希望を見つけに「水俣・京都展」へ~実川悠太さん講演
社会・経済●患者たちの座り込みに触発されて
柔和な表情からズバズバと本質を突いていく。NPO法人「水俣フォーラム」理事長、実川悠太さん(69)の解説は、人としての生き方を問う。グリーンコープ生協ひょうご主催の「水俣病を風化させないための学習会」が11月8日、兵庫県芦屋市であり、20人の参加者が質疑も含めて聴き入った。
実川さんの水俣病との関わりは高校2年生の時。東京駅前に水俣病の原因企業、チッソ本社があり、そのビルの前にテントを張って患者や支援者が座り込んでいる姿に触発されたのだ。水俣病の公式確認は1956年。だが、熊本県水俣市にあるチッソの工場が流すメチル水銀が原因と3年で分かっても、排水を止めるまで12年かかる間に患者はさらに増えていった。動き出したら止まらない、止めない。隠蔽、捏造、頬かむり。なぜなのか。実川さんは、1908年に日窒が発足し水俣工場が操業を開始した時点から解きほぐす。「地元の人たちが誘致したんです。化学肥料が何なのか、みんなよく分からなかった」。近代農業をつくった一方、アセトアルデヒドの製造で1932年から有機水銀を垂れ流す。実は1941年には患者は発生している。「疫学的には『不知火海水俣病』と呼ぶべきで、鹿児島県でも患者は多数いる」と話す実川さんは水俣病を局限して考えないよう求めた。朝鮮半島にも進出し新興財閥として急成長したチッソ。第二次世界大戦の敗戦で日本が朝鮮で失った資産の8割がチッソというから、超優良企業だった。
だが、急性劇症型の患者発生が隠しきれなくなる。箸を落とす、おわんを落とす。言語障害。耳が聞こえなくなり、不随意運動が起こる。視野も極端に狭くなる。実川さんは「人間の視野は180度ありますが、劇症型では5度くらいです」と言い、筒先から見るようなものと教えられると怖くなる。こうした劇症型の患者はほぼ亡くなっており、いま存命の患者は慢性型である。不知火海水俣病でなお10万人は下らないとされる患者の症状は次のようなものだ。吐き気を伴う強烈な頭痛。手足の先からしびれていく感覚障害。疲れやすく、転んだり物を落としたり。こういう症状ならメチル水銀が原因であるとみてまず間違いない。
●アセトアルデヒドは身近な製品に
では、なぜ多発する患者の姿を目にしながらチッソ、熊本県、国は排水を止めなかったのか。「メンツや利益」も理由に挙げながら実川さんはアセトアルデヒドに言及する。さまざまな製造原料となり、身近な生活用品として活用されてきた。燃やすとダイオキシンを発生させるので現在は使われないが、塩化ビニール製品などは生活に欠かせないものとなっていた。ゴムホースやブリキのバケツに代わって重宝されただろう。「水を通さないので、ビニール袋などは洗って乾かし、再利用したでしょ?」と実川さんは参加者を見回した。
メチル水銀の毒性は18世紀から知られており、金属水銀よりはるかに怖い。遺伝子を傷つける放射性物質と違って遺伝はしないが、よく吸収されて体外に排出されない困った特徴がある。チッソはメチル水銀だけでなく、さまざまな毒物を海に流してきた。公衆衛生学の立場から水俣病の解明に努めた喜田村正次・熊本大学教授(当時)が、食物連鎖が一段階で3000倍に上るとの推定を実川さんは紹介して、人の口に入るまでの6~8段階を倍数ではなく乗数で濃縮される点を強調する。「魚はメチル水銀に強い。だから大型魚類は食べないほうがいいですよ。人間は、他の動物より神経細胞に頼って生きている。ダメになった神経細胞は蘇生しません」と一転して脅す。人間は、生き物の中で一番弱い存在かもしれない。
大気汚染で肺を痛めても、転地療法で再生する。重金属のカドミウムを体内に取り込んだイタイイタイ病も早めに手を打てば快方に向かうことができる。しかし、不可逆性の水俣病はそうはいかない。「他の公害と一緒にしていいものだろうか」と実川さんがつぶやき、胎児性水俣病の発生当初の驚きを示す。医学界の常識では、胎盤障壁で胎児は毒物から守られると思われていた。熊本大学医学部で水俣病を研究し第一人者となる原田正純さんが「へその緒」に着目し、胎盤障壁をメチル水銀が通り抜けることを証明した。これは環境ホルモンにも通じる課題で、人類が新しく作り出した物質に生物の防御機構が追いつかないのだ。実川さんは「だから、自然界になかったものは、できるだけ口にしないほうがいい」と語りかけた。
