日航123便墜落事故:他社に先がけて第一報を流したのはフジテレビだった
社会・経済第三弾目の記事では、フジテレビが事故の第一報を流した時刻について、『報知新聞』に記載されている内容と『週刊TVガイド』に記載されている内容が矛盾していることを紹介した。
再度解説すると、事故当日、フジテレビでは19時から「女子プロレス」、19時30分から「月曜ドラマランド」が放送され、1985年8月13日付『報知新聞(大阪本社版)』は、≪民放ではフジテレビ(関西テレビ系)が「女子プロレス」の終了間際に臨時ニュースのテロップを流した。≫と報道したのだが、『週刊TVガイド』1985年8月30日号は、フジテレビが第一報を流した時刻は19時31分だった旨を伝えた。
『週刊TVガイド』1985年8月30日号には、具体的には以下のように記載されている。
≪第1報はNHKが「7時のニュース」終了直前の7時26分、「ジャンボ機の機影がレーダーから消えました」と松平アナが伝えたのが最も早く、次いでTBS(27分)、テレビ東京(28分)、日本テレビ(30分)、フジ、テレビ朝日(ともに31分)の順。≫
つまり、「テレビで最初に第一報を流したのはNHKだった」としている。
ところが、今回、「他社に先がけて第一報を流したのはフジテレビだった」とする新聞記事を発見したので紹介する。
1985年8月20日付『電波タイムズ』5面には以下の通り記載されている。
≪事故の第一報がフジテレビ報道部に入ったのは午後七時十分。同社では直ちに本社三階の報道センター内に航空機事故取材対策班を設け、取材態勢に入った。非常呼集でセンター所属の百二十四人のほぼ全員が直ちに集合した。
日航オペレーションセンター、警視庁記者クラブ及び現地から入ってくる情報を分析して深夜までの特番体制を整え、午後八時五十四分、他社に先がけて第一報のニュースを送り出した後、午後九時~十時五十四分特番、午後十一時~同十五分ニュース、深夜十二時~四時まで合計約六時間にわたって刻々と入って来た情報素材を放送した。≫
第一報を流した時刻は20時54分となっているが「他社に先がけて第一報のニュースを送り出した」と明記されているのだ。そうなると、フジテレビはNHKよりも早く第一報を流したことになる。
NHKの第一報については、第五弾目の記事で紹介した通り、事故当時、日航のパイロットだった小林宏之氏は、著書『航空安全とパイロットの危機管理』で以下の通り述べている。
≪12日の夕方はフライトを終えて、NHKの7時のニュースの前の天気予報を観ていた時、「日航機の機影がレーダーから消えた」というテロップが出た。
その瞬間は「多分、積乱雲を北西に大きく迂回して、その陰になって管制レーダーから一時的に消えたのだろう」と思ったが、徐々に信じられない事実が報道されてきた。4重のシステムが装備されているジャンボが墜落することなど誰も想像していなかった。≫
小林氏の証言から、NHKが第一報を流した時刻は18時台だったことがわかる。よって、フジテレビが第一報を流した時刻も必然的に18時台だったことになる。
事故当日の18時台、フジテレビでは「スーパータイム」が放送されていた(18時00分放送開始。その後19時00分からは「女子プロレス」が放送された)。また、事故当時フジテレビアナウンサーだった露木茂氏の著書『背広を脱いで』によると、事故当日の「スーパータイム」は露木氏がキャスターを務めていた。
再度書くが、『電波タイムズ』には事故当日のフジテレビについて、「午後八時五十四分、他社に先がけて第一報のニュースを送り出した」と明記されている。当該記事と、「第一報はNHKが最も早く、フジテレビが第一報を流した時刻は19時31分だった」とする『週刊TVガイド』掲載記事の矛盾について、露木氏はどのような見解を持つのか非常に気になる。
また、第三弾目の記事で紹介した通り、フジテレビに入った第一報の情報源についても、矛盾した情報がある。
再度解説すると、事故当時、フジテレビ報道局報道センター社会担当部長だった山村喜昭氏は、フジテレビに入った第一報の情報源は成田空港駐在のカメラマンだったと述べているのだが、露木茂氏は、フジテレビに入った第一報の情報源はフラッシュ、つまり至急報だったと述べており、矛盾している。
フジテレビ関係者には、フジテレビに入った第一報の情報源や、フジテレビが第一報を流した時刻を今一度思い出していただき、より正確な記憶を発信していただきたい。
付記:シンガポール紙『The Straits Times』について
実は、123便と横田基地との間の交信を傍受した他機のパイロットの証言を、シンガポール紙が報道している。シンガーポール紙『The Straits Times』には、以下の通り記載されている。
●1985年8月13日付『The Straits Times』1面
https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/digitised/page/straitstimes19850813-1.1.1
≪Plane, with door trouble, preparing for emergency landing when it hit a hill
All 524 feared dead in JAL crash
By PETER HAZELHURST
Tokyo Correspondent
TOKYO, Mon. (中略)
A JAL spokesman refused to speculate on the cause of the crash.
However, pilots of other planes who intercepted messages between the ill-fated jumbo and Yokota air base said the rear door might have ripped open, exposing the crew and passengers to rapid decompression. ≫
以下、筆者による翻訳
≪墜落時、ドアに異状があった飛行機は緊急着陸準備中だった
日航機墜落で全524名が亡くなった恐れ
ピーター・ヘイゼルハースト
東京通信員
東京 月曜日 (中略)
日航広報担当者は、墜落原因を推測することを拒否した。
しかし、悲運のジャンボ機と横田基地との間の交信を傍受した複数の飛行機のパイロット達は「後部ドアが開き、乗組員と乗客が急減圧に晒されたのかもしれない」と述べた。≫
やはり、高濱機長は横田基地と交信していたのだと思われる。一刻も早く真相が明らかになることを願っている。
【参考文献】
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故とさまざまな矛盾(市民記者記事・小幡瞭介)”. ISF独立言論フォーラム. 2024年5月5日公開. https://isfweb.org/post-36982/ (参照 2024-07-27)
• テレビ番組表. 上毛新聞. 1985-08-12. p.16.
• NHKテレビ第一報. 報知新聞(大阪本社版). 1985-08-13. p.13.
• 東京ニュース通信社. レポートスペシャル テレビ各局が総力戦で臨んだ日航機墜落大惨事. 週刊TVガイド. 1985. 8月30日号. p.26-27.
• 劇的救出をスクープ 現地↓ヘリ中継で機先. 電波タイムズ. 1985-08-20. p.5.
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故:NHKの第一 報について”. ISF独立言論フォーラム. 2024年6月21日公開. https://isfweb.org/post-38976/ (参照 2024-07-27)
• 小林宏之. 航空安全とパイロットの危機管理. 交通研究協会. 2016. p.98-99.
• 露木茂. 背広を脱いで . 主婦と生活社. 1995. p.107-111.
• 成功した日航機事故報道. 民間放送. 1985-09-03. p.4.
• 露木茂. リレーエッセー 日航ジャンボ機墜落③1985. 8. 12. 「生きてる!」本番3分前に映像が. 日本記者クラブ会報. 2005. 428. p.11. https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/2005/10/jnpc-b-200510.pdf (参照 2024-07-27)
• Peter Hazelhurst, “Plane, with door trouble, preparing for emergency landing when it hit a hill All 524 feared dead in JAL crash”. The Straits Times. August 13, 1985. p.1. https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/digitised/page/straitstimes19850813-1.1.1 (参照 2024-07-27)
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