【連載】沈黙に向き合う、沖縄戦聞き取り47年(石原昌家)

琉球沖縄の「まつろわぬ民」意識

石原昌家

沖縄のこころ

『思想運動』紙からの「天皇代替わりをめぐる状況について」という原稿依頼はややためらいながら、引き受けることにした。このわたしの消極的な気持ちは、どこから生まれているかというと、やはり、ヤマトの天皇・天皇制については、琉球・沖縄のひとにとって、無縁の存在だった、つまりいま日本国民ということになっているが、ここ数年の安倍政権の下で「まつろわぬ民」意識が覚醒されつつあるからだろう。それは、西銘順治元沖縄県知事が、「沖縄の心とは」という『朝日新聞』、稲垣忠記者の問に、「ヤマトンチュ―(ヤマト人)になりたくても、なりきれない心」だと、即答しという表現が、名言としてひろく知られている。これこそが、「まつろわぬ民」意識の具体的表現だ。

まつろわぬ民の継承

したがって、「天皇代替わり」で、新元号が制定されても、そのような「まつろわぬ民」意識の濃淡はあるにしても、ヤマトの人のように「即位」「新時代」にたいする「祝意」というのは、沖縄ではあまり感じられない。テレビのワイドショーなどで街頭インタビューや「令和」時代の幕開けということで東京の渋谷交差点などでみられた熱狂的な「祝意」の表現は、他人事のようにしか映らないというのがおおかたの琉球沖縄人の心根のように感じる。

12歳の少年が、テレビニュースを観ながら、「令和!令和!と叫んでいる人たちは、天皇陛下バンザイ!バンザイ!と叫んでいるのと同じことだよね」と、つぶやいているのを耳にしたとき、この沖縄でうまれて12年のこどもにしても、「まつろわぬ民」意識が継承されているのか、と「発見」したものである。この「新時代の幕開け」という報道の副産物として、その意識の継承が確認できたな、と思っているところだ。

北緯30度線の意味

天皇代替わり騒動で、私は二つのことを新たに知ることができた。

そのひとつは、トカラ列島の北緯三十度線の意味である。1945年、米国が日本占領したとき、北緯30度線の口之島以南で、琉球と日本に境界線をもうけ、琉球沖縄は米軍の直接占領下におかれた。米国はなぜ北緯30度線以南を境界線にしたのだろうか(その後、51年北緯29度線、53年北緯27度線の以北を日本に返還)。「沖縄からみた天皇・天皇制」の原稿執筆を依頼されたとき、北緯30度線になにか意味がありはしないかと、想定してその答えを見つけるため、私は、沖縄国際大学の地理学者に日本古地図をみせてもらった。すると、1778年の長谷川赤水の古地図(日本輿地路程全圖・人文社)の北緯30度線の以南は、ヤマトとは無縁つまり皇土とは無縁の地であることが確認できた。
その地図では、現在の青森県以北もヤマトと無縁の地になっている。ちなみに、アメリカ占領軍は北緯30度線口之島以南を日本と切り離した。

なぜ、「退位卒業旅行」が与那国、北海道だったのか。

※本稿は、「始祖運動」2019年6月11日号に寄稿したものです。

 

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石原昌家 石原昌家

1941年台湾生まれ。沖縄県那覇市首里出身。専門は社会学・平和学。最近刊は『援護法で知る沖縄戦認識』(2013)、凱風社など。

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