【特集】日航機123便墜落事件

日航123便墜落事故:読売新聞には自社のヘリのパイロットからも「御巣鷹山方面」との情報が入っていた

市民記者:小幡瞭介(おばた りょうすけ)

私の第四弾目の記事「2023年11月14日放送『ザ!世界仰天ニュース』について」では、1985年8月13日付『読売新聞』朝刊の見出しに「524人乗り日航機墜落」「御巣鷹山(群馬・長野県境)付近に」との文言が記載されていることを紹介した。

また、1985年8月13日付『読売新聞(大阪本社版)』朝刊4面に ≪午前2時10分 航空自衛隊から、墜落場所は群馬県多野郡上野村の御巣鷹山ろくとの情報が入る。≫と記載されていることも紹介した。

実は、読売新聞には自社のヘリのパイロットからも「御巣鷹山方面」との情報が入っていたことがわかる資料があるので、以下に紹介する。

日本新聞協会発行の雑誌『新聞研究』1985年11月号に、当時、読売新聞社社会部長だった後藤文生氏による以下の発言が記載されている。

≪ヘリはわが社でも非常に活躍しました。東京の二機と大阪の一機を投入して三機態勢を取り、初日には、午後八時四十分に離陸して夜間の現場撮影をしました。まだ場所が特定できないうちに、ヘリのパイロットは御巣鷹山方面といっていました。 これが朝刊の最終版、十四版に載ったわけです。≫

読売新聞には、航空自衛隊からだけでなく、自社のヘリのパイロットからも「御巣鷹山」との情報が入っていたのだ。

また、読売新聞の社史『読売新聞百二十年史』には、読売新聞のヘリコプターが墜落現場まで飛んだときの様子が書かれている。具体的には、以下の通り記載されている。

≪午後八時四十分、機報部航空課員・田原公圀操縦のヘリで社会部員岸洋人と写真部員金森寺義寿が羽田を離陸した。「現場は長野県北相木村のようだ」という本社からの無線連絡で、ヘリは秩父の山を越えた。暗やみの中、三国山らしい山を越えたとたんに山中にチラチラと火が見えた。(中略)長さ二キロ、幅五百メートルにわたり火の手が上がり、立ち木が燃えていた。機体の下を照らす照明は煙で役に立たない。熱風による乱気流にガブられながら約十五分、金森寺はシャッターを押し続けた。岸は、帰途ヘリから無線で雑観記事を送り、羽田に帰着したのは午後十時四十分。暗黒の中に燃える機体の写真と記事は十三版から入った。≫

上記の記述から、『新聞研究』で後藤氏が言及した「ヘリのパイロット」は田原公圀氏のことだったとわかる。しかし、田原氏が「御巣鷹山方面」と述べたことや、その情報が朝刊の14版から載ったことについては『読売新聞百二十年史』には一切書かれていない。一体なぜだろうか。不思議である。

読売新聞や、読売新聞グループの一員である日本テレビには、今後、上記の情報について詳しく報道していただきたい。

ところで、私の第一弾目の記事「日航123便墜落事故と時事通信、共同通信、NHK」では、123便がレーダーから消えたとき、羽田空港にはNHK記者と時事通信記者がおり、情報を受けた彼らはそれぞれNHK社会部、時事編集局社会部に一報を伝えたことを紹介した。

事故当時NHK社会部記者だった池上彰氏は、自身の著書『ニュースの現場で考える』の中で以下のように述べている。

≪このとき、羽田空港にいたNHKの記者から、「羽田発大阪いきの日本航空のジャンボジェット機が、レーダーから消えた」という一報が入ったのです。≫

ところが、上で紹介した『新聞研究』1985年11月号には、それとは矛盾する情報が載っている。

同書には、事故発生時、羽田空港にいた清水喜由氏による記事「羽田常駐記者からの報告」が掲載されている。清水氏は当時、時事通信記者だった。当該記事の中で、清水氏は以下の通り述べている。

