インド総選挙、モディ首相3期目も与党が単独で過半数割れ(149)
国際(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2024年6月14日】4月19日から6月1日(44日間)にわたって7回に分けて行われたインド総選挙は、世界最大の民主主義国家で有権者(満18歳以上)が約9億7000万人(総人口約14億4000万人)ということで世界中から注目された。
与党連合率いるインド人民党(BJP)は63議席減で過半数割れ、圧勝の予想は外れた。2002年のグジャラート騒動時の州首相だったモディは、2000人以上のムスリム殺戮を看過した「黒歴史」があり、ヒンドゥー偏向が裏目に出たか。
投票所が100万カ所以上、電子投票機が550万台近く、作業員、警備員が1500万人と大掛かりな5年に一度の「祭典」は、日本の主要メディアでも取りあげられ、関心の高さを示した。折しもミッドサマー、記録的な熱波の中、全土(28州8連邦直轄領)で開票が進み、6月4日に結果が出た(投票率は66.33%で、前回2019年時より1.07%下がった)。
ロクサバ(Lok Sabha、連邦議会下院)の543議席(過半数は272議席)の内訳は、与党第1党のインド人民党(Bharatiya Janata Party、BJP)が240議席(前回選挙時の303議席より63減、ただし、今回の選挙前は290議席)、最大野党のインド国民会議派(Indian National Congress)が99議席(47増)、サマジワディ党(Samajwadi=社会党)が37議席(32増、野党連合)、全インド草の根会議派(All India Trinamool Congress、TMC)が29議席(7増、野党連合)、ドラビダ進歩党(Dravida Munnetra Kazhagam、DMK)が22議席(2減、野党連合)、ジャナタ・ダル(Janata Dal)が12議席(4減、与党連合)、庶民党(Aam Aadmi)が3議席(2増、野党連合)、その他地域の小党となっている。
投票前の予想では、与党連合・国民民主同盟(NDA、National Democratic Alliance、BJP軸の39党)の圧勝と目されていたが、BJPは単独では過半数割れ(240議席)、連合で400議席以上をめざしていたが、300議席にも及ばなかった(293議席)。
対する野党連合(37党)・インド国家開発包括同盟(INDIA、Indian National Developmental Inclusive Alliance)は、最大党のコングレスが47議席増と100議席に届く勢い、連合で234議席の快挙を成し遂げ、モディ一強と我が世の春を謳歌した与党の権勢に翳りが見え始めた。地方の小党との連携で政権維持はかなったものの、これを受けてインド株は今後の政策の不透明性を反映し暴落した(4年間で最悪、6%近く急落)。
与党の不振の原因のひとつに、経済格差や若者の失業率の高さなどが挙げられているが、これらは今に始まったことでなく、私が現実にインドに暮らした体験から率直に言わせてもらうと、締め付けが厳しくなったこと、管理体制強化の独裁的傾向が強まったことが裏目に出たのではないかと分析している。
再起を賭ける名門政治家一家の後継者、最大野党の国民会議派のラフール・ガンディー。政敵モディを糾弾し続け、今般100席に届く快挙を成し遂げた。
対外的には、国際社会に占める大国インドの牽引力をアピールし、グローバルサウスのリーダーとして注目されていたが、内政面では経済改革の呼び声高しといえども、実態は繁栄とはほど遠く、インフレで物価高騰と、庶民の生活は厳しい。
政策面でも、廃貨などの失策(2016年500・1000ルピー札を闇金撲滅の名目で予告なしに廃絶し、市場を大混乱に陥れたほか、2023年にも2000ルピー札を廃止)、ヒンドゥー至上主義の理念のもとの宗教上の不平等、反対派への弾圧・言論統制など、「インドのヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945)」と悪名高いモディ(Narendra Damodardas Modi、1950年生まれ、73歳)は、世俗主義の前コングレス政権と180度転換、排他的な強権政治を敷いた。
国民識別番号制度、アーダール(Aadhaar)カード(インド版マイナンバーカード)を全土に普及させたのもモディで、近年、外国人は外貨を購入できない制度まで打ち出し、私のような在留邦人は困っている。汚職三昧だったものの、前政権の方が自由で融通がきいた。
インド独立後の初代首相ネルー(Jawaharlal Nehru、1889-1964)に始まる、名門政治家一家も地に落ちたもので、暗殺されたラジブ(Rajiv Gandhi、1944-1991)の長息ラフール(Rahul Gandhi、1970年生まれ、53歳)はカリスマ性と手腕に欠ける。むしろ、妹のプリヤンカ(Priyanka Vadra、1972年生まれ、52歳)の方が暗殺された祖母インディラ(Indira Gandhi、1917-1984)似で美人、カリスマ性がある。ともあれ、クリーンなイメージの叩き上げ首相モディの絶大な人気には叶わない。ラジブのイタリア出生未亡人ソニア(Sonia Gandhi、1946年生まれ、77歳)も齢(とし)を重ね、引退同然だ。
宗教・民族・言語が多様なインドを、強権でひとくくりに縛りつけようとすると、どうしてもきしみが生じる。議席数が激減したのは、貧困層が集中するイスラム教徒の不満が噴出したものだろう。コングレスは、異教徒共存、貧困救済が党是、そういう意味でも新自由主義を標榜する左派に、保守右派から票が流れたと言える。
ヒンドゥー至上主義の理念のもとに、1992年ヒンドゥー暴徒によって破壊されたモスク(Babri Masjid)跡に、悲願のヒンドゥーテンプル(Ram Mandir、2024年1月22日開院)もアヨードヤ(Ayodya)に再建、黄金尽くしの贅を凝らした内装は日本円にして300億円以上もの建築費用を要した。
24年間君臨したオディシャ州首相ナビーン・パトナイクの退陣、5年後に82歳になるナビーンに復帰はありえるか。独身のため、直属の後継者はおらず、引退も囁かれる選挙後だ。
500年前、イスラムの侵入によって破壊されたラム寺院(跡地にモスク建立)をラム神の生誕地に再建することは、BJPの大事な選挙公約のひとつでもあった。しかし、30年に及ぶ法廷闘争の末にゴリ押しとも言える強行突破は、14%いるムスリムの反感を招いたとも言える。強権下押さえつけられ、声が出せない分、不満がくすぶり、結果に如実に顕れたと言えよう。
モディ政権に望みたいこと。異教徒も、敵対視せずに、全インド国民として包括し、もう少し寛容になってもらいたい。外にばかりいい顔をせず、内政の問題に目を向けて、経済改革が上滑りになることなく、実質的にあらゆる階層に恩恵が行き渡るべく務めてもらいたい。貧しいチャイ売りの少年出身だった、叩き上げの首相、底辺から国のトップにのし上がったモディだけに、宗教的狭量さは捨てて、全国民の頼れる父、メシアであってもらいたい。
〇ナビーン、オディシャ州首相、25年目の悪夢、まさかの敗北!?
