今なぜファシズム台頭が再び問題になるのか
国際《アフガニスタン》
「今夜、9.11以降はじめて、アフガニスタンにおけるわれわれの戦闘任務は終わった。」 これが、オバマの2015年一般教書演説の冒頭の言葉だった。実際には、約10000人の部隊と20000人 の軍事請負業者[傭兵]が アフガニスタンに期限は設けない形で留まっている。
「アメリカの歴史でもっとも長い戦争が賢明な結末を迎えている」とオバマは語った。 事実は、アフガニスタンでは2014年、国連が統計をとりはじめて以来どの年より も多くの民間人が殺害された。過去にアフガニスタンで殺された人々の大多数は―民間人も兵士も含み―オバマの大統領任期中に殺害されてい た。
アフガニスタンの悲劇はインドシナ半島のとてつもない犯罪に匹敵する。アメリカの卓越した 戦略地政学の権威、アフガニスタンから現在に至るまでの米基本方針のゴッドファザー、ズビグネフ・ブレジンスキーは、その称賛され非常によく引用された著書『壮大なチェス盤』で、もしアメリカがユーラシアを支配し世界を牛耳るというなら大衆民主主義を維持することはできな いと書いた。
なぜなら「覇権の追求という目的は大衆の熱烈な支持を集めることはないのだから、…デモクラシーは帝国の動員に対立するのだ」。彼は正しい。ウィキリークスとエドワード・スノーデンが暴露したように、監視・警察国家はデモクラシーを侵害する。1976年、カーター大統領当時の国家安全保障補佐官ブレジンスキーは、アフガニスタンの 最初にして唯一のデモクラシーに致命的打撃を与えて彼の論点を証明してみせた。この重要な歴史を誰が知ろう?
1960年代、地球上の最貧国アフガニスタンに民衆革命が瞬く間に広がった。やがて1978年には封建貴族体制の残存政権が打倒された。アフガニスタン人民民主党(PDPA)が政府を結成し、封建 制度の撤廃、すべての宗教の自由、女性の平等な権利、そして少数民族の社会的公正を含む改革プログラムを宣言した。 13000人以上の政治犯が解放され、警察の犯罪ファイルが公然と焼却された。
新政府は、極貧層のために無料診察を導入し始めた。日雇労働の身分は廃止され、大規模な基 礎教育プログラムが開始された。女性にとっての進歩は前代未聞だった。1980年 代後半には大学生の半数は女性だった。またアフガニスタンの医師の半分、公務員の三分の一、そして大多数の教師が女性で占められていた。 女性外科医セイラ・ノーラニィが思い出を語った。
「全ての女子が高校にも大学にも行くことができました。私たちは好きなものを着て行きた いところへ行くことができました。いつもカフェに入り、金曜日には新しいインド映画を観に劇場に行き、新しい音楽を聴いていました。ムジャヒディーンが勝利し始めたときすべてが悪くなり始めました。彼らは教師たちを殺して学校を燃やしたものです。私たちはとにかく怖かったのです。これらの人々が欧米が支援した連中だと考えると、腹が立って悲しくなったのです」。
PDPA政府はソ連に支援されたが、元国務長官サイラ ス・ヴァンスが後で認めたように、「[革命における]どんなソ連の共謀もまったくその証拠はなかった」。世界の至るところで解放運動への信頼 性が高まっていることに不安を覚えたブレジンスキーは、もしアフガニスタンがPDPAのもとで成功した場合、その独立と進歩は「前途有望な実例となる脅威」を提供することになろうと判断した。
1979年7月3日、ホワイトハウスは、米国兵器とその他の援助で年間5億ドル以上にもなるプログラムで部族の「原理主義者」グループいわゆるムジャヒディーンへの支援を密かに認可した。そのねらいは、アフガニスタンで初めてとなる世俗的(非宗教的)な改革派政府を打倒することだった。
1979年8月に、カブールの米国 大使館は、「合州国のより大きな利益のためには、…アフガニスタンにおいては将来の社会的経済的改革を意味するかもしれないが、これがどんなに後退しようとも[PDPA政府]の打倒が得策 となるだろう」と報告した。イタリック体は私のもの。
ムジャヒディーンはアル=カイダお よびイスラム国の原型となった。彼らの中には、CIAから現金で何千万ドルも受け取っていたグルブディーン・ヘクマティアルがいた。ヘクマティアルの専門は、アヘンの密輸売買とベールをかぶることを拒否した女性の顔に酸を投げつけることだった。ロンドンに招かれた彼はサッ チャー首相に「自由戦士」と称賛された。
もしブレジンスキーが、世俗的・政治的解放運動を弱体化しソ連を「不安定化」させる目的で、その自伝で書いたような「過激化されたイスラム教徒何人か」を生み出すことによって中央アジアでイスラム原理主義を促進する国際的運 動を始めていなければ、このような狂信的な人間たちはそれぞれの部族的世界に留まっていたであろう。
彼の壮大な計画は、パキスタンの独裁 者で地域を支配しようとする将軍ジア・ウル・ハクの野心と一致した。1986年に CIAとパキスタン諜報機関ISIは、アフガニスタン・ジハードに参加させるため世界中から人々をリクルートし始めた。サウジの大富豪ウ サマ・ビン・ラディンはそのうちの一人だった。
やがてタリバーンとアル=カイダに加わった工作員たちは、ニューヨーク・ブルックリンのイスラミック・カレッジに徴募されヴァージニアのCIAキャンプで準軍事的な訓練を 受けた。これは「サイクロン計画」と呼ばれた。1996年、アフガニスタン最後のPDPA大統領(国連総会に助けを求めていた)ムハンマド・ナジーブッラーがタリバーンによって街頭で首をつるされたとき、この計画は成 就された。
