アメリカによる〝戦争犯罪〞の傷跡、タリバン制圧後のアフガンの現実

西谷文和

ゼマリさんの自宅を後に、1年半ぶりにチャライカンバーレ避難民キャンプへ。キャンプ内に住むタリバンの責任者にインタビュー。避難民はざっと1万3千人ほどで、何よりも食料が不足している。「カブール陥落後、主に欧米のジャーナリストがたくさん来たが、彼らは写真を撮るだけで何もしてくれなかった。お前は前回食料を配ってくれた。覚えている」とのこと。これでスムーズに取材ができる。

キャンプはとにかくドロドロ。雪が溶けてあちこちに泥水がたまり、何度も滑りそうになりながら進む。天井が崩落した家がある。粗末なテントシートやビニールで補強した屋根は、雨と雪の重みに耐えられなかったのだ。

避難民キャンプは雪解けにより地面がドロドロで、天井が落ちた建物も。

 

天井の崩落でヒーターが爆発。家財道具は焼けてしまった。しかし他に行くところがないので、ここで八名が寝ている。キャンプに何カ所か井戸があって、これが彼らの命綱である。雨や雪が降らなければ井戸は枯れてしまう。しかし、降りすぎると道路はドロドロになり天井が落ちる。

後日、アブドラが支援金で食料を購入して配布した。そして天井が落下した2つの家族に丈夫なテントシートを買うお金を配った。「助かった! 日本のみなさんありがとう」。感謝の言葉を述べる住民をアブドラが撮影。

避難民キャンプの入口で遊ぶ少女

 

2月16日、待望の取材許可が下りてインディラガンジー子ども病院へ。先週は許可なしに街を取材していたノルウェー人ジャーナリスト3人が捕まり、一昨日は17名の外国人が5つ星ホテルで拘束された。いずれもアメリカのスパイ容疑だ。だから取材許可がないと何もできない。病院には病院のタリバン、学校には学校のタリバン、避難民キャンプにはキャンプのタリバン…。行政がバラバラなので、そのつど許可証が必要になる。

・病院では前政権より薬や食事が充実していた

子ども病院に入る。栄養失調の子どもが多数。これは前政権でも同じこと。生後4カ月の赤ちゃんが点滴を受けている。

驚いたことに、前政権よりも薬や食事が充実していて、なんと栄養補助食まで完備している。もともとこれくらいの予算はあったのだ。しかしガニ政権は汚職で腐敗し、各国からの支援金を政府高官が盗み取っていた。タリバンは「良くも悪くも清潔」なので、末端まで援助金が行き渡って改善されているのだった。病院の給食に肉料理が出ている。かつての「ポテトとご飯だけ」が「野菜と肉とご飯、食後にフルーツ」になっている。

やけど病棟へ。大火傷の子どもが多数。①熱湯をあびる②パン焼き釜に落下する③安全装置のない粗末な暖房器具に触れてしまう、が主な原因だ。熱湯を頭から浴びた幼児を撮影。貧困家庭には台所もテーブルもないので、地面に穴を掘って薪で湯を沸かす。夜は寒いので、乳幼児が火元に近づいてくる。そしてヤカンをひっくり返して熱湯を浴びてしまうのだ。

治療薬があるので何とか危機は脱している。前政権時代は、薬はもちろん、ガーゼも粉ミルクも何もかもが不足していた。病院長が「緊急手術用の薬が手に入らない。援助してほしい」と申し出てくる。薬のリストを作ってもらい、後日アブドラが購入して、配布することにした。一番必要なものは発電機だという。手術時に停電すれば一大事。しかし自家発電機は高価なので購入できないという。次回は発電機を支援できたらいいが。

2月17日、イブン・スーナ麻薬患者更生施設へ。世界の90%以上のケシを栽培しているアフガニスタン。カブールの街は麻薬常習者でいっぱいだ。彼らは主にカブール川の橋の下や道路沿いの側溝の中で暮らしている。

麻薬更生施設を警備するタリバン兵士

 

「ケシ栽培で金を儲けて武器を買っている」。タリバンは西側政府からこのように批判され続けてきた。政権をとった今、その汚名を晴らすべく麻薬中毒患者一掃キャンペーンに取り組んでいるのだった。

具体的にはタリバン警察がカブール川の橋下に住む中毒患者を一斉摘発してこの場所に連行し、解毒させて職業訓練を施したうえで社会復帰させていくという計画だ。しかし強制収容したものの、解毒させる医師や看護師、職業訓練する教師などに給料が支払えないので、単に収容しているだけになっている。「日本政府の援助で、職業訓練まで行なえるようにしたい」。施設の責任者がカメラの前で訴える。

施設では朝礼の真っ最中。タリバンの施設長が長い訓示を垂れる。数百人の患者たちが中腰になって聞いている。朝礼後に18歳の青年にインタビューしたが、支給されたのが薄手の収容服だけなので、毛布と厚手のセーターがほしいと訴えた。カブールの冬は寒く、収容施設に暖房はないようだ。

麻薬更生施設の患者たちの朝礼

 

2月18日、最終日にようやくタリバン軍の取材許可が下りた。ヤルモック軍事基地への一本道はコンクリート壁で覆われている。何カ所かの鉄の門扉を通る。タリバン特殊部隊の兵士が鋭い目で私たちを観察している。基地の責任者にインタビューし、兵士の撮影はNGだったが、武器の撮影許可をとる。

基地内部には大量の装甲車と戦車。兵士が持っているのはM16ライフルで、装甲車に備え付けてあるのがM22マシンガン。これらは全て米軍が使用していたもの。2015年に治安権限が米軍からガニ政権に委譲される。その6年後、2021年8月15日にガニ大統領が逃亡し、あっけなくカブール陥落。アフガン軍兵士は武器を捨てて逃げたので、米軍の武器は全てタリバンの物になった。

当初は「タリバンを掃討するため」に使われていた武器が、今や「タリバン政権を支え、人々を弾圧するため」に使われている。これが「テロとの戦い20年」の無残な結末だ。

私はロシアによるウクライナへの侵略戦争とこのアフガニスタン戦争はよく似ていると考えている。旧ソ連がアフガニスタンに侵略したのが1979年。この戦争が大きな原因の一つで、12年後にソビエト連邦は崩壊し、その結果バルト三国やウクライナを失った。

プーチンは「大ロシア主義者」で、かつての版図を取り戻そうとして無謀な戦争に踏み込んだ。アフガニスタンへの侵略も「ソ連の同盟国を維持しようと」して無謀な戦争に踏み込み、撤退。その後9・11テロが起きて「アメリカの正義」をかざしたブッシュが無謀なアフガン戦争に踏み込んだ。

アフガン・イラクで疲弊したアメリカはイラクの民主化に失敗し、アフガニスタンでは元のタリバン政権に戻してしまった。つまり米露は自分たちの都合で一方的な戦争を始めて、結局は自国の国力を大きく削いでしまった。その意味でアフガン・ウクライナ・ロシア・米国は全て戦争敗者といえる。

唯一の勝者は武器を売り、石油高騰で巨額のマネーをつかんだ軍産複合体といえるのではないだろうか。

(月刊「紙の爆弾」2022年5月号より)

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西谷文和 西谷文和

大阪府吹田市役所勤務を経て、フリージャーナリスト。NGOイラクの子どもを救う会代表。新刊『自公の罪 維新の毒』(日本機関紙出版センター)。

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