【連載】真田信秋の多時争論

連載:日本国独立宣言論 私は独立を宣言する!(15)

真田信秋

前回からの続き


 

□おわりに 国民のための国をつくる

・大いなる独立 あなたは世界を変えられる

ここまで、本書を読み進めて頂き、本当にありがとうございました。

私は、本書を書いている現在、46歳であり、本書を書き上げる時点で、47歳になる一人の人間である。和歌山県の小さな町に生まれ、教師の父と専業主婦の母に育てられた普通の家庭に育った人間である。特別な教育を受けてもいない。小柄で不器用で、小さい頃は、時折、喘息と皮膚炎に苦しんでいた人間である。

それでも、子供の頃は、人一倍外で遊ぶことは好きであり、ザリガニ取りの名人だった。野山を駆け巡り、海や川で生き物を捕まえることが大好きだった。子供は、誰でも太陽のような心を持っていると、私は思う。自分が世界の中心であることを知っているからである。私も中学生になってからも、まだ、自分が世界を変えられることを信じて疑わなかったと記憶している。それでも、やはり、私は、一人の普通の人間であったと思う。変わっている点としては、私は幼いころから、「世界はどのようにできているのかに興味を持ち、どうして、人は一人一宇宙を持っているのか」ということを、言葉に上手く表現できないまでも、真剣に寝る前に、考えるような子供であった点である。

2017年に、薬を飲むのを一切やめるまでは、大人になってからも皮膚炎に苦しめられていた時期もあった。薬を飲むことを、一切やめた時期と連動して、テレビを見ることも止めた。そのこともあって、コロナ茶番前に、自己脱洗脳が、ある程度できていたことは幸運であった。今では、心身ともに排毒が相当進んだとみえ、体調も良好である。

私は、テレビ好きであった家族の影響で、毎週土曜日には、暴れん坊将軍を見て育った。その実像はともかく、自分が生まれ育った和歌山県の紀州藩から、徳川宗家の第八代将軍となった徳川吉宗を描いたフィクションであるドラマに少なからぬ影響を受けたように思う。私は、それ以外にも、多くの時代劇を見て育った。「たとえ、蟷螂の斧であっても、許せぬものは、許せませぬ」という言葉も中学校時代に時代劇で見て、その言葉は、今も私の中に残っている。2024年1月に参加した石濱哲信先生の勉強会において、石濱先生も、「蟷螂の斧」という言葉を使われていた。

正義が勝つとは限らない世の中であるとは思うが、私は正義が勝つ時代劇を見て育ったのである。そして、ご公儀(公僕)は正しいことをするもの、正しいことを、すべきものであると考えてきた。そうして、私自身も公務員になったわけである。そのまま公務員を続けていたら、私は、今のように東京に住むこともなく、いろいろな方々と出会うこともなく、和歌山で暮らし続けていたのかもしれない。

しかし、やはり小さいころから変わった子供であった私は、たった2年で公務員を卒業し、このような思考実験を一冊の本にしたいと思うようになる人生を歩んできたのである。自分に結婚などできるものなのかと思うこともあったが、遅めの結婚をして、二人の子供がいる身である。私は、もう若くもないが、まだ、これから50年ほど生きる予定である。

今この時に、60代、70代で筋の通った言論をされている方々の言葉や思いを、私はできるだけ吸収して、私が、後世に伝える役割を果たせたらと思うことがある。それは、私の正直な思いである。出かけて行って、その方々から知識や思いを、できるだけ受け取りたいと思っている。

バタフライ効果という言葉がある。
「ブラジルの蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こす」という概念である。小さな思考、小さな活動が、やがては大きなうねりとなる。そのような大きなうねりも、一人一人の思考と行動の連鎖によるものである。雨粒の一滴が、やがては川となり、大海に通じるように、最初は全て小さなものから始まるのである。

本書で、私は、私の年齢以上の方々のうち、生物兵器ワクチンを接種していない賢明な600万人が力をあわせれば、そこから2割の方々も巻き込み政権奪取は可能であると書いた。もちろん何回か接種していても、その後、本当に目覚めることができている方々も同志であると思う。私のひそかな日本国独立宣言論という考え方や、日々の情報発信が、少しでも、日本や世界を変えることや、日本の国をあたかもゼロから創るような原動力になればと良いと考えている。

微力ではあるが、私は、できることは全て行うつもりで、この書籍を書いてきた。自分たちの子供や、その子供の世代が、金のためだけに起こされる戦争で、無意味に戦場に送られることは許しがたい。何もしていないのに、東京大空襲のように、原爆のように突如、家族や、家も奪われることを、私は絶対に許せない。自分の子供に限らず、まだ小さい日本の子供たちが、猛毒の新型コロナワクチンや、HPVワクチンという生物兵器で毒を埋め込まれることは許しがたい。私自身が、地方の田舎で育ったにも関わらず、喘息に苦しみ、重度の皮膚炎に苦しんだのは、おそらく子供の頃に打たれたワクチンのせいだろうという思いが、今は確信になっている。

