長崎の平和記念式典に思う 山橋宏和(日中友好ネット) (働き人のいいぶん8月14日号より)
核・原発問題長崎の平和記念式典に思う 8月13日号
長崎の平和記念式典に思う
長崎市が8月9日の平和記念式典にイスラエルを招待しなかったことに対して、アメリカやイギリスが反発し、欧米の6か国とEU(ヨーロッパ連合)の大使らは欠席した。
長崎市長の鈴木史郎氏は記者会見で次のように述べている。
「私としては、決して政治的な理由でイスラエルの大使に招待状を発出しないのではなく、あくまでも平穏かつ厳粛な雰囲気の下で式典を円滑に実施したいという思いで今回の決定をした。」
「逆に政治的な理由で言えば、むしろ紛争当事国であるからこそ呼ぶべきだと思っている。ロシア、ベラルーシについても同様、紛争当事国を呼べないのは残念だが、呼んだことによる式典への影響をかんがみ、総合的に判断した。」
長崎市はイスラエルは招待しなかったが、パレスチナは招待した。広島市はイスラエルは招待してパレスチナは招待しなかった。長崎と広島で対応がわかれた。
広島の松井市長は「イスラエルへの抗議デモ」を見越して、平和記念式典中の市民立ち入り禁止区域を拡大させた。
長崎市長の方は長崎市民による厳粛な雰囲気の中での追悼を重視したと言える。
この平和式典は広島市、長崎市が主催するものなので、それぞれの考え方があって当然で、対応が分かれても問題はないと思う。
むしろ、広島の松井市長に聞いてみたいのは、何でパレスチナを招待しなかったのか?ということだ。
国連決議でも、イスラエルとパレスチナの二国家共存は支持されており、最近でもスペイン、ノルウエー、アイルランドがパレスチナ国家を承認した。
広島市がパレスチナを呼ばないのは日本がパレスチナを国家として承認していないということが理由のようだが、それならば日本国に対する「広島市」の主体性が問われる。
事この「平和式典」においては、国と市は対等なはずで、歴代の市長が日本政府の軍国主義化を批判するなどしてきた。
2003年(平成15年) 当時広島市長であった秋葉忠利氏(写真)は朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記に対して平和記念式典への参列依頼文書を発送している。
朝鮮はいまだに日本と国交がない国だ。
先輩の広島市長は日本政府に従属することなく、被爆地広島としての独自の立場を堅持していたのだ。(山橋)
カッコいい被爆者の思い出
私が釜ヶ崎に来たころ(1970年代後半)、「釜ヶ崎原爆被爆者の会」という団体があった。
会長は中村順(すなお)さん、みんなからは「じゅんちゃん」と呼ばれ愛されていた。
当時わたしは「寄場働く仲間の新聞」という壁新聞(および同内容のガリ版新聞)を日刊で発行していて、原爆の記事を書こうと思って、8月9日の長崎原爆忌を前にして中村順さんに話を聞きに行ったことがある。
すると、「話はしてやってもよいが、それは9日の長崎の平和式典に参加することが条件や」と、なかば脅迫まがいのお誘いをうけた。1980年代の中ごろだった。
式典に参加したあと順さんは、「会わせたい人がいる」と言って被団協の事務所へ連れて行ってくれて、会長の山口仙二さんにお会いすることができた。山口さんは私に「最近、釜ヶ崎はどう?仕事はありますか?」などと質問された。中村順ちゃんとは気心の知れた仲で、釜ヶ崎にはよく出入りしていたと言っておられた。
山口仙二さんは、1982年6月24日、ニューヨークで開かれた第2回国際連合軍縮特別総会の全体委員会で、被爆直後の、背中が真っ赤に焼けただれた自分の写真を振りかざして演説した人だ。
「・・・私たちは核兵器完全禁止と軍縮を要請する署名2,886万2,935名分を携えて参りました。(中略)
私の顔や手をよく見て下さい。よく見て下さい。(中略)
世界の人々、そしてこれから生まれてくる人々、子どもたちに、私たちのようにこのような被爆者に、核兵器による死と苦しみを、たとえ一人たりとも許してはならないのであります。
核兵器による死と苦しみは、私たちを最後にするよう、国連が厳粛に誓約して下さるよう心からお願いを致します。
私ども被爆者は訴えます。命のある限り私は訴え続けます。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア ウォー、ノーモア ヒバクシャ。ありがとうございました。」(写真はその時)
「ノーモア ヒロシマ」は、その後の平和運動の不滅のスローガンとなった。 中村順さんも被団協の全国理事としてこのとき国連に行っている。
1989年9月、長崎港にアメリカ海軍の艦船が入港し、艦長が長崎の平和祈念像に花輪を献花した時、艦長が去った後、山口さんと友人の被爆者の二人は、「これは献花じゃない!」と、その花輪を足でバンバン踏みにじり続け、その様子がテレビニュースで流れた。山口さんは記者団に「多くの人が熱線で焼き殺された場所に、核疑惑艦の艦長が軍服姿で献花に来るとは、怒りが収まらなかった。」と述べた。
釜ヶ崎の匂いのするおっちゃんだった。 (山橋宏和)
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