全土総選挙とともに、オディシャ州でも州議会選挙が開催された(ほかアルナーチャル、アンドラプラデシュ、シッキム州でも州議選同時開催)。6期目をめざす与党ビジュ・ジャナタ・ダル(Biju Janata Dal、BJD)総裁、ナビーン・パトナイク(Navee Patnaik)は、当選すれば、全土最長チーフミニスターの偉業を達成するはずだった。州民の誰もが、再選を信じて疑わなかった。が、蓋を開けてみるとー。
なんと、2選挙区から出馬して、1区(Kantabanj)がまさかの敗退、1998年来連勝し続けてきた記録が破られた。もう1区のヒンジリ(Hinjili)地区からは当選し、州議員席は維持したが、全147議席中、BJDは51議席(61減)、これに比して、BJPが78席(55増)、下野に追い込まれる予想外の顛末に。
州民はナビーンの敗退に大ショック。実は私は、ナビーン連投間違いなしと思い込んでいたため、ネットで当たりもしなかった。そしたら、息子からWhatsAppで、ナビーンが負けた、大ショック、オディシャの未来は暗いと、メッセージが来た。えーっ、まさか?さすがに唖然。不正選挙、中央のBJP政権の差し金かと、疑った。
電子投票制だが、文盲の人もわかるように党のシンボルが、たとえば縦長の電子投票機に、BJDならほら貝、BJPなら蓮、コングレスなら右手という風にボタンの横に絵柄があり、一目瞭然、押して投票する仕組みになっている(投票後は左人差し指の爪に青インク)。が、兼ねてより不正が取り沙汰されており、原初の紙投票に戻すべきとの運動も野党側から起こっていた。ナビーンが負けるなんてありえない、というのが私の第一印象、人為的な操作があったとしか思われない。
連立しようにも、敵対党のコングレスしかいないし、昨日の敵は今日の友で仮に結託したとしても14(5増)議席しかないので、独立候補を入れても、BJPの78には届かず、野党に下がるしかない。
ちなみに、プリー(Puri)地区もBJP、個人的に初のBJP州政権には何も期待しない。プリーのシンボル・ジャガンナート(Jagannath)寺院周辺の再開発、ヘリテッジコリドー(Heritage Corridor)はどうなるんだろう、あと我がホテル(Hotel Love&Life、C.T.Road、Puri)の建つメインロード、チャクラティルサ(Chakratirtha)ロードの拡張工事は?ナビーン自身、やり残したことはいっぱいあったはずだ。
ナビーンさまぁ、寂しいよーっ、在留邦人の私ですら、ショックを受けてるのだから、州民は何をかいわんや。正直でクリーンなイメージの辣腕政治家、オディシャを今ある発展へと導いた。パンデミック時も、見事な舵切りで至難を乗り切り、全土的にも評価された。
しかし、彼の周りの大臣たちは汚職浸け、頂点に立って光り続けるトップの周りで私腹を肥やすのみの無能ぶりを晒し、各地区民はさすがに辟易、アンチ在職に傾いたものだろう。
ナビーンの罪は……。王座に胡座をかき過ぎ、つい油断したこと。何事も、未来永劫には続かない。気を緩めず、今少し緒を引き締めて、敵を見据えて対処、警戒を怠らなかったら、あるいは事前に連立の道を探っていたなら、安泰だったはず、6期連戦の偉業、最長州首相が誕生していたかもしれない。過去BJPとも連携したことがあったのだが、単独過半数を獲った頃から分かれ、一党独裁制に入っていたのだ。
寂しい、ひたすら寂しい、首相になっても、モディに遜色は取らなかったろう。むしろ、公平ないい統治を敷いたかもしれない。ナビーンがパンデミック時首相だったら、世界ワースト(2021年5月)は免れたかもしれない。
惜しい、なんとしてでも惜しい。100年に1度の逸材、こういう政治家はそうそういまい。BJP政権の前アタリ・バジパイ(Atal Bihari Vajpayee、1924-2018、首相就任期間は1998年から2004年)首相も、the right man in the wrong partyと言われた、公平な全国民的英傑の名首相だったが。
人民に愛されたナビーン、24年後の退場を惜しむ声は止まない、オディシャは王座の下の絨毯を引き抜かれ転落したキングを愛おしみながらの、政界激震渦中にある。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)
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作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。