検証ソ連崩壊後の米国世界戦略、ウクライナ戦争勃発の真相
国際2月24日にロシア軍がかつての連邦国ウクライナに侵攻すると、西側世界では一斉に「力による一方的な現状変更」という批判が巻き起こり、ロシアのプーチン大統領には「第二次大戦後の国際秩序を破壊する大悪人」の烙印が押された。
西側世界の報道は、軍事大国ロシアが隣国ウクライナの主権を一方的に踏みにじり、ウクライナ国民の平和を押しつぶしているとの論調で統一された。
しかし冷戦が終わるころから米国議会の議論を日本に紹介する仕事をしてきた筆者の考えは、西側報道の構図と異なる。「プーチンvsゼレンスキー」ではなく「プーチンvsバイデン」の戦いで、ロシアに対する長年にわたる米国の攻勢がロシアを追い詰め、それがウクライナ侵攻を招いたと考えている。
プーチン大統領はかねてから「NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大」は、ロシアにとって安全保障上の深刻な危機だと訴えてきた。特にウクライナがNATOに加盟すれば、米国の核ミサイル基地がモスクワの目と鼻の先にできることになる。
1962年、米国のケネディ大統領は、 フロリダ半島の目と鼻の先のキューバにソ連の核ミサイル基地が建設されることを知ると、核戦争を覚悟してキューバ基地建設を阻止した。ウクライナのNATO加盟はそれと同様だとプーチンは警告していたのだ。
キューバ危機は米国がトルコに建設したミサイル基地を撤去することで、ソ連もキューバのミサイル基地建設を取りやめ、人類は核戦争の危機を免れた。しかし5月9日「対独戦勝記念日」の演説でプーチンは、昨年12月にバイデン米大統領にロシアの安全を確保するための話し合いを呼び掛けたが一蹴されたと述べている。
ロシアにとってウクライナの「非武装中立」は、自国の安全を守るための絶対条件である。そして米国の冷戦時代の対ソ戦略も「NATOの東方拡大」には反対だった。
米国の外交官ジョージ・ケナンは、米国が攻勢を強めればソ連はそれに敏感に反応し、米ソ双方に深刻な犠牲を招く。それよりもソ連の周辺国を支援してソ連を「封じ込め」、ソ連内部に矛盾が生まれるのを待つ。そうすればソ連は内部から崩壊すると説いた。
現実にソ連が崩壊したのは、米国との軍拡競争が経済を圧迫した事情はあるが、それよりもブレジネフ書記長時代に共産党内部の腐敗が明らかとなり、それを改革するために登場したゴルバチョフ書記長の手によってソ連は解体された。ケナンの予言通り、ソ連は自壊したのである。
この時ゴルバチョフと米国のジェームズ・ベーカー国務長官との間で、ワルシャワ条約機構軍とNATO軍の解散が話し合われ、ワルシャワ条約機構軍は解散するがNATO軍は解散しない代わり「一インチたりとも東方拡大しない」という口約束が交わされた。
しかしこの約束は米国によって破られる。ソ連崩壊によって唯一の超大国となった米国の中に、米国の民主主義がソ連の共産主義を打倒したと考えるネオコン(新保守主義者)が影響力を持ち、それが民主・共和両党にまたがる一大勢力となった。
・ネオコンとは何か?
ネオコンの源流は、戦前ニューヨークで白人から差別されていたユダヤ人のトロツキスト集団である。戦後彼らは民主党に入り最左派として労働運動や公民権運動を行なったが、ベトナム反戦運動が愛国的でなく反米的だと反発して保守派に転向した。
「世界革命」を唱えたトロツキーが「一国社会主義」のスターリンに権力闘争で敗れたことから、ネオコンはスターリンの影響を受けたソ連と後継のロシアを激しく敵視する。そしてトロツキーが「革命」を世界に輸出しようとしたように、米国の価値観である「民主主義」を輸出することを使命と考える。
ソ連崩壊直後の1992年に、ネオコンの代表的論客とされる政治学者フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』を書き、歴史とは世界が民主化されていく過程であり、共産主義との戦いに民主主義が勝利したことで、人類の歴史は最終形態に入ったと主張した。
翌1993年に大統領に就任したビル・クリントンは、カーター政権で安全保障担当補佐官を務めたポーランド出身のズビグニュー・ブレジンスキーの助言に従い、1996年の大統領選挙で再選を勝ち取るため、「ポーランドをNATOに加盟させる」と言って、2000万票のポーランド移民票を取り込もうとした。
ケナンの「封じ込め戦略」と「1インチたりとも拡大しないという口約束」はこうして破られた。1999年にポーランド・チェコ・ハンガリーがNATOに加盟し、次いでクリントンは第二次東方拡大としてバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)とルーマニア・ブルガリア・スロバキア・スロベニアなどに加盟を申請させた。
クリントン政権の国務長官がネオコンのマドリーヌ・オルブライトだったこともあり、クリントンは最新鋭の兵器を装備した米軍に「世界の警察官」の役割を負わせ、世界各地の紛争に武力介入し、米国の民主主義を世界に広めることを外交の基本とした。クリントンは「21世紀はグローバリゼーションの時代」と言ったが、実態は「アメリカナイゼーション」で、これには非西欧社会から反発の声が上がる。
反発の最も過激な例が2001年の「9・11同時多発テロ」である。スタートしたばかりのブッシュ(子)政権は、チェイニー副大統領をはじめネオコンに取り巻かれた政権だったが、ブッシュ大統領は直ちに「テロとの戦い」を宣言して中東の民主化を目指した。