今、ここで私たちが、独立宣言をしたように、日本人は江戸時代まで独立を保ってきた。そして、敗戦後も、独立のために戦ってくれた政治家や行政官は確かに、存在したのである。日本にも、独立の気概を持った政治家がいたことを、改めて理解するために、孫崎享先生の戦後史の正体より、再び引用させて頂く。

「多くの政治家が「対米追随」と「自主」のあいだで苦悩し、ときに「自主」 路線を選択しました。歴史を見れば、「自主」を選択した多くの政治家や官僚は排斥されています。ざっとみても、重光葵、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、細川護熙、鳩山由紀夫などがいます。意外かもしれませんが、 竹下登や福田康夫も、おそらく排斥されたグループに入るでしょう。」

このように、自分の政権を長引かせたいということなど考えずに、日本の独立のための行動をとった政治家は存在しているのです。私たちは、政権交代が起こった時に、政治が変わることを期待した。そして世の中が変わることを期待した。しかし、売国政権が長期政権となるのとは裏腹に、現状を変えようとした政権は短命に終わるのが常だった。それも、ごたごたが発生して、短命に終わった程度の情報しか、我々には知らされなかった。そして、国民は、また政治に失望し、政治的無力感に苛まれてきた。これが政治的無関心を増大させる一因にもなっていることは間違いがない。

「何をしても無駄。政治に期待しても無駄である。どうしようもないのだ」

そのように、政治に対する思考の型にはめられていく。そうして、より、政治と国民の分断が深刻化することで、政治が国民の手から遠ざけられる。これこそ、民主主義を形骸化させるために行われてきた、愚民化政策の負の循環であり、意図的に政治的無関心を創出するためのプロパガンダ政策の結果である。

敗戦から続く、いや、遡れば明治維新から続く、みじめな属国状態を変えようとしていた本物の政治家がいた時に、少なからぬ国民が、彼らを本当に理解し、もっと力強く支持していれば、彼らは、もっと戦えたのではないだろうか。私たち国民は、本当の政治家を見極めるために、直接彼らの声を聞きに出向き、そして彼らを本気で応援すべきだったのではないか。そして、政治家も国民に対して、直接語り掛けるアプローチを、より頻繁に、より柔軟に行うべきだったのかもしれない。お互いの距離を縮めて、主体的国民と、本物の政治家が一体となる必要がある。

コロナ茶番が捏造された暗黒の3年間において、私に刺激を与えてくれたのは国会議員ではなかった。むしろ地方で政治を担われている。谷本誠一先生であり、池田としえ先生であり、竹原信一先生などの情報発信者であった。政治家に限らず、終始一貫して、真実を伝えてくれていた大橋眞先生であり、細川博司先生であった。そして、本書に、名前を上げさせて頂いた方々である。ワクチン接種をされながらも、その後、自己脱洗脳を行った原口一博先生も真剣に戦っており尊敬に値する。

政治的無関心は、国民(市民)と政治家の分断によって起こるものである。適切な代議がなされていないということは、民主主義が存在していないということでもある。

政治家が、国民の意思をダイレクトに代議するためには、政治家による国民への情報の出し方を変えるだけではなく、政治家が国民から情報を取りながら、相互に協議することが重要である。

そのことが、独立宣言を行う主体的国民の数を広げることにつながり、そして、その流れが、日本国民の集合的意識を高めることにつながる。そして、それにより、権力者が、簡単にはつぶせない力になるのである。このことは、政治を変えるためという目的は、もちろんのことであるが、加えて、簡単にはつぶせない力が広がることで、お互いに身を守るということも意味している。

私たちは、政治家に勝手に期待するだけではなく、自分たちと一体の政治家を生み出し、その政治家を、責任をもって支えることで、自分たちが政治を担うものとして、この国を独立した国に作り直すのである。自分たちが主権者として政治家になる。もしくは、自分たちの生み出した政治家と一心同体となり、政治を執り行い、行政を運営するのである。

自分たちが、主権者であるということを常に意識して、希望を捨てずに、楽しみながら生きていけば良いのだと私は思う。

「私は独立を宣言する」
「そして私は、日本国の独立を宣言する」

この宣言をもって、なにものの意思も確認する必要がなく、私は独立を達成している。

そして、私たち、主権者の総意として、日本国の独立を、今、ここで宣言するのである。

真田信秋 2024年1月30日
47回目の誕生日に記す。

 

次回に続く

<連載:日本国独立宣言論 私は独立を宣言する!(真田信秋)は、毎週土曜日に公開します。>

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真田信秋 真田信秋

真田信秋 ニコニコ動画、ニコニコチャンネルを中心に、多事総論チャンネルを展開中。 1977年生まれ、和歌山県田辺市出身。2004年より東京在住。 地方行政機関、民間企業10社以上の幅広い参画歴を持つ。 アマゾンキンドルにて電子書籍も公開している。 コロナ茶番前より医学不要論に習い、2017年10月より薬を一切飲んでいない。 ますます悪化する属国状態を憂え、国民、一人一人が独立宣言を行うことの結果として、国民総意の独立宣言を行う「日本国独立宣言」を唱えている。 独立言論フォーラム一般会員、日防隊サポーターズ、チーム日本一般サポーター。 オールジャパン平和と共生、日本列島100万人プロジェクトの趣旨に賛同するものである。

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