「知られざる地政学」連載(74):再論・制裁をめぐる地政学:制裁の「嘘」を暴く(下)
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欧州の制裁
欧州連合(EU)の場合、制裁ではなく「制限的措置」(restrictive measures)という言葉で事実上の制裁を科している(以下、同じく制裁と書く)。EUの制裁は「懲罰的なものではない」と説明されている(EUの「多く聞かれる質問」を参照)。 悪質な行動に責任を負う非EU加盟国の団体や個人を対象とすることで、政策や活動に変化をもたらすことを目的としているというのだ。ただし、この論理構成は理解不能である。懲罰でない措置によって政策変更を求めるというのは詭弁にすぎないと考えるべきだろう。
EUの行う制裁には、いくつかの種類がある。「EU制裁の採択」によれば、まず、EUは、国際平和と安全の維持または回復を目的として、国連安全保障理事会が採択したすべての制裁を実施する。国連の制裁は自動的にEU法に組み込まれる(場合によっては、EUは国連の制裁を補完し強化するための追加措置を講じる)。
EUはまた、テロ資金対策、人権や民主的諸制度の擁護、あるいは化学兵器や大量破壊兵器の拡散防止を目的とした独自の制裁も実施する。EU条約第29条に基づき、EU理事会は、EU外務・安全保障政策上級代表(上級代表)または加盟国からの提案に基づき、制裁体制の採択、更新、解除に関する決定を行う。制裁に関する決定は、上級代表が提案する「共通外交・安全保障政策」(CFSP)理事会決定に基づき、EU理事会が全会一致で採択する。理事会決定が経済および/または財政的な影響を伴う措置を含む場合、欧州連合の機能に関する条約(TFEU)第215条に基づき、共通外交・安全保障政策上級代表と欧州委員会が共同で理事会規則を提出し、その措置を実施する必要がある。
欧州連合条約(TEU)および欧州連合の機能に関する条約(TFEU)は、EU制裁の提案、採択、実施に関与する各関係者に異なる権限と役割を割り当てている。EU制裁の適正な適用と実施に対する最終的な責任は加盟国にある。加盟国は違反行為の特定に責任を負う。したがって、潜在的な不遵守事例の調査を行う任務は、各国の監督機関の権限の範囲内となる。さらに、加盟国には、関連規則の規定に違反した場合に適用される効果的で、均衡のとれた、抑止力のある罰則を規定する国内規則を採択する法的義務がある。欧州委員会は、特定の分野におけるこれらの措置の適切な実施を確保するための監視の役割を担っている。欧州連合基本条約(TFEU)第258条に従い、欧州委員会は、EU法に基づく義務の不履行に関して加盟国に対して違反手続きを開始することができる。
EUの制裁は、制裁対象者への圧力により第三国にも影響を及ぼすことが期待されているが、域外適用は行われない。つまり、EU域外の個人や団体に義務を科すことは、その事業が少なくとも一部EU域内で実施されている場合を除いては行われない。また、原則として、EUは第三国が採用した法律の域外適用を認めず、そのような影響は国際法に反するとみなしている。しかし、EUも二次制裁の脅しを使うようになったことは拙著『帝国主義アメリカの野望』に書いたとおりである。
制裁は半年ごとに、加盟国全体の一致を大原則として更新されてきた。ただし、EU加盟国が個別にどこまで対ロ制裁を監視・執行しているかまでは判然としない。あくまで行政の一環として政府が恣意的に決めているのか、それとも個別に法律を制定しているのだろうか。残念ながら、細かい点までは研究できていない。
日本の場合、制裁は行政の一環として、政府が勝手に決めて実行している。輸出貿易管理令という政令や、財務省、経済産業省などの省令や告示に基づいて行われている。そのため、個別の制裁が国会審議を経て決められるわけではない。ゆえに、内閣が交代して必要があれば、制裁を緩和することは簡単にできるかもしれない。
私がみるところ、日本の制裁は米国の追随が基本であり、その根拠が判然としない。国会で徹底的に追及すれば、論破できるほど、根拠薄弱なものにすぎないように思える(国会議員が不勉強だから、国会論戦すらできないである)。
いずれにしても、各国の制裁をつぶさにみると、同じ基準で、同じ法制度のもとに決められているわけではない。そうであるならば、制裁そのものにどれほどの根拠があるのだろうか。私が問い糺したいのはその点である。
いい加減な制裁
最初に書いたように、私は、制裁が「実は復讐や報復そのもの」であると考えている。理由は簡単だ。制裁を個別に考察すると、そこには、法的手続き上の不備や行政上の恣意性があり、感情や心理に委ねた曖昧さがあることがわかるからである。
