日航123便墜落事故:「標的機の破片に似た物体」の目撃情報について(森永卓郎氏著『書いてはいけない』の書評もあり)
社会・経済今回の記事では、「標的機の破片に似た物体」の目撃情報に関する情報と、森永卓郎氏の著書『書いてはいけない』の書評を述べる。
まず、「標的機の破片に似た物体」の目撃情報に関する情報について述べる。
日本共産党中央委員会が発行している『前衛』という雑誌の1986年1月臨時増刊号に、1985年11月19日〜24日に開催された日本共産党第17回大会における代議員や評議員などの発言が記載されている。
同書には、大会3日目(1985年11月21日)に行われた「党綱領の一部改正についての討議」における代議員、評議員の発言も記載されており、そのうちの1つに三島良夫氏の発言がある。
三島氏は、以下の通り述べている。
≪「航空の安全が行動綱領に…」感無量
東京 三島 良夫
さる八月十二日発生した日航ジャンボ機の墜落事故は、単独の航空機事故としては世界航空史上最大の惨事となりました。(中略)
事実、相模湾に落ちた浮遊物のなかに自衛隊の標的機の破片に似た物体を見たという人もおり、また、ジャンボ機の尾翼がこわれ飛行中、米軍機ハーキュリーが横田基地に着陸しようとしていたのを途中でやめ、ジャンボ機の後を追いかけて飛んでいったという話もでています。大韓航空機撃墜事件のときの情報公開の早さにくらべて、今回は日本の内陸での事故だというのに、米軍、自衛隊の情報はくわしく公開されていません。(中略)
航空の安全、健全な民間航空の発展をめざして、私たち航空労働者は団結して、こんごもたたかっていきます。≫
なんと、三島氏は、「相模湾に落ちた浮遊物のなかに自衛隊の標的機の破片に似た物体を見たという人もいる」と述べているのである。
私は、「墜落現場にオレンジ色の物体があった」という情報は見聞きしたことがあるが、上記の情報は一度も見聞きしたことがなかった。
今後は、上記の情報について深掘りしていく必要があるのではないだろうか。
●森永卓郎氏著『書いてはいけない』の書評
以下に、今年の3月9日に発売された『書いてはいけない』(著者:森永卓郎)の書評を述べる。
『書いてはいけない』では、青山透子氏の著書『日航123便 墜落の新事実』、『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』、『日航123便墜落 遺物は真相を語る』や、123便の遺族の1人である小田周二氏の著書『永遠に許されざる者』、『524人の命乞い』が紹介されており、123便墜落事故について詳しく知らない人でも、とっつきやすい内容となっている。
また、1994年9月25日にテレビ朝日の『ニュースステーション』が放送した「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇」という特集の内容についても紹介されており、米軍の動きについても詳しく知ることができる内容となっている。
『書いてはいけない』を読めば、123便墜落事故に関する疑問点や、青山透子氏・小田周二氏の考察を同時に知ることができるため、同書は、123便について詳しく知らない人には最適の本といえるだろう。
なお、私の第四弾目の記事「2023年11月14日放送『ザ!世界仰天ニュース』について」でも述べたが、『書いてはいけない』に記載されている以下の①②③④の情報はすべて、昨年10月、私が森永卓郎氏に提供した情報である。
①『放送人の会 NO・18』掲載の大村公夫氏の回顧録(http://www.hosojin.jp/kaihou/18.pdf)
②1985年8月13日付『読売新聞(大阪本社版)』掲載の≪午前2時10分 航空自衛隊から、墜落場所は群馬県多野郡上野村の御巣鷹山ろくとの情報が入る。≫との記述
③1985年8月13日付『パウリスタ新聞』掲載の時事至急電
④1985年8月12日付のアメリカ・ノースカロライナ州の新聞『The Dispatch』掲載のAP通信記事と、その記事の翻訳文(『書いてはいけない』に掲載されている翻訳文は、私が作成した翻訳文である)
また、『書いてはいけない』には、私の名前が一切書かれていなかったので、今年の3月25日、私は森永氏に、私の名前を『書いてはいけない』に加筆してくださるようメールで依頼した。
森永氏からは、3月25日当日に返信があったが、その内容は私の依頼を断るものであった。
