【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第27回 死後硬直への疑問

梶山天

今市事件の被害女児を解剖した法医学者が経験値と知見を活かし、名探偵みたいな推理によって、次々に真実が解き明かされていく。まるで推理小説を読んでいるのではないか、と錯覚しそうだが、現実の事件に対する推理なのだから、驚きを隠せない。

この事件を早急に片付けようとして、架空のシナリオを栃木県警と宇都宮地検が作り、実際には、裁判員裁判の一審、さらに控訴審、最後は勝又拓哉受刑者の上告を棄却する最高裁と見事に後押しして、実際にはなかった犯罪事実で、無実の人間を刑務所に収監させるという「冤罪」を生んだのである。

今回は、「正義」の追求を放棄した検察官らのおぞましい企みによって真実が一審法廷で葬られていく。どうしたのだ裁判官。ちゃんとそれが本当なのか、確認が必要ではありませんか。分からなかったら、納得できるまで事実をしっかり調べなおすことも必要です。

裁判官は真実の裁判などはどうでもよく、無実の人を犯人にしても、辻褄を合わせた判決文が作文できればいいだけなのですか。自分の出世のみを優先させていいのですか。人一人の命が、人生がかかっている裁判なのですよ。

しかし筑波大の本田克也元教授は違っていた。自らの職を賭して、いかなる迫害を受けても、真実を追求し、無実の人の生命を大事にした。本田元教授の事件解明は、これにとどまるものではなかった。

今市事件の被害女児の遺体には、傷だけでなくもう一つ奇妙な点があったという。それは、死後硬直の形状だった。死後硬直というのは、法医学では「早期死体現象」と呼ばれ、全身の筋肉が硬くなる現象だ。死後2時間くらいから現れ、死後6時間で固定化し、12時間から36時間にピークを迎える。それ以降から次第に緩解していく。だから、死後硬直の形状は死後6時間から12時間までの死体の体位を表現していることになる。

仰向けに寝かせていれば、死後硬直は自然な形でできあがる。しかし、今市事件の場合には、背中が浮き上がり、右肩が上がった形の斜め向きで、左右の上肢が左側に垂れ下がり、さらに首をかしげるように下肢は左右の膝関節が斜めになってこれも左下に垂れ下がるように曲がっているような窮屈な形をしていた。まるで、窮屈な空間に押し込められているかのような形状で死後硬直が起きていたのである。

元教授は、この形状の謎がしばらく解けなかった。それが問題になるとも思わなかった。ところが、検察側のストーリーでは、被告人は遺棄現場で殺害したことになっていたから、死後硬直は遺棄された状態に沿った自然な形状をしているはずである。それまであまり気に止めていなかった死後硬直の問題は、何度も足を運んだ遺棄現場を思い出させ、もう一度あらためて現場をその目で見た。

あれはある年の12月、ちょうど事件が起きたのと同じ、冬の季節であった。車でつくば市から約1時間かけて入念な検証のために遺棄現場に出かけたのである。「おおみや広域霊苑」の看板のある道に入り、少し走って参道に入った場所にある。

これまで何度も来ていたからよく覚えていた。その場所は車の行き止まりで、左側にやや急な斜面に木が生い茂っており、そこから約10㍍近く降りたところに、全裸の状態で被害女児は遺棄されたという。

被害女児の吉田有希ちゃんが下校中に同級生と分かれて帰った栃木県日光市木和田島の三差路(左)。事件当初、出動した警察犬が三差路から少し先の山林で足を止めた。

 

写真で見るのとは違い、遺棄現場は驚くほど急斜面であることがわかった。ここを夜間に10㍍も下るのは大変なことだったことがわかる。斜面に放り投げただけでは、とてもそこまで下りることはありえない。

さらに遺棄された状態を撮影した写真を見ると、斜面に対して背中が大きく浮き上がっている。しかも左足が斜面に折れたまま置かれていた枝の下に潜り込んでいるのである。足が固くなっていなければ枝に当たって曲げられるはずである。このように下肢が押し込まれたように屈曲しているのに、そのようにした外力が働くものが遺棄現場はないのである。

死後硬直は、筋肉はおよそ1時間くらいはまったく脱力した状態になる。言うなれば、いったん筋肉はぐにゃぐにゃになるから、作られた自白調書のように、現場で殺害し、直後に遺棄したとすれば、斜面に働く重力の作用を受けて、斜面に支えられるように、斜面に沿った自然な形になるはずである。

それにもかかわらず、斜面の形に逆らうような形をしている。これはすでに関節が固まった遺体が置かれていたことを明白に物語っている。ということは、殺害してから少なくとも6時間以上経った後の死後硬直の形が固まった後にその場に遺棄されたことになる。ならばその形はどこで作られたのだろうか。

これについては、何とも答えが出ない。ところがある日、その疑問を解ける日がやってくることになる。それは、本田元教授の小学2年生の三男をマイカーの後部座席に乗せていたときのことだ。三男は野球の試合後だったので、いつの間にか寝てしまっていた。後部座席に一人であったため、座席をベッド代わりにしてやや左側臥位で寝ていたのである。

「よほどお疲れと見えるな」と思って信号待ちの時に運転席から後ろを振り返ったところ「あっ」と叫びそうになった。その姿勢があの事件の被害女児の体位とまったく同じであったからだ。元教授はそうか車に寝かせて運ぶ時にできたものか、と思ったという。

となると、答えは一つ、被害女児は殺害されたあと、車の後部座席に乗せられ、数時間をかけて運ぶ途中で死後硬直が起こり、遺棄現場で捨てられたのである。ここからわかることは、被害女児は死後少なくとも数時間かけて車で運ばれたことと、遺棄現場からは遠いことである。そうであれば、おそらくは旧今市市近くで被害女児が殺害されたと推論される。

そこで本田元教授の長男(当時小学5年生)を使って実験することにした。当時彼の身長は145cm。実験した車の外幅は187cm。後部座席の室内幅は130cm。少なくとも長男の身長より15cmは短いため、頭と足を曲げなければ横たわらせたことはできない。そうして後部座席で横たわった姿勢をとらせてみると、見事にあの姿勢が再現されていたのである。

一方、被害女児の身長は、解剖での測定では118cm。したがって息子よりかなり身長が低いため、仮に本田元教授の大きさの車で運んだとすると、室内幅は最大で130cmあるので頭や手足は曲がることなく横たわらせられるはずである。したがって、被害女児は横幅が狭い車で運ばれたことだけは間違いない。

身長が118cmの被害女児の頭と足を曲げて横たわらせたとすると、室内幅はそれより15cmほどは短いはず、つまり100cm内外であるはずである。そうだとすると、ここでも大きな疑惑が生じる。その疑惑は、勝又受刑者が当時、所有していた車はトヨタのカリーナEDにある。この車の外幅は174cmあり、後部座席の内側の幅は120cmを超えているから、仮に被害者を横たわらせたとすれば、頭や足が曲がることはありえない。

室内幅が100cm内外となると、軽自動車クラスの横幅の小さな車であるはずであり、トヨタのカリーナEDではありえないのである。これで全てのパズルが解けた、と本田元教授は確信した。捜査側はこれに未だ気づいていないようだが、勝又受刑者が被害女児を自分の車に乗せて遺棄現場まで運んだというのは嘘だということになる。この供述調書は逆に被告だっだ勝又受刑者の無罪を裏付ける証拠の一つとも言える。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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