たとえば、米国による「特別指定国民」(SDN)をみてみると、その恣意性に呆然とする。2024年4月26日に公表された「米国の対ロ制裁:法的権限と関連措置」によると、ロシアによるウクライナへの侵攻を受けて、OFACは4500人以上の個人、事業体、船舶、航空機をSDNとして指定した(下表を参照)。このうち、OFACは2022年2月のロシアによるウクライナへの拡大侵攻開始以来、大統領令14024号に基づき、4100件以上の制裁指定を行っている。指定対象には、ロシア政府の以下のメンバーおよび団体が含まれる。
① ロシア大統領ウラジーミル・プーチンおよびミハイル・ミシュスチン首相、②その他の政府高官(外務大臣、国防大臣、財務大臣、軍および中央銀行のトップを含む、③ロシア立法府(国家院および連邦会議)およびそのメンバー、④地域知事、⑤代理占領当局者――といった人々である。また、指定対象には以下も含まれる。
①プーチン大統領の長年の友人および同僚、ならびに戦略的な国営企業または国が関与する企業の経営陣および幹部(しばしば「オリガルヒ」と呼ばれる)、②防衛およびテクノロジー、エネルギー、金融サービス(ロシア最大の銀行を含む)、金属および鉱業、輸送、およびロシア経済のその他の部門における事業体および関連個人、③制裁逃れを助長する外国の仲介者(中国、キプロス、キルギス共和国、スイス、トルコ、アラブ首長国連邦など)、④イランがロシアに供給した無人航空機(UAV、またはドローン)の「研究、開発、生産、調達」に関与した個人および団体(大量破壊兵器拡散者およびその支援者を対象とする大統領令12938号および13382号に基づくもの)、および⑤北朝鮮からロシアへの軍需物資および弾道ミサイルの移転に関与した個人および団体(一部は北朝鮮関連当局)――などである。
これだけの人々を対象に制裁を科す意味が本当にあるのか。とくに、寡頭資本家であるオリガルヒへの制裁には疑問が湧く。
オリガルヒへの復讐・報復
2023年5月21日付で公開した拙稿「オリガルヒへの制裁について考える」の冒頭に、つぎのように書いておいた。
「ウクライナ戦争勃発以降の対ロ制裁は、米国が主導するかたちで国際協力という形式のもとで実施されている。具体的には、ウクライナ大統領府のアンドリー・イェルマク長官とフリーマン・スポグリ国際研究所(FSI)のマイケル・マクフォール所長を議長とする対ロシア制裁に関する国際ワーキンググループが制裁に関するアクションプラン(行動計画)やロードマップを策定し、各国の制裁に影響をおよぼしている。」(以下、イェルマークと記述する)
ロシアとベラルーシへの制裁措置策定に関連して「イェルマーク・マクフォール国際専門家グループ」が存在する。ウクライナ大統領府のサイトでは、2022年7月14日、「イェルマーク・マクフォール国際専門家グループは、同盟国の侵略国に対する制裁政策形成のための重要なプラットフォームとなった」と伝えている。
だが、そもそも、わけのわからないグループが各国別に科される対ロ制裁を調整しようとしている根拠や理由が判然としない。元駐ロシア米国大使であったマクフォール自身はインタビューで、専門家グループが独立なものと強調したうえで、「制裁はこのひどい戦争を止めるためのもうひとつの機会だと私は信じている」と語っている(ユーリヤ・ラティニナによるインタビューを参照)。どうやら、戦争を止めさせるための報復措置として、技術輸出規制に力点を置いているらしい。
だが、実際の提言をみると、「めちゃくちゃ」な印象を受ける。たとえば、この専門家グループが2022年6月に公表した「個人制裁のロードマップ:ロシア連邦に対する制裁のための提言」では、「本論文で提案されたすべてのグループに対して個別制裁を行った場合、その対象者は10万人以上となり、史上最多の個別制裁対象者数となる」と書いている。
この提言は、いわば、その後の個人制裁モデルともなった「対ロ制裁の原型」と言えるものだが、そこには、「制裁は懲罰的なものではなく、立場の変化をもたらし、不正行為を継続する能力を制限する強制的な政策手段である」と書かれている。さらに、「個人制裁は、ウクライナに対するプーチンの統治と政策に対する不満を募らせることで、ロシアのエリート層の行動に変化を促すことを明確に目的としている」と記されている。
だが、「懲罰的なものではない」としながら、「罪の意識(culpability)はロシアの戦争への加担に基づいている」という記述もある。わかりやすく言えば、罪があるからこそ、その罪への報復ないし復讐として制裁を科そうとしているのではないか。しかし、その場合、罪をだれが決めるのか。あるいは、罪への報復や制裁をだれがどんな根拠で決めるのか。
現実の制裁をみると、米国、EU、日本で制裁手続きも、制裁理由も、制裁内容も異なっている。それはなぜか。なぜ米国はイェルマーク・マクフォール国際専門家グループの提言の制裁対象を絞り込んだのか。その根拠は何か。
