今なぜファシズム台頭が再び問題になるのか

ジョン・ピルジャー(John Pilger)

気鋭ジャーナリスト、ジョン・ピルジャー氏の大型記事の松元保昭氏による翻訳投稿を紹介します。第二次世界大戦70年、当時のファシズムとは形態の異なる現代の「民主主義」下におけるファシズムがいかに広がってきているかを目の当りにできる記事です。この米国を中心とする世界的ファシズムに日本が「集団的自衛権行使」によって加担を深めることをストップさせなければいけません。@PeacePhilosophy (乗松聡子)(注:翻訳にはブログ運営人が多少手を入れているところがあります。また、投稿後に訳語を微修正することがあります。以下著者紹介は訳者によるものです)。

URL of this article:
http://www.informationclearinghouse.info/article41117.htm
ジョン・ピルジャー(松元保昭訳)

2015年2月27日

インフォメーション・クリアリング・ハウス(ICH)誌

先のアウシュビッツ解放70周年記念は、私たちの意識に深く刻み込まれているナチの象徴と共にあらためてファシズ ムの巨大な犯罪を想起させるものであった。ファシズムは、チラチラする古い映像で黒シャツ隊がガチョウ足行進しているような歴史として保存され、その犯罪性は極まりなく疑いようもないものだ。

しかし今、この同じ自由社会では戦争をつくり出すエリート集団がわれわれにけっし て歴史を忘れないよう促しながらも、加速する現代のファシズムの脅威は隠されている。それが彼ら自身のファシズムであるゆえに。

1946年にニュールンベルク裁判の判事は語った。「侵略戦争を 始めることは国際的な犯罪というだけではない。それ自体の中に蓄積された全体の邪悪が含まれておりもっぱら他の戦争犯罪と異なる点でそれは究極の国際犯罪である」。

ナチスがヨーロッパに侵略しなかったら、アウシュビッツ とホロコーストは起こらなかった。アメリカ合州国とその取り巻きが2003年のイ ラク侵略戦争を始めなかったら、ほぼ100万人の人々は死なずにすんだだろう。そして、イスラム国あるいはISISがわれわれをその野蛮の虜にしなかっただろう。

これらすべては、爆撃と、殺戮と、「ニュース」と呼ばれる現実とはかけ離れた劇場が醸しだす嘘とで育てら れた現代ファシズムの所産なのである。

現在、1930年 代と1940年代のファシズムのときのように、メトロノームのような正確さでデマ 宣伝が届けられている。偏在し反復するメディアとその不作為による悪意に満ちた検閲のおかげだ。リビアの破局がいい例である。

リビア

2011年にNATOは、リビアに対し9700回の「空爆出撃」を行った。うち三分の一以上が民間人に向けられた。劣化ウラン弾頭のミサ イルが使われた。ミスラータやシルテの町々が絨毯爆撃にさらされた。赤十字は多くの遺体置場を確認し、ユニセフは「殺害された子どもたち の大半は10歳以下だった」と報告した。

「反体制派」の銃剣により公衆の面前でソドミー(性器に異物を挿入)をされたリビアのムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)に対する当時の米国務長官ヒラリー・クリントンの言葉はこうであった。

「われわれは来た、われわれは見た、彼は死んだ」。彼の殺害は、彼の国の破壊と同様に、自国民に対して「ジェノサイド」を計画していたという聞き覚えのあるデマ宣伝で正当化された。

オバマ大統領はこう語った。「もしわれわれが もう一日待っていたら、シャーロット(米ノースカロライナ州最大の都市)の大きさのベンガジは、その地域一帯に響き渡った大虐殺に見舞わ れたにちがいない。それは世界の良心に汚点を残しただろう」。

これは、リビア政府軍によって敗北に直面していたイスラム主義民兵の作り話だった。彼らはロイターに、「ルワンダで見たような文字通りの大虐殺」になるだろうと語った。2011年3月14日に報道されたこの嘘は、NATOの地獄絵図に最初の火花を送り、デビッド・キャメロ ンによって「人道的介入」と説明された。

密かにイギリス特殊部隊(SAS)に供給され訓練された多くの「反体制派」がISISとなっていた。彼らの最新のビデオ は、スルトで捕えられた21人のコプト・キリスト教徒労働者の打ち首を見せてい る。その都市スルトは彼らのためにNATO爆撃によって破壊されていた。

オバマ、キャメロン、そしてオランドにとって、カダフィの本当の罪は、リビアの経済的自立 およびアフリカ最大の石油備蓄をUSドルでの売却を停止するという公然とした意志であった。オイルダラーは米帝国権力の支柱である。

カダフィは大胆にも、オール・アフリカ銀行を設立して金で保証される共通のアフリカ通貨に同意し、また価値ある資源がありながら貧しい 国々のあいだで経済統合を促進する予定でもあった。これが生じようと生じまいと、アフリカに「参入」し軍事「提携」でアフリカ諸国の政府 を買収しようとしている米国にとっては、まさにこの考え方が耐え難いものだった。

