【特集】日航機123便墜落事件

日航123便墜落事故:日航123便墜落事故と航空局

市民記者:小幡瞭介(おばた りょうすけ)

第一弾目・第二弾目の記事では、「123便から『米軍基地に緊急着陸する』との連絡があった」という旨を、時事通信、共同通信、NHK、日航が発信していたことを紹介した。

実は、以下の通り、航空局広報担当者も同様の旨を発信している。

●1985年8月13日付のオランダ紙『de Stem』1面
https://krantenbankzeeland.nl/issue/stm/1985-08-13/edition/null/page/1
≪Volgens een zegsman van het Japanse bureau voor de burgerluchtvaart meldde gezagvoerder Masami Takahama 19 minuten na de start dat hij in grote problemen verkeerde. Acht minuten later meldde hij aan de verkeerstoren in Tokio dat een deur aan de acherzijde van het toestel kapot was gegaan. De luchtdruk in de Boeing verminderde en hij kondigde aan een noodlanding te gaan maken op de Amerikaanse luchtmachtbasis in Yokota.≫

以下、筆者による翻訳
≪日本の航空局広報担当者によると高濱雅己機長は離陸から19分後、深刻なトラブルに見舞われていると報告した。8分後、高濱さんは機体後部のドアが壊れたと東京の管制塔に報告した。機内の気圧が下がり、高濱さんは米空軍横田基地に緊急着陸すると述べた。≫

上記の通り、航空局の広報担当者も「高濱機長は『横田基地に緊急着陸する』と述べた」と発信していたのだ。航空局には、上記の記事と事故調査報告書の矛盾について市民に説明する責任があるだろう。

また、以下の通り、警察情報源も同様の旨を発信している。

●1985年8月13日付のイタリア紙『La Provincia』
https://www.laprovinciacr.it/news/nella-storia/228037/precipita-jumbo-giapponese-aveva-a-bordo-524-persone.html
≪L’aereo, con il numero di volo 123, era decollato per Osaka alle 18 locali dall’aeroporto nazionale di Haneda. Quaranta minuti dopo, a quanto hanno riferito fonti della «JAL» e della polizia, il pilota, Masahami Takahami, 49 anni ha trasmesso alla torre di controllo un messaggio urgente con il quale comunicava di aver problemi con la porta destra di coda e di perdere quota. Egli aggiungeva che avrebbe compiuto un atterraggio di emergenza sulla pista della base militare americana di Yokota, ad ovest di Tokyo.≫

以下、筆者による翻訳
≪123便は、現地時間午後6時に大阪に向けて羽田空港を離陸した。日航情報源と警察情報源によると、40分後、パイロットの高濱雅己さん(49)は、右後部ドアに問題があり、高度が下がっていると管制塔に緊急連絡した。高濱さんは、東京の西にある米軍横田基地の滑走路に緊急着陸すると付け加えた。≫

高濱機長が「横田基地に緊急着陸する」と述べたことを、警察も知っていたのである。

さらに、事故直後、クロアチアでは以下の通り報道された。

●1985年8月13日付のクロアチア紙『Slobodna Dalmacija』20面
https://arhiv.slobodnadalmacija.hr/pvpages/pvpages/viewPage/?pv_page_id=41103&pv_issue_no=850813_A(2024年7月13日現在では有料となっており、無料では閲覧不可)
≪Prema vijestima jepanskog radija i agencije „Kjodo” pilot zlosretnog „boinga 747″ obavijestio je neposredno prije nesreće kontrolu leta u vojnoj bazi Jopota, 33 kilometra zapadno od Tokija da mora prisilno sletjeti jer ima problema s jednim vratima na desnoj strani letjelice. Odobrenje za slijetanje je dobio, ali je avion nedugo zatim nestao s radarskih ekrana.≫

以下、筆者による翻訳
≪日本のラジオニュースと共同通信によると、事故の直前、悲運なボーイング747のパイロットは「右側のドアの1つに問題があり、緊急着陸しなければならない」と横田基地の管制室に知らせた。パイロットは着陸許可を受け取ったが、機体はまもなくレーダーから消えた。≫

