【特集】日航機123便墜落事件

日航123便墜落ご遺族・裁判原告の吉備素子さんへのインタビュー ご夫君の死を巡る「真実探究」から「戦争廃絶」へ 嶋崎史崇

嶋崎史崇(市民記者・MLA+研究所研究員)

(写真はご本人提供)

39年後も残る謎の数々

今年8月で、日航123便墜落から、39年が経過しました。520人が亡くなった単独機としては史上最大規模の「事故」です。公式見解としての「圧力隔壁破壊説」に対しては、生存者の証言や健康状態、機内写真の状況との大きな不一致、他の類似した事故との不整合等、非常に多くの疑問が突き付けられています。それ以外にも、次のような不可解な謎が山積しています。
・事故現場が当日早くから特定されていたのに救助が遅れたこと
・123便を追尾していた戦闘機の目撃情報
・米軍による支援申し出を日本側が断ったこと
・流出したボイスレコーダーの改ざんが強く疑われていること
・公式記録であるはずのボイスレコーダーが事故当事者の日航に返却されたこと
・事故調査報告書の付録にも明記された11トンもの「異常外力」の存在
・相模湾で見つかった機体の残骸があえて引き揚げられなかったこと

例年に比べて今年は、123便墜落の自衛隊誤射説と日本経済墜落の関係を問い直す森永卓郎さんの『書いてはいけない』(三五館シンシャ)が、27万部を超えるベストセラーになり、注目を集めています。それに加えてご遺族が、真の事故原因を知るため、日航に対してボイスレコーダーおよびフライトレコーダーの開示を求めた訴訟が、3月に最高裁で上告を棄却される等、大きな変化がありました。東京地裁・東京高裁から最高裁に至る裁判の過程は、青山透子さんの『日航123便墜落事件 JAL裁判』(河出書房新社、2022年)と『日航123便墜落事件 隠された遺体』(同、2024年)で、克明に記録されています。後者には、地裁から最高裁上告棄却までの記録がそのまま転載されており、このインタビューでも参考にさせていただいています。

2度目の遺族として、苦難の日々

司法的な解決が難しくなっている中、ご遺族・原告として裁判を闘われ、「日航123便墜落の真相を明らかにする」会の会長でもある吉備素子さんに、2時間弱にわたってお話を伺うことができました。

吉備さんは1942年に朝鮮で生まれ、引き揚げで大変なご苦労をされました。お父様が南方で戦死される、という悲劇にも見舞われました。製薬会社勤務の雅男さんと結婚し、子宝にも恵まれ、幸せな日々を過ごしていた85年8月12日、雅男さんは123便の旅客として帰らぬ人となりました。まだ45歳の働き盛りでした。吉備さんは心ならずも2度目の遺族となり、苦難の日々が始まりました。無理もないことですが、今でも吉備さんにとって8月は今でも「嫌な月」なのだそうです。雅男さんにつけられた戒名「玅響院釋了信」は「言いたいことがあり、世の中に響いてほしい」という意味だそうです。墜落を巡る様々な疑惑が明るみに出る前に決められた戒名と伺いましたので、大変運命的なものを私は感じます。

数々の異常事態の発生

当初から吉備さんにとって、123便墜落は、たくさんの「なぜ、どうして」に満ちていました。十分に調査する前に、遺骨が荼毘に付されそうになったこと。警察関係者に吉備さんが「事故原因を追及したら戦争になる」と脅されたこと。ご遺体に対する杜撰な扱いに抗議するため、首相官邸に共に行こうと吉備さんに呼び掛けられた日航社長が「自分は殺される」と震え上がったこと。補償金を受け取るための和解文書に、これ以上の異議を述べない、といった条件が付されたこと。退職した元警察関係者から「監視しているぞ」と電話で告げられたこと。もし通常の事故なのだとしたら、ありえない不可解なことばかりでしょう。

青山透子さんとの出会い

吉備さんがこうした多くの疑問を抱えて釈然としない日々を過ごしていた中、2010年に最初の著書『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド)を出した青山さんとの出会いがありました。日航元客室乗務員として多くの同僚を亡くし、ご自分が123便に搭乗していてもおかしくなかった、という人ごとならぬ境遇です。研究者である青山さんの一連の著作が長年の疑問を客観的に解き明かしてくれたことに、吉備さんは「感謝しかない」といいます。真の事故原因究明を求めて、吉備さんが日航123便のボイスレコーダー・フライトレコーダー開示の訴訟に東京地裁で2021年に踏み切ったことについても、優秀な弁護団の他に、支援者としての青山さんの存在が大きかった、と振り返ります。

日本に三権分立なし?