サイクロン計画とその「過激化されたイスラム教徒何人か」の「反動」が、2001年9月11日であった。サイクロン計画は、アフガニスタンからイラク、イエメン、ソマリア、そし てシリアと、ムスリム世界の至るところで無数の男たち、女たち、子どもたちの命を奪う「対テロ戦争」となった。戦争執行者のメッセージは 当時も今も変わらない―「あなたは米国の味方か、そうでなければテロリストの味方だ」。
《現代のファシズム、またはアメリカ》
過去も現在も、ファシズムの共通の特徴は大量虐殺である。アメリカのベトナム侵略でも「無 差別爆撃地帯」、「戦死者カウント」、および「付随的被害」はあった。私が報道したクアンガイ省(ナパーム弾、枯葉剤およびソンミ村虐殺事件などでとくに甚大な被害があった地域)では、米国によって何千人もの民間人[侮蔑的にgooks(ベトコン)と呼ばれた]が 虐殺された。
しかし記憶されているのはソンミ村虐殺だけである。ラオスとカンボジアでは史上最大規模の空襲が行われ、今でもその爆撃後のクレーターが連なった様子が上空からネックレスのような形で見える。テロ時代の幕開けを象徴する光景だ。その猛爆は、ポル・ポト率いるカンボジア版イスラム国をもたらした。
今日、世界の大規模なそれぞれの対テロ作戦は、家族、結婚式の招待客、葬儀の会葬者、彼ら 全員の処刑を伴っている。これらの人々はオバマの犠牲者である。ニューヨーク・タイムズによれば、毎週火曜日、ホワイトハウス・シチュエーションルーム(ホワイトハウスの地下にある国家安全保障会議の機密相談室で世界大に展開する米軍の指揮管理を維持する)でCIAが提 示した「殺害リスト」からオバマ自らが選抜している。
そこで彼は、一片の法的な根拠もなく、ある人物の生殺与奪を決定する。その処刑兵器 は、パイロットなしの航空機いわゆるドローン[無人機]から発射されたヘルファイア・空対地ミサイルが実行する。焼かれた犠牲者の遺体がその地 に花綵のように連なる。各々の「命中」が、まるで「虫をつぶす」ように遠くからコンソール・スクリーンに記録される。
歴史家ノーマン・ポラックが言うには、「ナチ式軍隊行進に代わり一見無害な文化全体の軍事 化が進む。大言壮語を吐く指導者に代わって、改革者の出来そこないが無邪気に働き、ずっと笑いながら暗殺を計画し実行するのだ」。
古いファシズムと新しいファシズム を結びつけるものは、優越性のカルトである。「私は、細胞の隅々まで私の全存在をかけてアメリカの例外主義を信じている」とオバマは語って、1930年代以来の国家的フェティシズム宣言の数々を喚起させた。
歴史家アルフレッド・W・マッコイが指摘したように、ヒットラー愛好者だったカール・シュミットは語った。「支配者は、例外を決定する者である」。これが世界を睥睨するイデオロギー、アメリカニズムを要約している。それが略奪イデオロギーと気づかれないでいることは、同様に気 づかれない洗脳の到達点である。強化公式に宣言されず欺瞞に満ちた行進曲で軽妙に啓発強化されるように、そのうぬぼれは常に欧米文化によって 巧みに粉飾されている。
私もおなじみの栄光のアメリカ映画を観て育ったが、そのほとんどすべてが歪曲であった。1300万人以上もの兵士の犠牲をもってナチ戦争機構のほとんどを滅ぼしたのは、赤軍 だったことを私は考えもしなかった。それに対して、米国の損失兵は太平洋戦争を含めて40万 人だった。ハリウッドはこれを逆にした。
現在何が異なるかといえば、映画の観客がいつも遠いところで人々を殺していなければならな いアメリカ的精神異常の「悲劇」に両手を握りしめるよう招かれているということだ―ちょうど大統領自身が人々を殺すように。ハリウッド暴 力の権化、俳優にして監督のクリント・イーストウッドが、殺人ライセンスを持つ異常な狙撃手を描いた映画「アメリカン・スナイパー」で今 年もオスカーにノミネートされた。ニューヨーク・タイムズは、「公開直後にすべての入場記録を破った愛国的で家族中心の映画」と評した。
アメリカのファシズム受容についての英雄的な映画はまったくない。第二次大戦期間中、アメ リカ[とイギリス]はナチ ズムと英雄的に戦いギリシャ・ファシズムの台頭に抵抗していたギリシャに対して戦争を仕掛けた。
1967年、 ブラジルとラテンアメリカの大部分でそうだったように、CIAはアテネのファシスト軍事政権に権力を奪取するよう援助した。ナチの侵略 と人道に対する罪に共謀したドイツと東欧の人々は、米国に安全な避難場所を与えられ多くは甘やかされて彼らの才能は報われた。ヴェル ナー・フォン・ブラウンは、ナチV-2テロ爆弾と米国宇宙計画の双方の「父」で あった。
1939年オーストラリア生まれ、ロンド ン在住のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画作家。50本以上のドキュメンタ リーを制作し、戦争報道に対して英国でジャーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞、記録映画に 対しては、フランスの「国境なき記者団」賞、米国のエミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞している。ベトナム、カンボ ジア、エジプト、インド、バングラディッシュ、ビアフラなど世界各地の戦地に赴任した。邦訳著書には『世界の新しい支配者たち』(井上礼子訳、岩波書店)がある。また、過去記事は、デモクラシー・ナウやTUPなどのサイトにも多数掲載されている。