【特集】沖縄の日本復帰50周年を問い直す

沖縄を戦場にさせないために私たちに何ができるか?(1)

与那覇恵子

土地規制法、警察法改正、経済安保法案など、監視社会、物言えぬ社会づくりが進行し戦争準備法が整備され続けていることに、強い危機感を感じる日々だ。安倍晋三元首相が切望し、9年の長期政権で準備してきた「戦争のできる国」への総仕上げの日々である。そして、それは、南西諸島が自衛隊の要塞と化し台湾有事を口実とした対中国戦争の戦場となる可能性が高まっていることを示している。

そのような状況で、山城博治氏が述べた2つのコメントが印象深い。一つはすでに何度か言及したが、大城立裕氏の著書『亀甲墓』を引用し「ある日突然、どろどろ、どろーんと音が鳴って、何だ?何だ?といううちに戦争が始まった。一般市民からするとそんなものかもしれない。戦争が来るという実感はない。持てない、持たさない、意識的に報道もさせないかもしれない」と述べた。

A large turtleback tomb and a smaller tomb right next to it on Okinawa.

 

確かにそうである。テレビはニュースや娯楽番組を流し続け、映画が放映されショッピングを楽しめる日々。そのような日々に、近づく戦争の危機を実感することは難しい。ある日突然、繰り返されることが当然だと思っていた日常が壊され戦争が始まる。ウクライナの人々が体験したように。

もう一つ印象に残った発言は「識者の方々が迫り来る戦争の危機を口々に述べるが、誰もそれをどう防ぐかについて述べない」との指摘だ。確かに、現状を分析し危機を知らせる識者の役割は貴重だが、現実に戦場となるとされている沖縄の私たちが、では、どうすれば被害者にならないで済むのか、どうすればこの戦争を防げるのか、それこそが求められているにも関わらず、その答えを得るのは困難だ。

状況を作り出している張本人が世界を牛耳る米国であり、その隷属国家日本であるという、二重権力構造の前に弱者である沖縄の私たち市民に何ができるのか、である。

私たち市民が明白にやるべきこと、やれることは、戦争に向かう日米両政府の政策に同調しないということ、自分たちの命を守るため、両政府の政策に対してNOを突きつける、声をあげ抵抗することだ。そのためにまず必要になることは、今何が起こっているかの現状を認識することである。問題を認識できなければ、やはり、「ある日突然」になってしまう。

今、沖縄の周辺で何が起こっているかの現状認識に、実は、遠くで起こっているウクライナ戦争の本質を認識することが必要だ。しかしながら、ウクライナ戦争に関する日本のマスコミ報道や大半の人々の反応を見る限り、この戦争の本質を捉えているとは言いがたい。

端的に言って、これは米国(あるいは米国中心の軍産複合体)が自国の覇権を守るために起こした戦争だという認識があれば、ロシアとの戦争の次に中国が視野に入っていると当然考えなければならない。現在の日本政府の姿勢はどうなのか?ロシアのプーチン大統領を悪として非難しロシアを敵視、NATOと協調し、ウクライナを軍事的に支援、ロシア政府関係者を追放する、などのウクライナ戦争対応である。

それと共に、戦争準備法を整備し、核兵器配備やその使用を論じ、敵基地攻撃の選択肢を入れるなど、ウクライナ戦争を利用してさらに、中国敵視を強め、台湾有事を口実とした戦争準備に前のめりである。ウクライナが次の台湾有事、沖縄の戦場化であることを考えた場合、その問題を促進するのではなく、それを防ぐためにどう行動するべきか、平和外交を手段として考えるべきだが、その姿勢は皆無である。これでは、危機は深まるばかりである。

Itoman, Okinawa, Japan – March 24, 2017: The Okinawa Peace Memorial Hall. The hall is part of Peace Memorial Park which is dedicated to the Battle of Okinawa during World War Two.

 

しかしながら、それは日本政府だけの姿勢ではない。日本国民や戦場となると名指しされている沖縄の人たちにも言えることである。ウクライナ戦争の本質を捉えるという点で、日本のメディアは西側(NATO)からの情報に偏っており、そのメディアの偏りが台湾有事をめぐる中国に対する認識の偏りを国民間に生み出している。

そして、メディアの偏りから派生してくる、ウクライナ戦争という目の前の世界情勢をどう捉えるかについての認識の違いが、国民間に様々なギャップを生み出している。まず、最初のギャップは、直面する危機への認識をめぐるギャップである。さらに、危機への認識がある者同士の間での、危機認識の内容の違いというギャップがある。そして、そのギャップが、最終的な対応の違いというギャップに繋がってくるのである。

ウクライナをめぐる日本の大手メディアの報道は、「ロシアが突然ウクライナに侵攻、罪なきウクライナ国民を一方的に攻撃・殺戮している。ロシアが目指すは、ウクライナのNATO加盟を防ぎウクライナを支配するというもの」という内容が殆どで、ウクライナ戦争とは「ロシアがその覇権を守り拡大するための戦争」とのイメージであると言える。

一方で日本の大手メディアが報道しない内容としては、「ウクライナ軍およびゼレンスキー大統領と米国の関係、アゾフ大隊の正体、オレンジ革命やマイダン革命の背景、NATOが報告した認識戦争」などがあり、それらの情報から出てくるウクライナ戦争とは、「ウクライナを利用した米国の対露代理戦争」とのイメージであると言える。

そのウクライナ戦争に対するイメージの違いが生み出すのは、ウクライナ戦争の次に来ると考えられる台湾有事をめぐる中国との問題に関するメディアの報道の違いである。

ウクライナ戦争を「ロシアの覇権を守り拡大する戦争」と捉える日本の大手メディアが報道する中国は、「尖閣諸島に中国漁船が頻繁に出没、独立したい台湾へ侵攻を計画、沖縄への侵攻も考える」などであり、勃発の可能性がある中国との戦争とは、「中国覇権の拡大や中国の侵攻を防ぐ日本の防衛戦争」との考えである。

一方で、日本のメディアが報道しない内容とは、「尖閣諸島問題を引き起こしたのも起こしているのも日本、台湾の人たちは独立より現状維持を望む、日中共同声明の内容」などであり、勃発の可能性がある中国との戦争とは、「日本(自衛隊)を利用した米国の対中代理戦争」との考えである。

では、日本の大手メディアの報道だけから情報を得ている人たちとそれ以外のメディアからの情報も得ている人たちとの間には、具体的にどのようなギャップが生まれるのか?そのギャップを埋めるにはどうすれば良いのかなど、次の論考で述べていきたい。

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与那覇恵子 与那覇恵子

独立言論フォーラム・理事。沖縄県那覇市生まれ。2019年に名桜大学(語学教育専攻)を退官、専門は英語科教育。現在は非常勤講師の傍ら通訳・翻訳を副業とする。著書は「沖縄の怒り」(評論集)井上摩耶詩集「Small World」(英訳本)など。「沖縄から見えるもの」(詩集)で第33回「福田正夫賞」受賞。日本ペンクラブ会員。文芸誌「南瞑」会員。東アジア共同体琉球・沖縄研究会共同代表。

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