
モハンティ三智江 短編小説編:デーモンの肖像(中編小説6)
国際【モハンティ三智江のフィクションワールド=2025年3月14日】ギャンブルのようなつもりで飛び込んだ、13歳年上の画家との生活は思いがけず、楽しかった。河宰類(かさい・るい)は、ドン・キホーテで有名なラ・マンチャ地方の小さな村、バルデペーニャスが気に入り、私たちはマドリッドからそこに居を移し、農家を借りて暮らし始めた。
男は、ゆったりした時間が流れるこの平和でのどかな農村をこよなく愛し、「私の村」(モン・ヴィラージュ)と称し、素朴な村人たちとの交流を楽しんだ。葡萄の収穫時には、農作業の手伝いをしたり、郷土色豊かな祭りに参加したり、ひなびた居酒屋で酔漢と戯れたり、生き生きと異国生活を堪能する傍ら、そうした触れ合いに題材を得て、旺盛にキャンバスに向かい続けた。
男は基礎のデッサン力を何より大切にしており、パリでもデッサンスクールに通っていたほどで、人物モデルのスケッチブックはどんどん溜まっていった。そうした素描をベースに一気呵成に仕上げるのが常で、アトリエは油絵の具の絞りかすが山盛りに溢れた。
「絵を描くことがこんなに楽しいものだとは思わなかったよ」
と興奮した口調でのたまうほど、創作熱に取り憑かれ、画家として脂の乗った一時期でもあった。
酒場で踊り狂う酔漢や、老人たちの味のある風貌、うらびれた廃兵、陽気な道化師、石壁の教会など、次々に傑作が生まれ、筆の勢いは止むことを知らなかった。私はそんな男の公私共の姿を陰で撮り続けた。
そのうち、男はセントバーナード犬を飼い出し、「チータ」と名づけ、息子のように可愛がり始めた。長身で日本人離れした風貌、バテレン(キリシタン)の血が混じるとうそぶく顔立ちだけに、村人にも違和感なく受け入れられ、食卓に招かれたり、招いたりの家族ぐるみの付き合いが繰り広げられた。
特に壁の塗装職人、アントニオとはうまが合い、たまたま彼が日曜画家だったこともあり、押しかけ弟子入りされ、後に展覧会で入選させるほどの腕前に仕立て上げ、大喜びさせた。
「ルイの手ほどきで、俺も一端の画家様気取りだ」
アントニはすっかり舞い上がっていた。
行きつけの八百屋の親父、カルロスとも顔馴染みになり、野菜や果物をまけてもらうようになった。カルロスは気のいい世話好きな中年男で、遠い異国から来た客人を何彼となく、面倒見てくれた。
熱い友情で結ばれた2人とは、招き招かれ、家庭料理と地ワインを共にしたり、居酒屋での乱痴気騒ぎに興じたり、村祭りを楽しんだりと、交流はどんどん深まっていった。
後年一時帰国した男が戻った時は、2人そろってパリのオルリ空港まで民族服姿で出迎える、大歓待ぶりを示したほどだ(「フィクションワールド」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げている続きで、「インドからの帰国記」とは別に、短編など小説に限定して掲載します。本人の希望で画像は使いません)。
「モハンティ_デーモンの肖像(中編小説6)| 銀座新聞ニュース」の転載になります。
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作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。