【連載】無声記者のメディア批評(浅野健一)

第3回 無為無策の岸田内閣支えるキシャクラブメディアの犯罪

浅野健一

・内閣記者会の劣化でますます空洞化する首相会見

岸田氏は「聞く力」を標榜するが、国会に対立法案を出さず、質疑では何もしないを意味する「検討する」を繰り返す不誠実な答弁が目立った。活舌が悪く日本語がうまく話せない菅氏の方が、誠実に対応していたようにさえ見える。

岸田氏は、たまにしか開かない記者会見でも安倍・菅両氏の時より、十分な時間を取らず、アドリブで答えているように偽装しているが、官邸官僚が用意した想定問答集を読むだけだ。その一方で、自分が好むテレビ局などを選んで単独インタビューを受け、保守系ジャーナリストの個別取材に応じるなど、安倍氏のメディア操作術を踏襲している。

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私は3月末以降の共同通信配信の「首相動静」記事をすべて見たが、岸田氏は元共同通信編集局長の後藤謙次氏(4月11日)、ジャーナリストの桜井よしこ氏(週刊新潮の企画用、5月9日)、田原総一朗氏(5月19日)の取材を受けている。

岸田氏は報道機関も選別している。テレビ東京の報道番組への出演(4月26日)、日本テレビの報道番組の収録(5月13日)、日本経済新聞のインタビュー(5月20日)を受けている。

コロナ禍で、首相の高級飲食店での会食は、菅氏が21年12月14日夜に自民党の二階俊博幹事長(当時)らと都内で5人以上での会食を行い、批判を浴びたことから、同年12月16日の経済人との会食を最後に、会食を自粛していた。

ところが、岸田氏は昨年11月17日朝、東京・虎ノ門のホテル内にある日本料理店で野村証券の奥田健太郎社長ら財界人と会食。その後、頻繁にホテルなどの高級飲食店で朝食会を開催。今年3月29日夜には、東京・紀尾井町の日本料理店「福田家」で、十倉雅和経団連会長ら財界人6人と会食。その後は、料亭、ホテル内の高級飲食店で、甘利明自民党前幹事長、二階俊博元幹事長ら自民党内の有力者や財界人との会食を重ねている。

2022年4月7日には、東京・大手町の会員制クラブ「クラブ関東」で村岡彰敏読売新聞東京本社副社長、原田亮介日本経済新聞社論説主幹、梅野修元共同通信社編集局長、渡辺祐司時事通信社主筆、小菅洋人スポーツニッポン新聞社社長、赤座弘一静岡第一テレビ社長と2時間会食した。これは、安倍氏がメディアの論説幹部を招いて会食を続けたのと同じ方式だ。

6月3日夜には、東京・大手町の読売新聞東京本社のビューラウンジで渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆、井上信治前万博相、城内実自民党衆院議員と1時間半会食した。

岸田氏が会食でよく通うのが東京・恵比寿のステーキ店「ピーター・ルーガー・ステーキハウス東京」、東麻布の中国料理店「富麗華」、猿楽町のフランス料理店「レストラン・パッション」赤坂のふぐ料理店「いづみ」、六本木の「ステーキハウスハマ」、銀座のすし店「鮨あらい」などだ。他に都内の有名ホテル内の鉄板焼き店なども使っている。一人数万円の飲食費は税金で払っているのだろうか。

・安倍政権で会見が変化したのは事実か

22年2月7日付の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」に、平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)が2月5日に開いたシンポジウム「市民と野党の共闘の前進をめざして」に関する記事が1面に載った。記事によると、日比野敏陽京都新聞編集委員(東京支社編集部長、元新聞労連委員長)は<安倍政権以降、官邸記者クラブは変質し、政権への追及がない。その帰結が今回の選挙報道にあらわれた>と発言。3面には、<メディアの変質重大>と題した記事(顔写真付き)が載っている。ここで、日比野氏は次のように語っている。

