【コリアン・ジェノサイド/裕仁最初の犯罪を問う(8)/前田朗(朝鮮大学校講師)】
社会・経済政治前回までの要点は次の2つです。
第1に9月2日、摂政裕仁は、朝鮮人暴動のデマを唱えた水野内相らの言を受けて戒厳令発布を裁可しました。戒厳令が朝鮮人虐殺を加速させたことはよく知られています。デマが判明した後も戒厳令を撤回しませんでした。デマについて責任追及をした記録はありません。
第2に戒厳令下、陸軍法務官が神奈川県横浜で「朝鮮人犯罪」を調査し、朝鮮人犯罪ではなく「朝鮮人虐殺」の証拠を発見しました。法務官が報告書を戒厳部に提出するや、翌日、摂政裕仁の側近である侍従武官が横浜に飛んできて「聖旨」を伝達しました。その内容は不明ですが、聖旨を受けた法務官は戒厳部で長時間の打ち合わせをすることになりました。その後、戒厳部及び政府は朝鮮人虐殺をもみ消しました。
以上の2つから、摂政裕仁には関東大震災朝鮮人虐殺の発生と事後処理の両方に関与したことが明らかです。虐殺そのものではありません。虐殺を誘発・助長させたこと、及び虐殺をもみ消したことについて責任を論じることができます。
ここで参照するべきは上官の責任の法理です。上官の責任の法理は一般には知られていないかもしれませんが、国際法では良く知られた考え方です。戦争犯罪やジェノサイドを裁くための国際刑事裁判所規程にも明文規定があります。
第2次大戦時の山下奉文事件をはじめとするマニラ軍事法廷判例は有名です。フィリピン方面軍最高司令官だった山下奉文は「マレーの虎」の異名で知られます。山下は指揮下にある一部隊に部分的撤退を命じましたが、命令に反して撤退が行われず、山下司令官が山岳地帯に孤立したため、他の司令官との情報伝達ができませんでした。それゆえ自分の部隊に大規模な犯罪の実行を許してしまいました。自分の部隊を統制できなかったことから監督義務違反に問われました。軍事法廷で死刑判決が下され、1946年2月23日、山下は処刑されました。
第1次大戦後のライプチヒ裁判でも、第2次大戦後のナチスドイツに対する軍事裁判(最高司令部事件、人質事件、マイヤー事件)でも、部下の犯罪について軍司令官に責任を認めました。1990年代以後の旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷でも同様の判決が相次ぎました。1998年の国際刑事裁判所規程に集約されました。
上官の責任とは、ジェノサイドや人道に対する罪等について、自分の命令・監督の下にある軍隊が犯罪を行ったこと、適切な指導監督が欠如していたことを条件として、部下が犯罪を行っていることや、行おうとしていることを知っていたこと、又は犯罪が行われたのに、その防止や処罰のために必要な措置をとらなかった場合、上官に責任を問う法理です。
関東大震災ジェノサイドについて摂政裕仁に上官の責任の法理を適用することができるのではないでしょうか。
「週刊MDSの2024年05月17日 1821号の転載」
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(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。