森永氏の対応は非常に残念である。しかし、『書いてはいけない』がベストセラーとなり、私が調べ上げた情報である上記①②③④の情報が全国に知れ渡ったこと自体は、喜ばしいことであると感じている。
森永氏には、今からでもよいので、紙書籍版と電子書籍版の『書いてはいけない』に私の名前を加筆していただきたい。
ところで、『書いてはいけない』の145ページには以下の通り書かれている。
≪そして、青山透子氏は2020年7月に出版した著書『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』(河出書房新社)のなかで、航空事故調査報告書の別冊に重要なデータを発見したことを明らかにした。
この別冊とは、2013年2月に運輸安全委員会のホームページに突然アップされたものだ。航空事故調査委員会の報告書が発表されたのが1987年だから、26年も経ってから別冊が公表されたことになる。そして、この別冊には、「異常外力の着力点」が図示されているのだ(次ページ参照)。≫
上記の通り、『書いてはいけない』には≪航空事故調査委員会の報告書が発表されたのが1987年だから、 26年も経ってから別冊が公表されたことになる≫と記載されている。
しかし、私の前回の記事でも紹介したが、川地俊一氏による1991年出版の博士論文『高サイクル疲労における微小き裂の進展特性に関する研究』の76ページには、以下の通り記載されている。
≪参考文献
(中略)
(3)運輸省航空事故調査委員会,航空事故調査報告書,62-2(1987).
運輸省航空事故調査委員会,航空事故調査報告書付録,別冊(1987).≫
1991年出版の川地氏の博士論文には≪別冊(1987)≫と明記されているのである。
この情報は、より広く周知されるべきだろう。
来年の8月12日までには事故の真相が明らかになることを願っている。
【参考文献】
• 日本共産党、中央書籍株式会社. 党綱領の一部改正についての討議. 前衛 : 日本共産党中央委員会理論政治誌. 1986. 1月臨時増刊(530). p.298-338. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2755963 (参照 2024-11-15)
• 森永卓郎. 書いてはいけない 日本経済墜落の真相. 三五館シンシャ. 2024. 203p.
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故:2023年11月14日放送『ザ!世界仰天ニュース』について”. ISF独立言論フォーラム. 2024年6月7日公開. https://isfweb.org/post-38350/ (参照 2024-11-15)
• 大村公夫. 85・8・12 休暇先で. 放送人の会. 2004. 18. p.11. http://www.hosojin.jp/kaihou/18.pdf (参照 2024-11-15)
• 「緊急、ドア壊れた 羽田に引き返したい」機長 ドキュメント. 読売新聞(大阪本社版). 1985-08-13. 朝刊, p.4.
• 世界第二の大事故 “故障、緊急降下”告げ消息断つ. パウリスタ新聞. 1985-08-13. p.1.
• Richard Pyle. “524 Feard Dead In Japan Air Crash”. The Dispatch. August 12, 1985. p.1. https://news.google.com/newspapers?nid=Itmi1h0dExoC&dat=19850812&printsec=frontpage&hl=en (参照 2024-11-15)
• 小幡瞭介. “日航123便墜落事故:ボーイング社のエンジニアたちもボイスレコーダーの内容に疑問を感じていた”. ISF独立言論フォーラム. 2024年10月30日公開. https://isfweb.org/post-45722/ (参照 2024-11-15)
• 川地俊一. 高サイクル疲労における微小き裂の進展特性に関する研究. 1991. p.76. 国立国会図書館デジタルコレクション. https://dl.ndl.go.jp/pid/3056350/1/85 (参照 2024-11-15)
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