なんと、日本のラジオニュースでは、123便のパイロットが横田基地と連絡を取ったとの情報が報じられていたのだ。やはり、高濱機長は横田基地と交信していたのではないだろうか。

ところで、事故翌日の朝日新聞夕刊には、123便が横田基地へ向かおうとしたことが明記されている。

1985年8月13日付『朝日新聞(大阪本社版)』夕刊4面・『朝日新聞(名古屋本社版)』夕刊8面に、以下の通り記載されている。

≪【ワシントン十二日=アメリカ総局】日航ジャンボ機墜落事故についてNBC、ABC、CBSの米三大テレビ、各ラジオは十二日朝から、いずれもトップニュースとし、全米に事故の衝撃を伝えた。テレビは東京特派員からのリポートを詳しく伝え、後部ドアの故障で、ジャンボ機は横田基地へ向かおうとしたこと、羽田空港を飛び立つ時、地上から撮影された同機のビデオテープも紹介。≫


画像:1985年8月13日付『朝日新聞(大阪本社版)』夕刊4面

朝日新聞は、「123便から地上に『横田基地に緊急着陸する』との連絡があった」とは報じていないが、「123便は横田基地へ向かおうとした」とは報道していたのだ。

なぜ朝日新聞はこの情報を深掘りしなかったのだろうか。123便が横田基地へ向かおうとしたことは、国内ではほとんど報じられていない。朝日新聞記者はこれを不思議に思わなかったのだろうか。

航空局や朝日新聞社には、一刻も早く真実を語っていただきたい。

【参考文献】
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故と時事通信、共同通信、NHK(市民記者記事)”. ISF独立言論フォーラム. 2024年1月24日公開. https://isfweb.org/post-32490/ (参照 2024-07-13)

• 世界第二の事故 “緊急降下”告げ消息絶つ. パウリスタ新聞. 1985-08-13, p.1.

• UPI. “Japanese airliner crashes in mountains”. Manchester Herald, August 12, 1985. p.1. http://www.manchesterhistory.org/News/Manchester%20Evening%20Hearld_1985-08-12.pdf (参照 2024-07-13)

• “Japanese team tries to reach jetliner that crashed with 524”. The Christian Science Monitor. 1985-08-13, ProQuest, (参照 2023-11-02)

• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故と日航(市民記者記事・小幡瞭介)”. ISF独立言論フォーラム. 2024年1月31日公開. https://isfweb.org/post-32774/ (参照 2024-07-13).

• UPI. “Over 500 killed in air tragedy”. Lodi News-Sentinel. August 13, 1985. p.1. p.8.
https://news.google.com/newspapers?nid=dXBh7-90p_YC&dat=19850813&printsec=frontpage&hl=en (参照 2024-07-13)

• “All 524 on board feared dead in Japanese air crash”. The Times. August 13, 1985. p.1

• “Japanse Boeing met 524 mensen aan boord brandend neergestort Geen teken van leven”. de Stem. August 13, 1985. p.1. https://krantenbankzeeland.nl/issue/stm/1985-08-13/edition/null/page/1 (参照 2024-07-13)

• “Precipita Jumbo giapponese: aveva a bordo 524 persone”. La Provincia. 1985-08-13, La Provincia di Cremona. https://www.laprovinciacr.it/news/nella-storia/228037/precipita-jumbo-giapponese-aveva-a-bordo-524-persone.html (参照 2024-07-13)

• “Čak 524 mrtva u „boingu 747“”. Slobodna Dalmacija. August 13, 1985. p.20. https://arhiv.slobodnadalmacija.hr/pvpages/pvpages/viewPage/?pv_page_id=41103&pv_issue_no=850813_A (参照 2023-11-28)

• 海外でも大きく報道 日航機事故 交信内容など詳しく. 朝日新聞(大阪本社版). 1985-08-13, 夕刊, p.4

• 米三大TVもトップで報道. 朝日新聞(名古屋本社版). 1985-08-13, 夕刊, p.8.

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