こんな曖昧な現実のもとで、制裁解除はどう実現するのか。ウクライナ和平と制裁解除は直結しているはずだが、制裁を科している当事者は和平の進展に合わせて制裁の解除をどう進めようとしているのか。このように、制裁が漠然としているだけに、制裁解除についても、わからないことばかりである。
制裁の「嘘」
私が強調したいのは、制裁の無根拠性である。私は最近、The Invention of Good and Evil. By Hanno Sauer. Translated by Jo Heinrich(Oxford University Press; 416 pages)を読んだ。そこには、「処罰は単に、歴史上最も従順な霊長類を作り出すことによって私たちの道徳性に影響を与えただけではない。処罰はまた、社会的制裁を通じて非協力的な行動を抑制するインセンティブを生み出す制度でもある」とある。
人類史の視点に立って、制裁なるものを考察すると、そのいい加減さがわかる。ザウアーは、「誰かが規範に違反した場合、私たちは報復や復讐を求める」と率直に認めている。それにもかかわらず、制裁が「懲罰的なものではない」と主張するあざとい見方が大手をふっている。まず、私たちは、この「大嘘」に気づかなければならない。
さらに、ザウアーは興味深い指摘をしている。
「報復心理は、奇妙な矛盾を抱えているように思える。罰の機能は、実際にはある効果を生み出すこと、すなわち協調共存の規範に従うことである。しかし同時に、誰かを罰するかどうか、またどのように罰するかという私たちの意識的な判断は、その罰がその効果を生み出すのにどれほど有効であるかということに、奇妙なほど影響を受けていないように思える。」
そう、制裁が報復や復讐ではないと偽っても、そんな罰に効果があるかどうかはまったく未知数なのだ。「私たちが罰に求めるのは結果主義的なものではなく、報復的なものである。 それが私たちや私たちのグループのためになるかどうかは、その時点ではまったく関係ない」というザウアーの指摘こそ、認めなければならない。とにかく、報復したいという心理が働いているのである。それにもかかわらず、制裁といった表現で、本心を隠蔽しようとしていることになる。
問題の本質
いま、私は『思想の地政学』を書く準備をしている。そこで論じようと思っているのは、「Woke」(目覚めた活動家たち、ないし行き過ぎた活動家たち)への批判である。ここで論じた対ロ制裁は、ウクライナへの全面侵攻に踏み切ったロシアだけが「悪」であり、その罪を制裁という名の罰、すなわち報復・復讐によって懲らしめることが協調につながるという一方的なものにすぎない。本当は心のなかでこう思っているに違いない、イェルマークやマクフォール、バイデン、さらに、欧州や日本などの無定見な指導者によって、キリスト教神学的な罰が加えられている。まるで、自分たちが「善」であり、「神」であるかのようにふるまっているのだ。
いまの状況については、この本についての書評を掲載したThe Economistが参考になる。そこでは、Wokeをめぐって、つぎのように書いている。
「目覚めた活動家たち(Woke)は、言葉を「暴力」と表現し、この主張を根拠に言論の自由の制限を正当化しようとする。彼らはまた、世界を単純に「抑圧者」と「被抑圧者」に分け、時に肌の色によって原罪を帰属させる。そして、左派と右派の政治的集団は、相手を単に誤った考えをもっているだけでなく、悪であるとみなすようになった。」
なお、Wokeは米共和党が民主党を批判する言葉として人口に膾炙したが、ここでは、もっと広範囲にWokeを想定している。
このThe Economistの指摘に対応するかたちで、ザウアーはつぎのように記述している。
「和解の潜在的可能性は過小評価されているが、それは私たちには見えにくく、再考する価値がある。「時間厳守は白人至上主義である」という極端な意見と、「西洋キリスト教の文化的覇権を復活させなければならない」という極端な意見の間に、良識ある人々のサイレントマジョリティーが存在するのだ。集団としてのアイデンティティは、私たちが敵同士であるかのように思わせるが、実際にはお互いを支え合う友人であり隣人である可能性もある。しかし、私たちが共有する道徳的価値観や規範に訴え、あらゆるものの未来に立ち向かうことができれば、政治的な分裂を乗り越えることができる。」
私が拙著『復讐としてウクライナ戦争』を書いた理由と、ここでのザウアーの指摘は呼応している。だからこそ、この主張を『思想の地政学』として広める必要性を強く感じているのである。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。