安倍政権時代、首相官邸の記者クラブの変質がすごい。官邸が日本の中枢の記者クラブへのグリップ(物事を握る)を強め、(記者が)厳しい追及をしない。首相官邸の記者クラブには150社程度が加入していますが、日ごろから会見に出ているのは19社プラス10社。2020年3月以降、新型コロナウイルス対策を理由に官邸当局が制限をかけ、記者会見に出られるのは全国紙、在京テレビなどで、それ以外の10社はくじで、各社1人と制限をかけています。

昨年、地方紙約20社で「制限をやめてくれ」と官邸に申し入れたいと全国紙グループに伝えましたが「官邸の記者クラブで一致できない」と言われました。何が問題かというと安倍・菅政権の中で、メディア側が「それでいい」と思ってしまっていることです。「官邸と角を突き合わせたくない」と一致した意見にならない。その帰結として現れたのが、今回の選挙ではないかと思います。

日比野氏は<首相官邸の記者クラブ>が安倍・菅政権の9年間で変質したと指摘しているが、私は「記者クラブ」は戦後、本質的に変わっていないと思う。一方、記者たちが「社畜」(故・北村肇毎日新聞記者)化したのは事実だ。

Press club

 

安倍氏は20年4月17日の首相会見で、フリーランスで参加した畠山理仁氏が「記者クラブ制度」について聞いたのに対し、「今まで、まさにこの時代の流れにおいて、メディアが全てカバーしているかと言えば、そうではない時代になり始めましたよね。その中でどう考えるかということについては、まさに、皆様方に議論をしていただきたい」と答えている。

ところが、日比野氏も含め、内閣記者会の記者たちが、現職首相が提唱した「記者クラブ問題」の議論を始めたという形跡はない。

昨年、内閣記者会非常勤社の地方紙約20社が制限撤廃を求めたことは、私も「紙の爆弾」21年9月号などで詳しく書いているが、<全国紙グループ>という集団はない。記者会は官邸側の人数制限に関する官邸側との交渉について、私の質問に詳しく回答した。

常勤幹事社が制限撤廃要求に合意できない時期があったが、内閣記者会は記者会の総意として、昨年9月30日に再質問を控えることとしている現行規制の撤廃、緊急事態宣言の解除を踏まえた記者席の拡大を申し入れている。記者会は一致して、官邸報道室に制限撤廃を求めている。京都新聞などの要求は理解できるが、そもそも首相会見が官邸と記者会の間で、人数制限を撤廃できていないことが問題だ。

記者クラブ制度は“報道界のアパルトヘイト”であり、常勤幹事社ではない自分たち非常勤幹事社を“名誉白人”として参加を認めてほしいと懇願する姿勢では、人民の知る権利に到底応えられない。私のようなフリー記者は会見に参加できない。私は日比野氏に書面で質問書を送ったが、日比野氏は発言を正当化した上で私を激しく非難し、「記者クラブ問題は見解の違いだ」と回答してきた。

日比野氏は20年5月、新聞労連などが主催したシンポジウムで、パネリストの新聞記者が「私は記者クラブ制度の維持派だ」と発言したことに反論の投稿をしたのに対し、「上から目線で言うな」「現場で闘うことが大事だ」などと非難している。

私は2月10日、日比野氏にメールでも質問書を送ったところ、「貴殿の書いていることこそ、事実誤認ばかりで議論する気も起きない」「取材もしないで私にいろいろ言及されるのはやめていただきたい。与太話もほどほどにしてはどうか」「『記者クラブの変質』については見解の相違だろう」「いずれにしても、今後も貴殿とは議論をしないので、悪しからずご了承ください」と回答してきた。

・野球場は満員なのに首相会見は記者29人制限のまま

官邸での首相会見の人数制限が始まって以降、記者会見で質問できなかった報道機関は書面で質問事項を送り、首相が書面回答するというルールがあるが、岸田氏は4月26日の会見後、東京新聞など4社から提出された書面による質問を受け付けなかった。岸田氏は4月29日から5月6日までベトナム、タイ、イタリア、イギリスを歴訪するためと理由を説明した。

松野博一官房長官は4月27日の記者会見で「会見の状況や業務の状況などを勘案して、その都度判断している」と説明した。官邸報道室は5月9日、業務の状況などによって対応できない場合があると口頭で回答した。報道各社は自公政権に完全になめられている。