NATO攻撃に続き国連安保理決議を隠れ蓑に、オバマは(アフリカのツイッターサイト)Garikai Chenguにツイートした。「リビアの中央銀行から、アフリカ中央 銀行設立とアフリカ金が裏書きするディナール通貨のためにカダフィが取っておいた300億 ドルを押収した」。

ユーゴスラビア

リビアに対する「人道的戦争」は、欧米の自由主義精神に近いモデルをとくにメディアで生か した。1999年、ビル・クリントンとトニー・ブレアはNATOをセルビア爆撃に 送り込んだが、分離主義者のコソボ自治州で少数民族のアルバニア系住民に対してセルビア人が「ジェノサイド」を犯していたと、彼らは嘘をついた。

戦争犯罪のための米無任所大使[原文のママ]デヴィッド・シェファーは、「少数民族アルバニア人の14歳から59歳までの男たち225000人」もの人々が殺害されたかもしれないと訴えた。クリントンとブレアの二人 は、ホロコーストと「第二次世界大戦の精神」を引き合いに出した。欧米の英雄的な同盟相手はコソボ解放軍(KLA)だったが、彼らの犯罪的 な経歴は脇に置かれた。イギリス外務大臣ロビン・クックは、彼の携帯電話にいつでも電話するよう彼らに語った。

NATO爆撃が終わり、セルビアのインフラの大部分、加えて学校、病院、修道院、そして国営TV局が廃墟と化したなかで、国際犯罪調査団が「ホロコースト」の証拠を掘り出すためにコソボを訪れた。FBIはたったひとつの大量墓地も発見できず、彼らは帰国した。スペインの法医学調査団も同じことをした。

そのリーダーは憤慨して「プロパガンダ機構による意味の捻じ 曲げだ」と公然と非難した。1年後、ユーゴスラビア国連法廷は、コソボの最終的な 死者数を 2788人と公表した。これは双方の戦闘員およびKLAによるセルビア人 とロマ人の殺害も含んでいた。ジェノサイドではまったくなかった。「ホロコースト」は嘘だった。NATO攻撃は不正な詐欺行為だった。

嘘の背後に重大な意図があった。ユーゴスラビアは冷戦下 の政治的経済的な橋渡しをする立場にある多民族連邦政府として独特の仕方で自主独立していた。公共事業体と主要な製造業の大部分を公共が 所有していた。これは拡大するヨーロッパ共同体にとって好ましくない。

とくにユーゴスラビアのクロアチア州とスロベニア州の「手つかずの市場」を確保するため、東部に向かい始めた新たな統一ドイツにとっては許容できなかった。ヨーロッパが1991年のマーストリヒト条約を結んだころには、損失を招くユーロ圏に彼らの計画を準備 するため秘密取引が結ばれていた。ドイツはクロアチアを承認するだろう。そのとき、ユーゴスラビアは破滅の運命にあった。

ワシントンでは、もがいているユーゴスラビア経済が世銀 の融資を拒否されたことを見ていた。当時ほとんど休眠し冷戦の遺物となったNATOが、帝国の用心棒としてモデルチェンジされた。フラン ス、ランブイエの1999年コソボ「和平」会談で、セルビアはその用心棒の二枚舌 の戦術の下に置かれた。ランブイエ合意は、米国代表団が最終日に挿入した秘密の付属文書Bを含んでいた。

これは、ナチ占領の苦々しい記憶 を持つ国であるユーゴスラビア全体の軍事占領の要求であり、また「自由市場経済」の実行とすべての政府資産の民営化の要求であった。主権 国家がこのようなものに署名するわけがない。すばやく懲罰がやってきた。無防備の国にNATO爆撃が襲いかかった。それは、アフガニスタンとイラク、シリアとリビア、そしてウクライナにおける破局の前兆だった。

1945年以来、国連加盟国の三分の一以上の69か 国が、アメリカの現代ファシズムの手によって以下に述べるようなやり方で一部ないしは全部が被害を被ってきた。

これらの国々は侵略され、 政府は転覆され、民衆運動は鎮圧され、選挙は妨害され、国民は爆弾に曝され、経済的な保護を剥奪され、社会はいわゆる「制裁」の包囲に よって不自由な条件下に置かれた。イギリスの歴史家マーク・カーティスは、それらによる死者を数百万人と見積もっている。いかなる場合にも、大きなデマ宣伝が繰り広げられてきた。

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ジョン・ピルジャー(John Pilger) ジョン・ピルジャー(John Pilger)

1939年オーストラリア生まれ、ロンド ン在住のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画作家。50本以上のドキュメンタ リーを制作し、戦争報道に対して英国でジャーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞、記録映画に 対しては、フランスの「国境なき記者団」賞、米国のエミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞している。ベトナム、カンボ ジア、エジプト、インド、バングラディッシュ、ビアフラなど世界各地の戦地に赴任した。邦訳著書には『世界の新しい支配者たち』(井上礼子訳、岩波書店)がある。また、過去記事は、デモクラシー・ナウやTUPなどのサイトにも多数掲載されている。

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