
辻仁成が元妻の中山美穂との結婚を描いた小説を読む、続編を(161)
社会・経済写真:2024年12月に急死した女優、中山美穂との結婚のいきさつを知りたくて手にした辻仁成の自伝的小説「刀」の表紙。
(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2025年3月25日】2024年12月に急死した女優、中山美穂(1970-2024年12月6日)と、元夫で、芥川賞作家(1997年「海峡の光」で受賞)の辻仁成(つじ・ひとなり、1959年生まれ)とのいきさつを知りたくて、辻の書いた自伝的小説「刀」(2004年、新潮社)を読んだ。
2024年12月に急死した女優、中山美穂との結婚のいきさつを知りたくて手にした辻仁成の自伝的小説「刀」の表紙。
辻仁成が中山美穂と再婚したのは2002年(3度目の結婚で、1995年に結婚した第2妻は女優の南果歩=1964年生まれ=で2000年に離婚)で、パリで結婚生活に入り、2004年1月に男児が産まれたが、12年後の2014年7月に離婚、中山美穂は親権を手放し、日本に帰国した。
離婚の原因は、中山美穂に新しい恋人(音楽家の渋谷慶一郎=1973年生まれ)ができたことにあったと、当時はスキャンダルとしてメディアを賑わせたものだ。以来、辻仁成はシングルファーザーとして奮闘、一方、中山美穂の方は離婚の原因となった男とほどなく別れ、帰国して芸能界に本格復帰した。
彼女は以後、11歳で別れた愛息と生きて再会することは叶わず、昨年12月6日に自宅の風呂場で突然死したことにより、12月12日の葬儀に駆けつけた息子とようやく対面がかなったわけだ。
中山美穂の死因はヒートショックと言われたが、自殺の疑いも消し切れない。結局、生きて息子と再会を果たすことは叶わず、パリから駆けつけた子供は母の遺体との対面を余儀なくされたわけで、あわれさを誘う。
この辻の初の自伝作品中、中山美穂がモデルのナナが登場するのは終盤、自らの生い立ちや成長期、成人してミュージシャン(ロックバンド「エコーズ」のボーカル)、後に作家になるまでの前3分の2をすっ飛ばして、そこから読み始めた。
ちなみに、私は離婚原因のひとつは、経済的な要因にあったのではないかと疑っていたが、読んでみると、それは勝手な憶測だったことがわかり、中山美穂がモデルのナナは、無欲で実に潔い女性だった。無論、頂点に上り詰めたからこその、一種の達観と言えなくもないが、むしろ、辻仁成の方が野心的で、小説家に収まらず、やれ演出家だ、映画監督だと、マルチに色気を出し、お金にもこだわり、欲の塊だった。
対する中山美穂は金銭欲も薄く、家計簿をつけるつましさで、彼女の願いは、辻に小説のみに専念してもらい、妻の自分は子供を産んで静かに暮らしたい、というものだった。それが彼女の考える幸福で、そうした幸せを与えてくれる男が辻仁成と確信して白羽の矢が当たったわけだ。既に2度の結婚に破れ、及び腰の辻仁成も最終的には美穂の流れに巻き込まれていく。
本作品は、ナナの出産で終わっているが、覗き見根性が逞しい読者としては、この続きが読みたいと思ってしまう。辻仁成は逃げずに、元妻が急死した今こそ、続編を書いて、離婚に至るまでの経緯、その後のシングルファーザーとしての奮闘、果ては元妻、息子にとっては母親の突然の訃報まで包み隠さず書くべきだと思う。
中山美穂が、彼女が望む幸福を与えてくれる男と確信したにもかかわらず、後年、信頼が損なわれたのは何故なのか、妻の失意の原因を明らかにすべきだ。さらけ出すのは時を経て癒えた傷口を無理にこじあけるような苦痛を伴う作業かもしれないし、息子の目に触れることを恐れる気持ちもあるだろう。
既に本作中に、ナナの夢をかなえる力は自分にはないと主人公に言わせているが、静かな満ち足りた異国での家庭生活を夢見ながら、12年後に不倫の末の破局(2014年)、親権を譲り、新しい男ともほどなく別れ、決して本意ではなかった芸能界への回帰を余儀なくされた中山美穂への、同性としてのシンパシーを禁じえない。
会えない息子を想い、ただ幸福を願っていたという母がようやく愛しい我が子と再会できたのは皮肉にも、遺体となったあとだったのだから(パリ育ちの大学生の息子は、母の遺体に寄り添い、冷たい手を握り締め、別れを惜しんだという)。
終盤から入り、初章に戻るという変則的な読み方をしたが、ナナと運命的な出会いをするまでの本来の自伝部分もなかなか面白かった。ベテラン作家のうまさはないし、理に流れる欠陥もあるが、家族や祖先のこと、自分の霊力逸話(霊が見える、曽祖父の霊がついている)など、よく書けていた。題名の「刀」とは、曽祖父が精神の支柱として遺した黒い刀剣のことで、主人公はこの刀にいつも書けと脅しにも似たそそのかしを受けているとの設定だ(それは、フィクションではなく、本当なのだろう)。
蛇足ながら、中山美穂もスピリチュアルな面への傾倒が強い人で、山川紘矢(こうや、1941年生まれ)・亜希子(1943年生まれ)夫妻訳の精神世界書(シャリー・マクレーン=Shirley MacLaine=の「アウト・オン・ア・リム 愛さえも越えて」=Out on a Limb=1986年、地湧社、後に角川文庫ほか訳書多数)の愛読者だったようだ。そうした側面からも、辻仁成とは霊的な因縁だったと推測する。