原告側は、ボイスレコーダー・フライトレコーダーは、雅男さんがどのように亡くなったのかについての個人情報・自己情報を含み、雅男さんを「敬愛追慕」する遺族にとっても重要な情報である。また被告は運送約款上の安全配慮義務を果たせなかったことへの説明責任がある、という主張を展開しました。

ところがこの一連の訴訟もまた異例ずくめでした。もう1人の原告だった123便副操縦士の姉が、日航元社員が事務局長を務める老人ホームに入居後、地裁訴訟の途中で連絡が取れなくなり、突然原告から降りたこと。原告側の話に真摯に耳を傾けてくれた地裁の裁判長が、訴訟の後半で突如として交代になったこと。吉備さんの陳述を含む重要なDVDが、レターパックで裁判所と日航側弁護士に十分に余裕を見て送ったのに、両方とも期限までに届かなかったこと。

こうした不可解な出来事が連続する中、地裁も高裁も、ボイスレコーダーとフライトレコーダーは機長らの声および飛行経路の記録であって、雅男さんの個人情報でも公文書でもなく、事故調査報告書でボイスレコーダーの内容も含め全て説明されている。しかも日航側と既に和解が成立していて、請求する権利はない、といった判決を下しました。既に述べた通り、24年3月には、単なる「事実誤認」または「法令違反」の訴えなので最高裁への上告理由に当たらない、という決定が下されました。「日本は三権分立がなく、ほぼ行政だけしかない」という吉備さんの鋭いご指摘は、この裁判だけに当てはまるものではないでしょう。

非情な結末になりましたが、「裁判に持ち込めただけでもありがたい、自分だけではできなかった」と吉備さんは前を向いています。実際に、この123便墜落に非常に大きな疑惑が存在していることを全く知らない人はいまだに少なくないと考えられ、それを知らしめる効果は、確実にあったと私も思います。大手メディアの消極的な報道姿勢は残念ですが、地元紙の『上毛新聞』や『女性自身』のように、持続的に丁寧な報道をしているところもあります。

『女性自身』「【御巣鷹山から37年】「なぜ、救助は翌朝に?」天国の夫に誓う墜落の真相究明」、2022年8月7日。https://jisin.jp/domestic/2124319/

9月4日に衆院議員会館で登壇

上告棄却により、司法的解決は難しくなりました。そのような中、9月4日に衆院第2議員会館で開かれた「オールジャパン平和と共生」主催のシンポジウムに吉備さんが足の不調を押して、お住まいの関西から参加したのは、「できるだけ多くの人に知ってもらう」ための行動でした。123便の問題に造詣が深い原口一博・衆院議員をはじめ、野党各党の議員に対して、再調査を切実に呼び掛けました。吉備さんにとっては、国会議員にすら本当のことが伝わっていないのは驚き、とのことでした。この催しの動画は、ISFにも転載されています。
「【ライブ配信】消費税廃止!災害・食糧・消費税 総選挙で日本政治をアップデート2024/9/4 登壇者 鳩山由紀夫 穀田恵二 植草一秀 原口一博 たがや亮 末松義規 川内博史 山田正彦 ほか」、2024年9月6日公開。https://isfweb.org/post-42962/吉備さんや青山さんのご発言は、32分ごろからです。

真相究明なくして許しなし

123便墜落から39年がたちますが、時間がたったからといって、許せるものではないし、責任の所在を曖昧にして許していいものでもない、と私は思います。吉備さんが真の事故原因の究明にこれほどまでに尽力してきたのも、何が本当のことなのかわっていないと、許すことはできないからでしょう。別の遺族である小田周二さんの執念をもって書かれた著作『永遠に許されざる者』(文芸社、2021年)を私は想起しますが、まさに真相究明なくして許しなし、といえるでしょう。

「戦争を阻止したい」

最初に言及した通り、吉備さんは戦争遺族でもあります。戦後40年の年に、123便墜落により、最愛の夫を奪われました。こういった事情もあり、吉備さんは、現状の軍事費増加や改憲の動きに鑑み、今度は息子さんやお孫さんが戦争に奪われるのでは、と恐れています。だから何としても「戦争を阻止したい」と力強く語られました。

なぜ吉備さんがこのように考えるのかといいますと、123便墜落に際して、国側は多くの疑問に対するまともな説明もなしに、初めから特定の結論を唯一の事故原因として押し付けてきたからです。そのため、このままでは多くの国民が「ちゃんとした説明なしに、何も知らされずに、いずれ戦争に召集されるのでは」という懸念です。「国民の命をもっと大事にして」という吉備さんの呼び掛けは、歴史に残る大事故の被害者からのものだけに、特に重く響きます。本来は共有財産であるはずのレコーダーを日航に丸投げし、主権者たる国民に対して十全な説明責任を果たさない政府に(事故調査を行う運輸安全委員会は、国土交通省の外局)、どれだけ正統性があるのかどうか、改めて問い直すべきでしょう。吉備さんの闘いは、ご自分と雅男さん、および他のご遺族のためだけではない公共的射程があるといえます。