≪事故発生の一時間前までは三光汽船問題で山下運輸大臣が羽田空港に到着したため、民放テレビ局をはじめ各社がいたが、発生時は時事通信のみだった。≫

なんと、清水氏は「発生時は時事通信のみだった」と明言しているのだ。清水氏の証言は、池上氏の証言と矛盾している。事故発生時、羽田空港にはNHK記者もいたはずだが、なぜ清水氏は「時事通信のみだった」と述べたのだろうか。不思議である。

清水氏は、2017年にも同様の旨を述べている。堀越豊裕氏の著書『日航機123便墜落 最後の証言』に、2017年、堀越氏が清水氏に取材した際の情報が載っている。同書には、以下の通り記載されている。

≪当時、羽田空港には時事と共同通信、NHKが常駐していたが、清水によれば共同は別の仕事に駆り出されることが多く、実際には半常駐のような形だった。NHKは事故当日、記者がたまたま別件でおらず、清水だけが羽田にいた。≫

清水氏は2017年にも「自分だけが羽田にいた」と述べているのだ。

なお、航空評論家・前根明氏は産経新聞の取材に対して以下の通り述べている。

≪御巣鷹の事故のあの日は積乱雲が多かった。ロッキードのL1011(トライスター)で羽田-函館と羽田-秋田を飛び、羽田空港に帰ってきて休んでいたところにNHKの記者から事故の一報が入りました。≫

やはり、事故発生時、羽田空港には清水氏だけでなく、NHK記者もいたのだと思われる。

ところで、堀越豊裕氏は上で紹介した『日航機123便墜落 最後の証言』の中で≪もし当局が何か重大な事実を隠蔽しているのなら、それを掘り起こし表に出すためにジャーナリストがいる。いまだに事故原因をめぐり諸説ある状況をどうみるのか。実際には何が起こったのか。≫と述べている。私は、堀越氏の姿勢に強く共感し、氏の今後の活躍にも期待している。

一刻も早く真相が明らかになることを願っている。

【参考文献】
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故:2023年11月14日放送『ザ!世界仰天ニュース』について”. ISF独立言論フォーラム. 2024年6月7日公開. https://isfweb.org/post-38350/ (参照 2024-09-21)

• 524人乗り日航機墜落 航空史上空前の大惨事 御巣鷹山(群馬・長野県境)付近に. 読売新聞. 1985-08-13. 朝刊, p.1.

• 「緊急、ドア壊れた 羽田に引き返したい」機長 ドキュメント. 読売新聞(大阪本社版). 1985-08-13. 朝刊, p.4.

• 木谷隆治、柴田鉄治、山木祐司、後藤文生、樋口正紀. <座談会>空前の惨劇を糧として. 新聞研究. 1985. 11月号. p.10-23.

• 読売新聞社. 読売新聞百二十年史. 読売新聞社. 1994. p.407-411.

• 読売新聞社. “グループ会社一覧”. 読売新聞の会社案内. https://info.yomiuri.co.jp/group/company.html(参照 2024-09-21)

• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故と時事通信、共同通信、NHK(市民記者記事)”. ISF独立言論フォーラム. 2024年1月24日公開. https://isfweb.org/post-32490/ (参照 2024-09-21)

• 池上彰. ニュースの現場で考える. 岩崎書店, 2004, p.135-136.

• 天野岩男. リレーエッセー 日航ジャンボ機墜落① 「レーダーから消えた」 特ダネと知らずにフラッシュ. 日本記者クラブ会報. 2005, 426, p.9. https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/2005/08/jnpc-b-200508.pdf (参照 2024-09-21)

• 清水喜由. 羽田常駐記者からの報告. 新聞研究. 1985. 11月号. p.38-40.

• 堀越豊裕. 日航機123便墜落 最後の証言. 平凡社, 2018, p.260-268.

• 【話の肖像画】航空評論家・前根明(2)米国で御巣鷹の教訓生きる. 産経新聞. 2015-05-12, 産経ニュース. https://www.sankei.com/article/20150512-RYXFY6KQQRI2NPXJWDPIGAWAYU/2/ (参照 2024-09-21)

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