ブッシュの演説は、1941年の日本軍による真珠湾奇襲攻撃を思い起こさせるところから始まる。米国の領土が空から攻撃されたのは史上2例しかないからだ。「奇襲攻撃をした野蛮な日本を戦争で負かした結果、日本は米国に最も忠実な民主主義国になった。だから中東のテロリストと戦い、米国は中東を民主化する」。
この演説後、米国メディアはテロ容疑者を匿ったアフガニスタンに「女性の権利を奪う反民主主義国家」と糾弾キャンペーンを張り、タリバン政権の野蛮性を世界に発信してから、ブッシュ政権は国連の承認を得ることなく、先制攻撃に踏み切った。
新型兵器の投入で米国はあっという間にタリバン政権を駆逐し傀儡政権を樹立するが、これはまぎれもなく「力による一方的な現状変更」である。しかし西側世界は誰もそれを批判せず、「独裁政権を打倒する正義の戦争」として米国の戦争に協力した。
アフガニスタンに傀儡政権を樹立したブッシュは、次にアラブ世界の盟主を自認するフセイン大統領のイラクを攻撃する。イラクが大量破壊兵器を保有しているというのが攻撃の理由だが、それはまったくの「嘘」だった。
イラクの核疑惑を調査した米国の外交官ジョゼフ・ウィルソンが核疑惑を否定する報告書を提出したのに、チェイニー副大統領はそれを握りつぶし、ブッシュはイラクの大量破壊兵器保有を世界に訴え、国連の承認を得ることなく圧倒的な軍事力でイラクを制圧、フセインを処刑した。これも「力による一方的な現状変更」にほかならない。
しかし独裁者を抹殺してもイラクは民主化されなかった。それどころか均衡していたイスラムの宗派対立が激化し、さらに過激なテロ集団「イスラム国」が生まれ、中東はますます不安定になり、「テロとの戦い」は米国を泥沼の戦争に引きずり込む。
・裏切られたプーチン
その間に中東に影響力を伸ばしたのが中国とロシアだ。中国は経済で中東諸国との連携を深め、ロシアは「イスラム国」と戦うシリアのアサド政権を支援して、「軍事大国」としての力を見せつけた。
2000年5月に大統領に就任したプーチンは、当初は米国に協力的で、米国の「テロとの戦い」を支援し、また欧州ではNATOに接近し、その意思決定機関にロシアも参画して「準加盟」の扱いを受けるようになった。
その中で2002年にNATOの第二次東方拡大、つまりバルト三国・ルーマニア・ブルガリア・スロバキア・スロベニアの新規加入が決定される。ロシア国内では東方拡大に懸念を抱く軍部や議会がプーチンの融和姿勢に反対したが、プーチンはNATOの軍事同盟色を薄め、かつてのソ連敵視の性格を転換させようとしていた。
しかしプーチンは欧米から裏切られる。ルーマニア・ブルガリア・ポーランド・チェコに米軍基地が作られ、米国のミサイル防衛システムが設置された。プーチンは2007年のミュンヘン安全保障会議で「ソ連もワルシャワ条約機構軍もないのにNATO拡大は誰に対抗するためなのか」と不満をぶちまけた。
プーチンが対米協調から反米に転じたのは2008年である。4月に開かれたNATO首脳会議でブッシュがロシアの嫌がるウクライナとグルジア(現ジョージア)のNATO加盟を強く推したからだ。この時はドイツのメルケル首相もフランスのサルコジ大統領も反対して決定は見送られたが、将来の加盟の可能性までは否定されなかった。
しかし、2カ月後にブッシュがコソボ独立を承認する。コソボはセルビア内の一地域だがアルバニア人が多く、セルビア人との間で紛争が起き、1999年にNATO軍が武力介入したことがある。そのコソボの独立を米国が承認すると、西側諸国も次々に承認に踏み切る。プーチンはセルビアの主権を侵害する行為だと強く反発した。
すると8月にグルジアでロシア軍との戦争が起こる。グルジア軍は先にロシア軍が攻撃したと言うが、プーチンは米国大統領選挙で民主党候補オバマと戦う共和党のマケインを勝たせるため、ブッシュが後ろで糸を引いたと主張した。マケインはウクライナとも関係の深いネオコンで、つまりプーチンはネオコンが仕掛けた戦争だと批判したのである。
この戦争はフランスが仲介して停戦が成立し、グルジア領内の南オセチアとアブハジアという二つの地域の独立をロシアが承認、ロシア軍が駐留して「中立地帯」となった。米国がセルビア領内のコソボを独立国と承認したのだから、同じことをやったというのがプーチンの言い分だ。翌年1月に就任したオバマ大統領はこれを黙認した。
オバマは中東からの米軍撤退を公約に掲げて大統領に当選した。ネオコンが主導した「テロとの戦い」を転換するためである。オバマは「米国は世界の警察官をやめる」と言って公約の実現を目指したが、軍需産業とネオコンが影響力を持つ米国政治の中で撤退は容易ではなかった。
中東からの米軍撤退が進まないなか、欧州のウクライナでは2014年に親露派政権打倒クーデター、いわゆる「マイダン革命」が起こる。欧米との接近を求める市民のデモを裏で操っていたのはネオコンの代表格ヴィクトリア・ヌーランド国務次官補で、それに当時副大統領だったバイデンも共和党のマケイン上院議員も協力していた。
親露派のヤヌコビッチ大統領がロシアに亡命すると、プーチンはロシアの黒海艦隊の拠点があるクリミア半島を武力で併合する。この時ウクライナの東部2州も親露派が独立を要求し内戦が起きた。内戦を停戦に導いたのはドイツのメルケルで、東部2州に独立ではなく自治権を認めるという「ミンスク合意」が結ばれた。
TBSでディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。現在はブログ執筆と政治塾を主宰。