ISFの理念は周知の通り「真実探究」と「戦争廃絶」ですが、私は様々な問題についての真実を探求することなしに、戦争を廃絶することはできない、と解釈しています。「戦争の最初の犠牲者は真実」という警句もあります。森永卓郎さんが相当な根拠を持って推測するように、日航123便墜落に関する責任を米国側に背負ってもらうことで、日本が米国への従属を強いられるようになったと仮定してみましょう。森永さんはプラザ合意に代表される経済政策を重視していますが、同様の対米従属という意味では、近年の集団的自衛権の限定的容認や敵基地攻撃能力導入、武器輸出解禁等の戦争路線驀進もその結果ではないか、と推測することもできるでしょう。もしそうだとしたら、冒頭で言及した「事故原因を追及したら戦争になる」という脅しとは逆に、事故原因を解明して従属のくびきを断ち切ることが、戦争の防止につながる、ということになるでしょう。安易に決定的な真相を断定できませんが、こうした合理的に考えて持たざるを得ない疑いを晴らすためには、レコーダーの記録をはじめ、情報開示を徹底するしかないと思われます。

米国との関係に関連して、ジャーナリストの櫻井春彦氏は、1995年に米軍準機関紙『星条旗新聞』に掲載されたアントヌーチ証言を重視しています。85年当時在日米軍パイロットだったマイケル・アントヌーチ氏が、米軍は123便の墜落現場をいち早く特定し救助に入るところだったが、日本側の要請により撤退を強いられた、と10年後に暴露したのです。櫻井氏は、こうした隠蔽工作を弱みとして握られたことで、日本は米国の「戦争マシーン」に組み入れられていった、と解釈しています。

櫻井ジャーナル「JAL123便墜落に関する詳細な記事を墜落から10年後に米軍準機関紙が報道した謎」、2023年8月13日。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308130000/

テレビ朝日番組「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)」
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg&t=2s

なぜ裁判を闘い抜けたのか

私は吉備さんに―様々な異常な圧力の中、無理もないことですが―なぜ他のご遺族と違い、ただ一人、最高裁までの裁判を闘い抜けたのか、とお尋ねしました。それに対するお答えは、やはり朝鮮からの、屍を乗り越えるような、飲まず食わずの引き揚げに始まる自分の「生い立ち」であろう、とのことでした。だからこそ、123便墜落後の遺体安置所で、無残にもバラバラになってしまった多くのご遺体の中から、雅男さんを探し続けることにも、躊躇はなかったといいます。既に戦時中にお父上を失っており、遺骨も見つからなかったことから、何としても雅男さんのご遺体を返してほしかったのです。実際には、必死の探索にもかかわらず、手と足等の部分しか見つけられなかったという事実には、39年後の今聞いても胸が締め付けられる人が多いでしょう。なお既に言及しましたが、3冊ものご著書を執筆し、独自の視点で123便墜落の追及を行ってきたもう一人のご遺族としては、小田周二さんが挙げられます。

私がお話を伺った印象では、吉備さんは常にはっきりとした受け答えをしてくださり、今年で82歳という実年齢を感じさせないほどでした。ご苦労に満ちたこれまでの人生にかかわらず、どことなく明るさ、前向きさ、強さも感じられました。朝鮮からの引き揚げに際して、いつも笑顔で機嫌が良かったので、お母さまに「あなたは周りに生きる力、元気を与える」と評されたことが、今なお的中しているようです。現在もなお、ご自身の経験を生かして、交通事故や自然災害のご遺族に対するカウンセリングのお仕事を続けられていることには、頭が下がります。ご自分のつらい体験を、人の苦悩に耳を傾けるための道としているからです。

人ごとではない問題

最後にこのインタビュー読者に伝えたいことをお聞きしますと、「皆さん、助けてください、それぞれの立場で動いて応援してください。過去の事故の原因究明をちゃんとしないで、飛行機に乗り続けることは危ないです」との切実な訴えがありました。今年1月2日には羽田空港で日航機と海上保安庁機の衝突事故があったように、多くの
人が突如として被害者になるかもしれない、人ごとではない問題です。

私たち日本に暮らす市民の多くが関心を持つことこそが、真相究明には必要であろうと思われます。このことを確認して、吉備さんが39年間探し続けてきた真実を見る時が来ることを祈りつつ、この記事を閉じさせていただきます。

※このインタビューは、9月15日に、電話にて行われました。吉備さんとの連絡を仲介してくださった「日航123便墜落の真相を明らかにする会」の皆さま、および取材依頼を取り次いでいただいた真田信秋さんと岡田元治・ISF代表理事に感謝致します。

 

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嶋崎史崇(市民記者・MLA+研究所研究員) 嶋崎史崇(市民記者・MLA+研究所研究員)

しまざき・ふみたか 1984年生まれ。MLA+研究所研究員。東京大学文学部卒、同大学院人文社会系研究科修士課程(哲学専門分野)修了。ISF独立言論フォーラム会員。著書に『ウクライナ・ コロナワクチン報道にみるメディア危機』(本の泉社、2023年6月)。記事内容は全て私個人の見解。主な論文は、以下を参照。https://researchmap.jp/fshimazaki 記事へのご意見、ご感想は、以下までお寄せください。 mla-fshimazaki@alumni.u-tokyo.ac.jp

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