【コリアン・ジェノサイド/裕仁最初の犯罪を問う(2)/前田朗(朝鮮大学校講師)】
社会・経済政治 関東大震災朝鮮人虐殺から100年、ジェノサイドという言葉が使われるようになりました。ジェノサイドが事件の本質を示すものと理解されるようになりました。
しかし、言葉を変えただけでは意味がありません。
ジェノサイドと戒厳令の関係を見てみましょう。戒厳令について従来、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監に焦点が当てられました。
2人が戒厳令積極論者だったからです。同時に最高責任者としての摂政裕仁に焦点を当てる必要があります。
なぜかこの点が全く議論されていません。
9月2日の戒厳令は「行政戒厳」であったことが強調されますが、それで摂政裕仁の責任が免除されるはずがありません。
天皇に統帥権があり、陸海軍全体が天皇に服属します。
戒厳令下では戒厳司令官が指定されます。国内法上の責任者は福田雅太郎関東戒厳司令官です。
摂政裕仁の下での責任者という意味です。
戒厳軍が犯罪を行えば、まず実行者、次に直属上官、さらには関東戒厳司令官に上官の責任を論じることになります。
頂点に天皇(摂政)がいます。ただ国内法上は摂政裕仁の責任は問われません。
大日本帝国憲法では天皇は神聖不可侵だからです。
しかし国際法上は摂政裕仁について責任を論じる余地が生じます。
ジェノサイドと呼ぶ意味はここにあります。
9月2日の出来事をどのように理解するべきでしょうか。
土田宏成によると、戒厳令発布に至る過程は次の5段階です(土田宏成「関東大震災の政治と外交」『歴史評論』881号、2023年)。
(1) 9月2日午前9時、閣議が開催され、非常徴発令と臨時震災救護事務局の設置を決定しました。
この時点で政府首脳は戒厳令の適用に慎重でした。
(2)枢密院会議を開催できないため、浜尾新枢密院副議長や伊東巳代治枢密顧問官を訪問して、個別に了解をとりつけました。
(3)内田康哉臨時首相と水野内相が摂政裕仁に拝謁し、12時頃、非常徴発令と臨時震災救護事務局の設置につき裁可を得ました。
(4)官邸に戻った内田臨時首相は戒厳令の必要性を力説して、閣議決定しました。
(5)内田臨時首相は再び摂政裕仁に拝謁し、12時45分頃、戒厳令の適用について裁可を得ました。
その後、午後4時に山本権兵衛の組閣が完了して、山本内閣が成立しました。
午前の閣議では政府首脳は戒厳令に慎重でした。12時頃、非常徴発令と臨時震災救護事務局の設置につき摂政裕仁から裁可を得ました。
そして午後の閣議で内田臨時首相が説得して、戒厳令を閣議決定しました。これまで大江志乃夫、松尾章一、土田宏成ら歴史学者は戒厳令発布を、もっぱら山本内閣の成立時期との関係で議論してきました。
なぜでしょう。
摂政裕仁の関与の意味を論じるべきではないでしょうか。
「週刊MDSの2024年02月09日 1808号の転載」
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(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。