蛇足ついで、私とインド人亡夫(2019年秋に病死)もスピリチュアルな繋がりで、が故に、死後3年間夢の中で交信し続け、生前夫婦として関わった31年の歳月以上に、さまざまなメッセージを受け取ったものだ。
辻仁成は今、ミュージシャンを引退し、パリとノルマンディを行き来しながら、仔犬を供に画業に勤しんでいるが(ネットで滞仏日記JINS STORIES発信)、中山美穂とのその後、離縁されシングルファーザーとなり、息子が成人するまで主夫業(本格派の料理上手、弁当作りが得意)、母の死に際して愛息をパリから葬儀に駆けつけさせたこと、元妻の死に対する感慨など、本作の続編で包み隠さず、書いて欲しい。我が子の目に触れると思うと、躊躇するだろうが、小説家としての本領発揮である。さらけ出してこその物書きの真髄、続編に期待した
〇中山美穂主演のドラマ追想
私は1987年にインド移住したこともあって、実は中山美穂という女優についてはほとんど知らない。往時物議を醸したドラマ「毎度おさがわせします」(TBS系、1985から1987年)については、そういえばそんなドラマがあったかな程度には薄ぼんやりと記憶しているが、そこに出演していたませた女子中学生を演じていたのが、デビューまもない中山美穂だったとは全く知らなかった。
だが、ネット時代隆盛のおかげで、後年YouTubeで彼女主演の昔のドラマをいくつも観る機会を得た。どれも面白かったが、一番よかったのは、「眠れる森」(フジテレビ系、1998年)だ。
筋書きがサスペンス仕立てでよくできていて、この多分に文学素養のある脚本家は一体誰だろうと調べてみたら、野沢尚(1960-2004)、推理小説作家として本も出していたシナリオライター兼作家(2004年自殺)だった。木村拓哉(1972年生まれ)とのコンビだが、惹かれ合う男女は実は兄妹との設定で、結婚相手の危険な男(ヒロインの両親を惨殺した秘められた過去を持つ)を演じた仲村トオル(1965年生まれ)の熱演が光った。
中山美穂の演技力も、ヒーローたちに負けていない。いろいろ観たが、いい女優だなと思った。何より美しい。アイドル歌手としての彼女は知らないが、女優としては第1級だったと思う。
それだけに、突然の訃報にはびっくりした。元夫、辻仁成の発信する滞仏日記で、辻との間に産まれた息子の動静も知っていたし、一体どんな思いで・・・と心配していたところ、後日、日記に悲しい知らせが届いたとの、言及があった。訃報を受けて、愛息を気遣う父の思いが滲み出ていた。短く触れたのみで何も具体的なことは書かれていなかったが、葬儀に息子をパリから送る決意は即座になされたのだと思う。
母の遺体との対面は想像もつかぬほどむごく辛いものとしても、最期の対面の機会は逃せない。辻仁成にとっては、離縁した元妻でも、息子にとっては母親に変わりないのだから。かくして、9年振りの母子対面となったわけだが、故人としては、どんなにか生きて再会を果たしたかったろう。晴れて大学生となって親元から、離れ独立した大人に成長した息子には、ガールフレンドもできて、父が手料理でもてなしたエピソードも、日記には記されていた。
パリ育ちの息子はどんな思いで、未来永劫に目覚めぬ母との対面を果たしたのだろうと思うと、運命の残酷さに戦慄する。自殺説も取り沙汰される中、ある意味、芸能界のいけにえ、苛酷な世界に殺されたのだと思う。
辻仁成の「刀」に、自身がモデルの主人公が、中山美穂がモデルのナナとの交際が発展する過程で、否応なく絡んでくる大手プロダクションの存在について書かれている。自身の原作でナナを主演にした映画が企画された時、主人公は監督を希望したが、ナナは反対する。野心家の彼にピシャリと一言、「あなたは芸能界で生きていける人ではありません」。
引退して、異国の地で静かで幸福な家庭生活を送りたいと望んだ中山美穂が結局は、自ら選択した伴侶に失望し、芸能界に戻る羽目を余儀なくされたのは皮肉の最たるもの、あわれでならない。合掌!
※終わりに、同じ著者による「白仏(はくぶつ)」(1997年、文藝春秋)について、一言触れておく。2年後の1999年、フランスの文学賞フェミナ賞外国小説賞を受賞した力作長編で(仏語版はLe Buddha blanc)、鉄砲屋と謳われた著者の祖父がモデル。生い立ちから幼少期、青・壮年期、日露戦争で戦死した友の慰霊に、筑後川最下流の大野島(福岡県側)に住む村人たちの遺骨を掘り起こして粉砕、白い仏像を建立するまでの晩年を描いた作品でお薦めだ。
(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。
モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)
本記事は「銀座新聞ニュース」掲載されたモハンティ三智江さん記事の転載になります。
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作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。