●「成長を前提とした考えはビョーキ」
フィリップ・グランジャン博士は、北極圏に住む先住民族のイヌイット約1000人を調べて水銀の怖さを世に知らせたデンマーク人である。アザラシなど海の大型哺乳類を常食とするフェロー諸島の妊婦たちの毛髪から微量の水銀を7年かけて検査し、水俣病の症状は呈していなくても水銀値の高い妊婦から生まれた胎児の脳の活動能力が低くなる分析結果を明らかにした。世界環境会議で水銀の毒性が認識され、2013年に水銀および水銀製品の製造と輸出入を禁じる「水銀に関する水俣条約」が採択された経緯を述べた後、実川さんは会場の天井を指さして「これらもやがてなくなります」と蛍光灯を眺めやった。蛍光灯にも水銀が使われている。
チッソの科学力は侮れない。太陽光パネル用のポリシリコンを共同開発しており、液晶ディスプレーなどは市民生活に欠かせないものとなっている。実川さんは「ヒアルロン酸を最初に工業化したのもチッソです」と意外な名前も出してきた。会場からは「サプリメントとして毎日飲んでいるのでビックリしました。テクノロジーで生きているのはチッソのおかげなんですね」と動揺を隠しきれない感想も漏れた。実川さんは、人間の生産力が急激に上がって飢えから解放され、豊かな社会を実現している世の中を肯定しつつ、あまりに急激な生産力が今後も続くはずはないとし「成長を前提にしている考えはビョーキです」と言い切った。地球全体を見れば、すでに人口もGDP(国内総生産)も増加率は落ちており、ピークを越えれば緩やかに下っていくのが当然。無尽蔵の資源を前提とした資本主義の限界が近いのだろう。
学習会の参加者は平日の午前ということもあって女性ばかり。リサイクルなどにも取り組む生協関係者だけに、ごみ問題にも関心が深い。実川さんは「メスしかいない生物がいるように、オスはメスの奇形です」と産む性の側に立つ。半ばジョークだとしても「バカな男、今もいますが」と、後始末を考えず生産第一主義に縛られたオスを哀れんだ。ジャーナリスト、青木泰さんの好著『SDGsの先駆者 9人の女性とごみ環境』(2023年、イマジン出版)を読んだ者なら、ごみ問題に先進的に取り組んできた主流は女性たちだと分かる。オスたちは、科学の名をかたって「安全」を偽装し、水俣病の教訓を意図的に忘れ、いずれ人体に還ってくるのは自分の死後だと責任を逃れて、大切な海や河川、貴重な地下水を汚してきた。放射性物質や有機フッ素化合物(PFAS)などの処理に困窮するこれからの時代の再生はメスにかかっているのかもしれない。
●加害者でもあり、被害者でもある
実川さんの言葉の端々に、便利さの裏側にあるものも見ようという姿勢が伝わる。「私たちは、遠い加害者でもあり、遠い被害者でもある。そんな暮らしを享受してきたけれど、これは何万年も続かない。さてどうしますか?」と直球で投げかける。水俣病は過去の話ではない。差別や嫌がらせは今もある。水俣病の実相を伝える水俣展はこれまでに26回開催しているが、来月の京都開催は初めてとなる。実川さんは「いかに悲惨かを知ってもらうためではない。こういう人たちがいると知ってもらいたい」と言う。「こういう人たち」は患者だけでなく、水俣病に生き方を迫られ行動してきた多様な人たちも指すに違いない。最後に実川さんはこう語った。「深い絶望があるところに、深い希望がある」。希望を見つけに、京都を訪れてみたい。
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「水俣・京都展」は12月7~22日、京都市左京区の「みやこめっせ」で。各種展示に加えて期間中、八つのホールプログラムも予定されている。詳しくは、主催の水俣フォーラムホームページ(https://npo.minamata-f.com/)にて。
(本記事は「レイバーネット日本」より転載)http://www.labornetjp.org/news/2024/1116hayasi
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1959年、北九州市生まれ。明治大学文学部卒業。毎日新聞校閲センター大阪グループ在勤。単著に『戦争への抵抗力を培うために』(2008年、青雲印刷)、『それでもあなたは原発なのか』(2014年、南方新社)。共著に『不良老人伝』(2008年、東海大学出版会)ほか。