【連載】モハンティ三智江の第3の眼

冬の北海道、紋別の砕氷船でオホーツクの海氷を満喫(163-2)

モハンティ三智江

写真:観光砕氷船「ガリンコ号」は鮮やかなオレンジの小型船、中国系旅行者はじめ、観光客でびっしり、全員が到着間もない流氷の恩恵にあずかり、ラッキーだった。

(インドへの一時帰国から日本に戻ってきましたので、タイトルはそのままです)
【モハンティ三智江のインドからの帰国記=2025年4月22日】中学時代の元級友Kの訃報にショックを受けて、突如真冬の北海道に旅に出ることを思い立ったところまで、前回(https://ginzanews.net/?page_id=71362)で述べた。

さて、知床に流氷を見に行くつもりでいた私だったが、やはり同じ中学時代の元級友から耳寄りな情報を得た。流氷なら、紋別でガリンコ砕氷船に乗るのがいいとのお薦めだ。ビジネス絡みで世界108カ国制覇の彼は既に体験済みだった。

早速調べてみると、札幌からだと、知床よりアクセスしやすい。で、目的地を急遽変更し、名古屋発札幌までの往復航空券や宿の予約を始めた。

そして、旅立ったのが、休み明けの2月12日。この間、北陸は大寒波に見舞われ、交通への影響を懸念する余り、ハラハラのし通し、一時はなんでよりにもよって降雪量の多い2月を出立日に選んでしまったのかと、悔やんだほどだった。

旅立ち前は大抵ネガティブな気分にとらわれるものだが、昨年11月のフィリピン慰霊旅行の際もそうだった。マニラ出発前日に台風予報が出て、ハラハラさせられたのと、未知の土地に対する不安から、否定的な気分にとらわれてしまったのだ。

が、案ずるより産むが易しで、連続6回の台風に見舞われながらも、直接の被害はひと晩だけで済んだ(崖からの懸棺(かけかん、けんかん=吊るされた棺)風習で有名なルソン島北部のサガダで嵐に直撃され、停電の夜を過ごしたが、翌朝は一転快晴に)。

今回も、悪天への懸念からネガティブな気分に陥り、北陸の最強寒波でガチガチ震えているさなかに、なんでよりにもよって真冬の北海道へ?それも流氷を見に行くなんて酔狂な真似をと、己の浅はかさを悔やむことしきり。

この雪でバスが運休、よしんば名古屋までは行けたとしても、飛行機が飛ばなかったらどうするんだと、無謀な計画に舌打ちしまくったものだ(実際、フライト前日の2月11日札幌発便が雪で全面欠航、雪祭り最終日に詰めかけた乗客は空港で寝泊まりを余儀なくされた。間一髪、私はラッキー)。

写真:紋別のオホーツク海を一面に覆う流氷は壮観だった。

が、旅は決して裏切ることはない。体験からわかっていたが、その通り、真冬の北海道は予想を裏切って素晴らしいものだった。札幌から紋別までは高速バスで移動したが、四方真っ白な雪に閉ざされた視界を行くバスはまるで、異界への旅の途上にあるごとく幻想的かつ神秘的で、雪に覆われた原生林や、見はるかす限り起伏して続く白い原野と、息もつかせぬ雄大さであった。円筒型のサイロ(農産物や飼料の貯蔵庫)が雪原に屹立し、異国情緒を誘う。

それにしても、北海道の雪の目が洗われるような白さときたら! 故郷北陸のそれとは、色も厚みも迫力がまるで違う。雪の処女地と形容したくなるくらい、穢(けが)れない純白一色で、浄らかさに感嘆の息が漏れた。北陸の雪が黄味を帯びているように見えるくらい、ほんものの雪の洗礼を浴びて、まっさらに浄化される心地だった。

一瞬バスの乗客がみな死人でないかと錯覚するくらい、外界が真っ白な中を滑るような速さで突き進むバスは、彼岸への橋渡しの乗り物のようにすら思えた。乗客は中国系の訪日外国人がほとんどなのだか、みな無言で意味不明の耳障りな会話か飛び交わないのが幸い、しかし、彼らの旅装ときたら、ダウン1枚に、足元はスニーカー、これでどうやって北海道の深い雪の中を?と、膝までの長靴、ダウン2着を着重ねた私はいぶかるのだった。

紋別では、電話予約した「ペンションさくらハウス」に2泊したが(計1万円)、快適だった。風呂とトイレは共同だが、部屋は広くて、オイルファンヒーターの効き目はてきめん、金沢の自室のまるで効かない暖房とダンチ、やや熱すぎるくらいだった(北海道ではエアコンが効かないので、石油ファンヒーターや石油ストーブがポピュラー)。

吹雪いていたので、その日は隣のスーパーで食料を買い込んで巣ごもり(ちなみに、道内1のローカルコンビニ、セイコーマート=1091店=はおにぎり弁当や北海道牛乳を使ったスイーツ、ラスクなどの地産品がおいしくてオススメ)。

