松本道弘氏とConstantinopleで語りあった「言葉と文化(宗教)」~ロシア・ウクライナ紛争に想う
国際同時通訳の草分け、松本道弘氏が逝った(3月14日、82歳)。「武士道Bushido: The Soul of Japan(新渡戸稲造)」に準えて「英語道場」を主宰、Debateの重要さを啓蒙してこられた。数ある著書の中で「getとgiveだけで英語は通じる」(講談社)には単語の裏にある薀蓄が満載されている。即ち「知識こそがGlobal道場で発揮できる力」ということだ。
松本氏で忘れられないのは「パレスチナ訪問」。
【第204回】 中東和平対話を日本で(パレスチナ訪問記) – 浜地道雄の「異目異耳」
同国独立記念日2012年11月15日。アバスMahmoud Abbas議長(大統領)の招待による集まりに同道、同地を一週間訪問した。
残念ながら当日、イスラエルによるガザ攻撃という非常事態で記念行事がキャンセルとなった。が、その前日、パレスチナ支援をしてきたアラブ諸国への感謝の会に出席が許され、ファイヤードSalam Fayad首相官邸(ヨルダン川西岸Rām Allāh=アラビア語で「至高の神」)に招かれての会談が実現した。そこでの、「中東和平交渉を日本で」という持ちかけには「in šāʾa –llāh=アラー神の思し召しどおり=Surely」と明言回答があった。
イスラエルによる入植という名のパレスチナ併合。ここから、現下世界の目が注がれるロシア・ウクライナ紛争の争点「ロシアによるクリミヤ併合」に思いが直結する。
そして、パレスチナからの帰路、経由地はトルコのイスタンブール。松本氏をPera Palace Hotelご案内した。1892年に創業、オスマン王朝初の豪華ホテルは「オリエント急行」(DBE Agatha Mary Clarissa Christie)の発着宿だ。
この「往時の世界の中心」=Constantinopleで、本場Turkish Coffeeを楽しみながらの歓談の中心は「言葉と文化(宗教、歴史)」。同地にはキリスト教・東方正教会の最高権威とされるコンスタンチノーブル総主教教会Ecumenical Patriarchate of Constantinopleが現存する。
2018年3月18日にロシアによるクリミア併合に続く同年年8月。イスタンブールにおいて正教会主教会議Synod*が行われた(*キリスト教会が教義や管理上の問題を話し合う会議)。結果、10月11日、コンスタンチノープル総主教庁がウクライナ正教会の求めに応じてロシア正教会からの独立を認めた。これにより、ロシア正教会は15日コンスタンチノープル総主教庁との関係断絶を決めた。
それまで、ロシア正教会 Russian Orthodox Churchは,各地の正教会Orthodox Churchesの中における最大の勢力として,「モスクワは第3のローマ(=カトリック本山)である」という立場を公けにしていた。
ロシア及びウクライナにおいて,正教会は政治的にも強い影響力を有しており、このウクライナ正教会の独立(autocephalyアウトケファリ)は重大な政治的意義を持つ。
ゆえに、このウクライナ正教会独立の決定(tomosトモス)は、ロシア正教会と緊密に連携して国内統治を行ってきたロシア・プーチン政権にとって大打撃である。
事実、Putinが2021年7月発表した論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」では言語、正教会の信仰での結び付きを強調している。
”Russians, Ukrainians, and Belarusians were all descendants of Ancient Russia. This community is based on the language and the Orthodox religion”.
あれから10年。松本氏と話した「言葉と文化(宗教)」の重要性が今改めて思い出される。(合掌)
さて、重要課題。基本的に日本が出る幕はない。が、唯一の被爆国日本がすべきこと=できること=は「憲法9条を楯に『平和仲介』」である。【第254回」 ロシア・ウクライナ紛争は勝(すぐ)れて宗教紛争 – 浜地道雄の「異目異耳」
日本では殆ど、報道解説されないが、前述2018年、ウクライナ正教のロシア正教からの「離脱」が話の焦点だ。
荒っぽく例えれば、「愛弟子ウクライナ」が「親方ロシアの部屋から脱退」。これを相撲協会(イスタンブール・コンスタンチノープル)が認めたということ。
「『同性愛は罪深きものとする』ロシア正教」は「『同性愛を容認する』ウクライナ正教」を赦さない。 又、その背景に「NATO(という軍事同盟)」とプーチンは疑ってる。
このあたりの「宗教・文化」の原点については「イスラム教」の観点から過去記事を再現した。【第256回】 文化(文明でなく)の衝突 ― 勝てない戦い – 浜地道雄の「異目異耳」
昔習った「世界史」を振り返っても根は本当に深く、我々日本(人)には理解が及ばない。ひたすら、憲法9条を楯に「和平仲介」を、と主張する次第。
何よりも「停戦」のよびかけ。そして米国によるウクライナへの「武器供与の停止」が焦眉の急だ。
・話は1054年、西のローマ教会(カトリック)と、東のピザンツ帝国=コンスタンチノープル教会(ギリシャ正教)の「分裂」に遡る
・1326年、ピザンツ帝国の弱体化により、ギリシャ正教の大主教座がモスクワに移される。
・1589年、コンスタンチノープル総主教からロシア正教会に「総主教」の称号が与えられる。(⇒モスクワは、ローマ、コンスタンチノープルに次ぐ「第三のローマ」に)
・1686年、モスクワがウクライナ正教を統制下に置く。
※この記事は、「浜地道雄の『異目異耳』」(2022年6月7日)からの転載です。
原文は、コチラ→https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2022/06/07/141248
※ウクライナ問題関連の注目サイトのご紹介です。
https://isfweb.org/recommended/page-4879/
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国際ビジネスコンサルタント。1965年、慶応義塾大学経済学部卒業。同年、ニチメン(現・双日)入社。石油部員としてテヘラン、リヤド駐在。1988年、帝国データバンクに転職。同社米国社長としてNYCに赴任、2002年ビジネスコンサルタントとして独立。現在、(一財)グローバル人材開発顧問。「月刊グルーバル経営」誌にGlobal Business English Fileを長期連載中。