議会議員)と船瀬俊介さんと3人で講演したとき、わざわざ加賀市から出かけてきてくれました。
にもかかわらず、その時はゆっくり話しをする時間がとれなかったので、御詫びと御礼を兼ねて、昨年12月26日に同時発売された『コロナとウクライナをむすぶ黒い太縄』全4巻を謹呈しました。
すると、今年の4月に電話がかかってきて「ゆっくり話がしたい。ついては岐阜に行ってもよいか。
西山さんも例の四冊をいただいた御礼をかねて一緒に行きたいと言っているがどうか」と言うのです。
わざわざ加賀から列車を乗り継いで来ていただくのは申し訳ないので1泊していただきました。
同僚として働いていた間柄でしたから、酒と夕食を共にしながらの懇談は尽きるところがありませんでした。
ところが歓談しているうちに、坂藤さんが、その日の早朝にアップした私のブログ「非暴力直接行動の戦術」を読んだうえで岐阜に来ていることを知り、驚愕しました。
まさか、その日の早朝に掲載したばかりのブログを読んだうえで岐阜行きの列車に乗り込んで来てくれているとは思わなかったからです。


酒を飲みながらの歓談時には当然、同僚だったときの様々なエピソードも話題になりました。
私が石川県に勤務していた頃の教員生活については、『英語にとって教師とは何か』(あすなろ社/三友社出版)の第3部「できない英語教師の歩み」に述べてあるので、さっそく謹呈しました。
この第3部は、当時の月刊誌『現代英語教育』(研究社、今は廃刊になっている)に1年近く連載したものを再録したものです。
富来高校でも羽咋高校でも様々な事件があり、そのときの私の行動や思いもそこに書き込まれていると言うと、坂藤さんや西山さんは、ぜひ読みたいというのでプレゼントすることにしたのでした。
坂藤さんや西山さんは二人とも数学教師でしたから、この本は彼らにとっては縁のない本だと思っていたので謹呈しなかったのですが、歓談しているうちに、そうでもないことを今回あらためて発見し、プレゼントすることになったのでした。

その時ついでに、インド国籍の女性作家モハンティ三智江さん(今は一時金沢に在住)からいただいていた『コロナとウクライナをむすぶ黒い太縄』全4巻の読後感想レポートのコピーも、上記の拙著と一緒にプレゼントしました。
というのは、三智江さんは上記の本が出た直後にインドに帰国されたので、金沢に送付してあった私の本を読む機会がなく、最近、日本にもどってきてから4巻を一気に通読されたそうです。
その読後感を先日、私に送付していただいたばかりでした。
その丁寧で印象深い読後レポートに私は感激していましたから、その感激を坂藤さんや西山さんにもお裾分けしたと思ったのです。


実はここに、もうひとつの奇遇が重なっています。
というのは坂藤さんたちが岐阜に訪ねてくる二日前に、三智江さんから次のようなメールが届き、岐阜駅前のホテルのロビーで1時間以上も歓談していたからです。

<突然で恐縮ですが、明日、名鉄岐阜駅近くのホテルに泊まることになりました。つきましては、夕刻に一時間ほどお目にかかることは可能でしょうか。
お忙しい先生のこと、日程が詰まっていらっしゃるだろうと推測いたしますが、まずはご都合をお聞かせください。主目的は、美濃太田に住む元級友のお見舞いです。>

私は昨年2月に高橋徳先生の依頼で「愛知県春日井市のホテルプラザ勝川大ホールで2時間の講演」をしたとき、三智江さんも、わざわざ金沢から駆けつけていただいきました。 にもかかわらず、そのときも三智江さんとゆっくりお話しする機会がなかったのですから、喜んでホテルに駆けつけました。
1時間くらいの予定だったのですが、三智江さんからいただいた様々な質問に答えているうちに、気がついていたら90分以上も経っていたような気がします。
今から考えてみれば、「三智江さんがインド旅行に行きたくなった理由」「最近亡くなられたばかりのインド人の夫君との出会いと結婚の経緯」など、私の方からも彼女に尋ねてみたいことは一杯あったはずなのに、残念なことをしました。
私は翌朝、彼女から前日22:01着の携帯メールが届いていることを発見しました。それには次のように書いてありましたので、次回の再会時に是非いろいろ訊ねたいと考えています。

<先生、今日はお忙しい中、面談の時間を設けて頂き、ありがとうございました。私は岐阜が大好きになりました。また再訪したいです。今度は百々峰のお話をお聞かせください。>
ちなみに三智江さんは、ホテルのロビーで私と会う前に金華山のロープウェイで岐阜城まで行き、長良川の鵜飼い乗り場近くの川原町も散策されたそうです。
金沢市の観光地「東の郭(くるわ)」と比べれば小さな町並みですが、お気に召されたようで有り難いことでした。


話しがいきなり変わります。
私の主宰する研究所が運営しているサイトに『翻訳NEWS』があります。その素材情報を収集したり、頼まれた『反中国心理作戦を脱却せよ』第2巻の翻訳・校正をしたり、主として家内がやっている自然農法の畑仕事を手伝ったりで忙しい毎日です。
不思議なことですが、現職の頃より忙しいという感じです。というわけで研究所の庭が荒れ放題になっていました。

そこで坂藤さんたちが来訪する機会にと思って、庭の手入れに1日半をかけました。こんな機会でもないと、なかなか思い切って庭仕事に手を出せないからです。
そのとき偶然、赤と白の芍薬(しゃくやく)が倒れているのを見つけました。
もったいないので切り取って玄関の「一輪挿し」に生けました。それが冒頭の写真です。
私は、生け花用に特別に育てた花を花屋から買ってくるのではなく、「庭で倒れたものを生かして使う」ことにしています。
よく考えてみれば、これこそまさに「生け花」ですね。
かつてNHK{BSガーデニング」が庭を取材に来たとき、「どこにでもある植材で、どこにもない庭を造る」ことをモットーにしています」と司会者に言ったことを思い出しました。
それと私の生け花たいする考え方には、その底流にどこか共通のものがあるのではないかと、ふと思い至ったからです。
「寺島メソッド生け花教室」と名づけたくなりました。というわけで庭に咲いた牡丹(ボタン)の写真も付け足しておくことにしました。
「立てば芍薬、座れば牡丹…」という有名なことばもありますので。

本記事は、百々峰だより からの転載になります。

寺島隆吉 寺島隆吉

国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授

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