「ノーモア沖縄戦」を沖縄から叫ぶ(2)
琉球・沖縄通信沖縄では、本稿を書いている今も耳をつんざく轟音をまき散らし米軍機が飛んでいる。夜遅くに飛ぶオスプレイの不気味な低音も頻繁になってきた。いよいよ、米国の日本を利用した対中代理戦争が近づいているのかと危機感と不安に苛まされる日々を送っている。
77年前の6月、沖縄は日本本土を守る捨て石となり、牛島満軍司令官が「一木一草ト雖モ之ヲ戦力化スヘシ」と訓示するなか、県民は「防衛隊員」「鉄血勤皇隊」「看護学徒隊」と戦場に総動員された。米軍戦史が「ありったけの地獄を集めた」と形容した沖縄の戦場で住民は、米軍、日本軍の両方から逃げ惑い4人に1人が命を奪われた。
戦後は、日本が独立した影で切り離され、異常な数の米兵による事件、事故、米兵が住民を殺害しても無罪放免となる治外法権下、基本的人権も守られない27年間の米軍占領に苦しんだ。基地建設中心で教育復興が殆ど進まぬ悩みから教員を中心に復帰運動が起こり、復帰が実現したのは1972年だった。
しかしながら、憧れた平和憲法に守られる安堵と喜びは、「基地無き平和な島」の夢が裏切られる失望へと変わり、5月15日の復帰日の土砂降りの雨は沖縄の心を表わしていたとしばしば形容されてきた。
復帰後、基地は減るどころか米軍基地に自衛隊基地が追加され、さらなる基地化は進んだ。日本復帰50年を記念する今年、再び戦場となる危機に晒されている現実は、沖縄にとってあまりに辛く悲しい。
同時に、問われ続けてきた「日本復帰とは何だったのか?」という問いが、ことさら鋭く問われている。慰霊の日を前に、新聞では戦争を生き延びた人々の体験話が続いている。殆どが、「二度と再び戦争を起こしてはならない」という体験者の自戒を込めた強いメッセージで締めくくられている。
しかし、戦争を起こすのは、このような弱者である一般市民ではない。戦争を起こすのは、国家の中枢にいる権力者たちであり、政治家であれ一般市民であれ、強者の立場に立って、声高に仮想敵国への敵意をあおり、防衛の必要を主張することによって、戦争を引き起こす為政者の片棒を担いでいる人たちである。
何気なく見た今朝のネットで、「沖縄の新聞は基地問題ばかりでつまらない」と書く日本本土の人のコメントに怒りと悲しみに包まれた。米軍、自衛隊の両方の基地から垂れ流され続ける化学洗浄剤PFASが汚染し続ける水道水で乳飲み子や子供たちの命が脅かされ、昼夜を問わず轟音を響かせ続ける軍用機の騒音で人々の健康が肉体的、精神的に損なわれ続け、米兵による事件、事故も相変わらず頻繁に起きている。
沖縄の日常は基地被害や基地問題だらけである。ローカル紙は地域の問題を取り上げることが使命であり、沖縄の2紙(琉球新報・沖縄タイムス)が基地問題を取り上げることは当然の義務であり、日常を切り取っているに過ぎない。沖縄に住む私たちも、できるなら、基地被害や基地問題だらけの生活から逃れたい。「基地問題ばかりでつまらない」と脳天気なことが言える立場になりたいものだ。怒りと悲しみは増す。
この人はさらに、言う。「沖縄の新聞は、もっと中立、公平であるべき」と。一体、何に中立、公平であるべきなのか?基地問題を取り上げることが、何故、偏っており、不公平なのか。問題を起こしている米軍や自衛隊に対してか?そのような論理は、犯罪を問題として報道した場合、その報道は犯罪者に対して偏向、不公平だという論につながることになる。
今、その日常のあまたの基地被害や問題をかき消すように、「沖縄が戦場になる。自衛隊は住民を守る力は無い。住民を守るのは自治体の責任」と日米軍が公言し、日米政府によって、戦場になって命を奪われる危機に勅撰させられている。沈黙を続ける日本政府に関心の薄い日本国民。「基地問題ばかりでつまらない」とこぼした日本本土のこの人は、次に沖縄の新聞は「戦場になると騒いでばかりでつまらない」とでも言うのだろうか?
上記であげたような、沖縄の苦しみをあざ笑うかのような類の日本本土の人たちの勘違いと問題点は、日本がサンフランシスコ講話条約で独立国になったと思っていることである。いまだに、米国の寛大な講和条約によって、戦後は経済成長を遂げることができ、アジア一豊かな国となったと思っているのかもしれない。
米軍が常駐することによって、日本の安全保障が守られていると信じているのだろう。現在のウクライナ戦争も「悪のロシアのウクライナ侵攻によって始まった戦争」と定義し、次に「悪の中国の台湾侵攻による戦争」があるとして、沖縄の戦場化も肯定するのだろう。
なぜ、日本各地域の代表が集まる国会よりも米軍幹部が牛耳る日米合同委員会が上位に在り、日本の法律の上位にある日本国憲法よりも日米安保や日米地位協定が上位にあるのか?なぜ、日本の空も海も米軍が勝手に使用できるのか?なぜ、日本は米国を飛び越えて自国の外交が展開できないのか?なぜ、日本は国際的にも米国隷属国家と評されているのか?
米国による日本(自衛隊)を利用した対中代理戦争が近づいている今、そろそろ、脳天気な日本国民も根本問題を問うべき時期に来ている。またもや、沖縄だけに犠牲を強いて座している場合なのか、自国がどれだけの犠牲を払うことになるのか、日本という国家がどう衰退していくのか、自らの問題として考えるべき時期に来ている。
もう一度、言おう。自国の現状や問題を直視できない国や人を頼ることはできない。沖縄は自らの力を振り絞って叫び続けるしかない。「ノーモア沖縄戦!!」日本の現状や問題を直視し、抵抗する日本本土の人たちと共に。
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独立言論フォーラム・理事。沖縄県那覇市生まれ。2019年に名桜大学(語学教育専攻)を退官、専門は英語科教育。現在は非常勤講師の傍ら通訳・翻訳を副業とする。著書は「沖縄の怒り」(評論集)井上摩耶詩集「Small World」(英訳本)など。「沖縄から見えるもの」(詩集)で第33回「福田正夫賞」受賞。日本ペンクラブ会員。文芸誌「南瞑」会員。東アジア共同体琉球・沖縄研究会共同代表。