【連載】櫻井ジャーナル

【櫻井ジャーナル】2025.08.15XML :日本が80年前に降伏した戦争は、明治維新直後の琉球併合から始まった

櫻井春彦

 1945年8月15日は昭和天皇(裕仁)が「ポツダム宣言」の受諾をアメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に伝えたと「臣民」に発表した。つまり、今年は日本が第2次世界大戦に敗れてから80年目にあたる。

 

日本の敗北が決まった日は1945年9月2日。東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦ミズーリで政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が降伏文書に調印したのだが、戦争を始めたのはいつのことなのか。

 

アメリカとの戦争は1941年12月7日にハワイの真珠湾を攻撃した時に始まったと言えるだろうが、中国侵略は1872年に琉球を併合した時から始まる。「維新」で誕生した明治体制は琉球の後、台湾派兵、江華島への軍艦派遣、日清戦争、日露戦争へと進んだが、こうした侵略はアメリカやイギリスの外交官に煽られてのことだった。自覚していたかどうかはともかく、明治体制はアメリカやイギリスの手先として動いていたのだ。

 

明治維新で暗躍したジャーディン・マセソンは中国(清)の茶や絹をイギリスへ運び、インドで仕入れたアヘンを中国へ持ち込んむという商売をして大儲けしていた。19世紀に麻薬取引を支配していたのは同社と「東方のロスチャイルド」ことサッスーン家だ。明治維新の黒幕は麻薬業者だったとも言える。

 

この商売を中国に押し付けたのが第1次アヘン戦争(1839年9月から42年8月)と第2次アヘン戦争(1856年10月から60年10月)。この戦争をビクトリア女王にさせたのは反ロシアで有名な政治家、ヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)にほかならない。2度のアヘン戦争でイギリスは勝利したわけだが、これは海戦でのこと。無陸部を制圧する戦力を持っていなかった。

 

ジャーディン・マセソンは1859年に長崎へトーマス・グラバーを、横浜へウィリアム・ケズウィックをエージェントとして送り込んだ。歴史物語ではグラバーが有名だが、大物はケズウィック。母方の祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉なのである。

 

グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州の若者5名をイギリスへ留学させることにする。選ばれたのは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)だ。

 

この5名は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンにほかならない。1861年に武器商人として独立したグラバーも密航の手助けをしているが、ケズウィックは1862年にジャーディン・マセソンの共同経営者となるために香港へ戻っていた。

 

長州の若者5名が出向する前の月、つまり1863年5月に長州はアメリカ商船のペンブローク、オランダ通報艦のキャンシャン、オランダ東洋艦隊所属のメデューサを相次いで砲撃。それに対し、6月に入るとアメリカの軍艦ワイオミングが報復攻撃、長州藩の海軍を壊滅させ、さらにフランス海軍のセミラミスとタンクレードも報復攻撃した。この攻撃は長州とイギリスの八百長戦争だったのか、あるいは長州内部に対立があったのだろう。この当時、グラバーは大量の武器弾薬を買い込んでいた。

 

日露戦争は1904年2月8日、日本軍が仁川沖と旅順港を奇襲攻撃したところから始まる。その際、日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。

 

この戦争について、セオドア・ルーズベルト米大統領は日本が自分たちのために戦っていると語り、日本政府の使節としてアメリカにいた金子堅太郎はアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。1910年に日本が韓国を併合した際、アメリカが容認した理由はこの辺にあるだろう。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 

関東大震災の復興資金調達の結果、日本の政治や経済をアメリカの巨大金融資本JPモルガンの影響下に入った。そして日本では治安維持法によって思想弾圧が強化され、「満蒙は日本の生命線」と言われるようになった。

 

1927年5月に日本軍は山東へ派兵する。1928年6月に関東軍は張作霖を爆殺し、31年9月に柳条湖で南満州鉄道を爆破、中国東北部を制圧することになる。いわゆる「満州事変(九一八事変)」の勃発だ。

 

その後、軍事的な緊張が高まり、一触即発の状況になり、1937年7月に「盧溝橋事件」が起こる。二・二六事件の結果、米英金融資本に反発していた軍人が粛清されたのはその前年、1936年2月のこと。1939年5月にノモンハン付近で満州国警備隊と外モンゴル軍が交戦、関東軍が陸軍省と参謀本部の方針を無視して戦闘を続け、敗北した。

 

1941年6月にドイツ軍はソ連への軍事侵攻を開始する。バルバロッサ作戦だ。その翌月に日本軍は「関東軍特種演習」という名目でソ連への軍事侵攻を目論むのだが、8月に関東軍特種演習の中止が決まり、この年の12月にマレー半島とハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカとの戦争が始まった。アメリカとの戦争は日本が行なっていた戦争の一幕にすぎない。

 

実は、日本が真珠湾を奇襲攻撃する前、イギリスには「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案があった(Anthony Cave Brown, “”C”: The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies,” Macmillan、1988)のだが、ノモンハンでソ連軍に敗北したこともあり、その後に南進、つまり東南アジアへ矛先を向けてイギリスの利権と衝突、この同盟は不可能になった。

 

1945年4月12日にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、翌月にドイツが降伏すると、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連への奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対して作戦の立案を命令する。そして5月22日にアンシンカブル作戦は提出された。

 

その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めることになっていたが、この作戦は発動していない。参謀本部が計画を拒否したからだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)その代わり、アメリカ軍はソ連に対するメッセージとして、2発の原爆を日本に投下した。

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