岸田氏は通常国会の閉幕した6月15日午後6時から官邸で記者会見を開いた。司会は四方広報官。岸田氏は冒頭発言で、ロシアのウクライナ侵略でウクライナを支援すると表明し、日本の首相として初めて、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に出席する。欧州とインド太平洋の安全保障は不可分であり、力による一方的な現状変更は、世界のどこであれ認められないということを訴える」と表明した。

また、「防衛力の抜本的強化も含め日米同盟を新たな高みに引き上げる」と強調した。さらに、「ロシアによるウクライナ侵略が世界各国で国民の懐を直撃しています。正に、ロシアによる価格高騰、有事の価格高騰だ」と述べ、物価高をロシアの責任に転嫁した。

質疑応答では四方氏が「1人1問」と条件を告げ、幹事社の朝日新聞・池尻記者、ジャパンタイムズ・高原記者を指名した。高原氏は「参院選の勝敗ライン」を聞き、岸田氏は「非改選の議員も含めて与党で過半数」と答えた。その後、幹事社以外の記者を指名した。NHK・長谷川記者の次に指名された毎日新聞・高橋記者は「憲法改正」を聞いた。岸田氏は自民党の改憲4項目を挙げ、「選挙公約の重点項目の一つとして憲法改正をしっかりと掲げる」と答えた。

この後、中国新聞・樋口記者が6月下旬に開かれる核兵器禁止条約の第1回締約国会議に出席を考えていないかを質問。岸田氏は「参加は考えていない」と断言した。続いて、ロイター・杉山、テレビ東京・篠原、時事通信・石垣の各記者が質問。石垣氏は岸田派で自民党を離党した吉川赳衆院議員の18歳女性との飲酒問題を聞いた。

四方氏は「あと2問とさせていただく」と告げ、ニコニコ動画の七尾記者がいつものように「連日お疲れさまです。よろしくお願いします」と言って質問した。記者が首相に慰労の言葉から始める民主主義国は日本以外にはないだろう。その後、産経新聞・田村記者が「参院選の勝敗ラインは」と聞き、岸田氏は「非改選の議員も含めて与党で過半数だ」と答えた。

ここで、四方氏が「それでは、以上をもって、本日の記者会見を終了させていただく」と発言すると、フリー枠で後方席にいた江川紹子氏が「質問があります、もう少し答えてください」と声を上げた。

四方氏は「恐縮だが、現在挙手いただいている方については、後ほど1問、担当宛てにメールにてお送りください。後日、書面にて回答させていただく。御協力ありがとうございました」と閉会を告げた。

江川氏は「直接答えてください」と2回叫んだ。その間、岸田氏は江川氏の方をにやけた顔で見ながら無視し、四方氏に促されて会見場を去った。

会見は58分で、記者の質問に全く迫力はない。岸田氏は物価高をロシアの責任に転嫁。また、「防衛力の抜本的強化も含め日米同盟を新たな高みに引き上げる」と述べ、6月下旬に開かれる核兵器禁止条約の第1回締約国会議に不参加を表明した。戦後政治の大転換が進行しているのに、記者は追及しない。

今回の首相会見も、狭い会場で人数制限が撤廃されなかった。コロナ感染者がかなり減り、政府はスポーツなどイベントの人数制限を撤廃し、日常に戻るとしているのに、官邸の会見会場の見直しはない。記者会は抵抗したのだろうか。

 

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浅野健一 浅野健一

1948年、香川県高松市に生まれる。1972年、慶應義塾大学経済学部を卒業、共同通信社入社。1984年『犯罪報道の犯罪』を出版。89~92年、ジャカルタ支局長、スハルト政権を批判したため国外追放された。94年退社し、同年から同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。2014年3月に定年退職。「人権と報道・連絡会」代表世話人。主著として、『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『客観報道』(筑摩書房)、『出国命令』(日本評論社)、『天皇の記者たち』、『戦争報道の犯罪』、『記者クラブ解体新書』、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』がある。

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