翌朝、宿から歩いて行ける紋別バスターミナルまで出て、市バスで港に行き、電話予約したガリンコ号乗り場(海洋交流館)に降り立った。流氷の到来は遅れていて、前日の時点ではやっと、早朝のひと便のみが見れたくらいだった。折しもバレンタインデー、神様が最高のプレゼントをくださいますようにとお祈りした。

写真:小樽から電車で約1時間の余市にあるニッカウヰスキーの工場群は雪に覆われた広大な敷地に、異国情緒溢れる煉瓦街のように開ける。創業者の竹鶴政孝(1894-1979)の造り上げたドリームランドは必見。

待合室は人で溢れ、4000円なりの切符を買って列に並ぶ。窓外の埠頭に見える鮮やかなオレンジ色の小型船、ガリンコ号に目をやって、わくわくする。

意気揚々と乗り込んで、中には座らず、外の甲板に陣取り、手すりにもたれて、真下の薄青いオホーツク海を見下ろした。岸を離れて10分とたたぬうちに、海面が一面真っ白な氷片で覆われた。細かい氷のかけらがびっしり海表に漂っている。海の青さが隠れるほど埋め尽くした白い氷の塊の群れに、すごいと、私は息を呑んだ。中の乗客も流氷の壮観をひと目見んと甲板に詰めかけていた。

我先にと、記念撮影する中国系旅行者たち、私も極寒も忘れて、45分間続く壮大な自然のドラマを無我夢中で撮り続けた。

白い海面に乗り出すようにして、ガリンコ号がガリガリと氷を砕きながら進む様、船底が分厚い流氷を掻き分けていく場面に釘付けになった。流氷は大きいものでは、1メートルくらいあったが、数十センチの細切れ氷でびっしり埋め尽くされている。すごい、すごいと連発し続け、我を忘れて撮影し続けた。

一生に一度の得がたい体験で、その夜は、ハーフボトルの十勝ワインとチョコレートで祝杯をあげた。

写真:ニッカウヰスキー工場内施設で待ちかねた試飲会、スモーキーなレア・オールド・スーパー(写真中央)を炭酸割りでクィッ、サイコー!

夜半、夢を見た。午前中流氷を見ながら、ふとKに思いを馳せ、生きていれば、こんな素晴らしい光景も楽しめたのにと、口惜しく思ったものだったが、夢の中でKは真っ白な衣装に身を包み、静かに微笑んでいた。

目覚めて、Kが成仏したことを悟り、私はほっとした。よかった、南無阿弥陀仏と黙祷しながら、3回唱えた。つらい闘病生活を終えて、今は天国で安らぎ、くつろいでいるだろう。弔い旅に北海道を選んだのは、正解だったと思った。

帰りは旭川1泊(永山駅近くの「ホテルトレンド旭川」、7300円)、札幌の街並みより素敵に整備された旭川を愛で、小樽へ立ち寄り(小樽和の宿2泊、計6600円)、余市でニッカウヰスキー工場を無料見学・試飲後、小樽の運河沿いのノスタルジックな倉庫街と、メルヘンストリートのガラス工房など、瀟洒な通りを散策し、雪の照り返し避けにピンクのフレームのサングラスを買い、土産代わりとした。

札幌最終日はすすきののまだ新しくてモダンなカプセルホテル(「The Stay Sapporo」、1ベッド3180円)に泊まったのだが、10階にくつろげるラウンジがあり、ドリップコーヒー無料と、超快適、ボックス式のベッドもふかふかで、これからは個室にこだわらず、旅費節約のためにももっとカプセルホテルを利用しようと思った。

写真:ライトアップされた小樽運河の倉庫街はノスタルジック、船で観光する人も。

冬の北海道の醍醐味をたっぷり味わって帰路に着いたわけだが、名古屋に到着すると、北陸は寒波再来で金沢行き高速バスが2便運休していた。折よく1時間後に白川郷経由便があり、何とか乗車できた。ちなみに、白川郷は積雪2メートル60センチで、北海道を凌ぐ豪雪、吹雪く中をバスはゆっくり進み、すごい、北海道に負けてないなあと感嘆、思いがけず帰路の岐阜一瞥旅行も楽しめた。

※注:ウイキペディアによると、「流氷」とは、海に浮かび漂流している氷のことで、北極海や南氷洋(南極海)などのほか、日本近海ではオホーツク海で見られる。

オホーツク海北岸付近では、寒風により海水が凍っては流されを繰り返し、東樺太海流に乗って北海道へ南下してくる。オホーツク海は北半球における流氷の南限て、北海道沿岸から流氷が確認できたそのシーズン最初の日を「流氷初日」という。日本での流氷初日は、平年では北海道のオホーツク海沿岸で1月中旬から下旬頃であり、その後1月下旬から2月上旬頃にかけて接岸する。接岸した初日を「流氷接岸初日」という。

(「インド発コロナ観戦記」は、92回から「インドからの帰国記」にしています。インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いてきましたが、92回からはインドからの「帰国記」として随時、掲載しています。

モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行している。編集注は筆者と関係ありません)

 

本記事は「銀座新聞ニュース」掲載されたモハンティ三智江さん記事の転載になります。

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モハンティ三智江 モハンティ三智江

作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。

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