改めて検証するウクライナ問題の本質:Ⅰ 開戦前夜の情報戦
国際最初から交渉を重視していなかったバイデン政権
以後、大統領のバイデンやブリンケン、国家安全保障問題担当大統領補佐官のジェイク・サリバンらのロシアに対する侵攻への「懸念」や「警告」が連続していくが、「もしウクライナとNATOがプーチンの要求を拒否したら侵攻は起こる」(前述『ビルド』紙記事)のは自明であった以上、戦争になるかどうかは、最終的にロシアが最も懸念するウクライナのNATO加盟と軍事化に関する要求で、米国がどのような回答をするかにかかっていたことをバイデン政権は当然ながら知っていたはずだ。
だがバイデン政権は、ロシアに対して意図的にゼロ回答に徹し、将来的な両国の安全保障をめぐる討議につながる一切の建設的提言も示さなかった。戦争回避のため、どのようなロシアとの対話協議が可能かという問題意識すらないまま、ひたすらロシアへの非難だけに終始したといえる。
これについて、バイデン政権は侵攻を「強固にあいまいさを排し、公然と予測した」として、「諜報機関と政権当事者の(ロシアをめぐる)評価は的を得ていたようだ」という見方がある。その上で、「今回のようにバイデン政権が積極的に情報を公開したのは、プーチンが何を意図しているかを事前に暴露することで軍事計画を複雑化させ、可能ならその実行を回避する作戦であった」(注6)との好意的見解を示す。
だがロシア側にとっては、「事前に暴露される」ことは米国の諜報能力から考えて最初から織り込み済みであって、侵攻の意図を知った米国側の交渉姿勢にどう影響させるかが最大の関心事であったのは疑いない。いくらバイデン政権が事前に「侵攻非難」を繰り返そうが、ロシア側からすれば単に2月24日直前まで否認を貫く虚言戦術で対応すれば事は済む。そのため米国側が「軍事計画を複雑化」させたり、侵攻を「回避する」ような効果を期待できる可能性はなかったはずだ。
むしろ後述するように、バイデン政権の最大の狙いは、ロシアが開戦せざるを得なくなるまで追い込むことにあったのは疑いない。そのため繰り返された非難は「回避」どころか、むしろロシア側との真摯な交渉を拒否する上でのカムフラージュとして機能したのではなかったか。
「大統領指令117号」の重大な意味
いずれにせよ、21年の「10月半ば」に先立つ時期に、ロシアが侵攻を決断せざるを得ない何かの深刻な事情が生まれたと考えて差し支えないだろう。14年にはウクライナでネオナチ主導の暴力で民主的に選出された大統領のヴィクトル・ヤヌコーヴィチを追放したクーデターがあったが、14年7月から20年7月まで、『ニューヨーク・タイムズ』紙や『フォーリン・アフェアーズ』誌、UPIといったメディアに加え、「Defense News」といった軍事問題サイトが「ウクライナ国境付近のロシア軍の増強」を報じた例が7件もあった。(注7)いずれも過剰に「危機」を演出する傾向が否めなかったが、21年11月以降に同趣旨の報道が流された背後にはそれまでとは異なり、ロシアが死活的な局面に立たされたと判断せざるを得ない何かの要因が形成されたと考えられる。
その第一は、ウクライナ大統領のウォロディミル・ゼレンスキーが同年3月24に署名した「大統領指令117号」であったろう。そこでは、ウクライナ国家安全保障・国防会議が同月11日に決定した「一時的に占領されている領土であるクリミア自治共和国とセヴァストポリ市の占領回復と再統合戦略」を実行に移すよう、命じられていた。(注8)
住民の半数以上がロシア系で占められるクリミアは、14年2月のクーデターで生まれた右派政権を拒否し、投票率が83・01%を記録した同年3月16日の住民投票で、96・77%が「ロシアとクリミアの再統合」に賛成する結果となり、同年3月17日にプーチンがクリミア編入条約に署名した。欧米の主流メディアではロシアがクリミアを軍事的に強制併合したかのような見方が支配的だが、住民の大多数が反ロシアで凝り固まった極右やネオナチの暴力によるクーデターを容認しなかった結果であるという事実を故意に無視している。
そのクリミアに加え、セヴァストポリはロシア黒海艦隊の拠点であり、両方の「占領回復」と「再統合」を実行しろと命じた「大統領指令117号」は、ロシアへの宣戦布告に等しかったろう。しかもこの「戦略」が、「外交的のみならず、軍事的、経済的」な手段についても「定義されている」(注9)のは明白だった。ロシアが、これまでとは次元が異なる脅威が出現しつつあると認識し始めたのは疑いない。
(注1)「So könnte Putin die Ukraine vernichten」URL: https://www.bild.de/politik/ausland/politik-ausland/bild-exklusiv-russlands-kriegsplaene-so-koennte-putin-die-ukraine-vernichten-78425518.bild.html
(注2)「Russia planning massive military offensive against Ukraine involving 175,000 troops, U.S. intelligence warns」URL: https://www.washingtonpost.com/national-security/russia-ukraine-invasion/2021/12/03/98a3760e-546b-11ec-8769-2f4ecdf7a2ad_story.html
(注3)「Satellite images show new Russian military buildup near Ukraine」URL: https://www.politico.com/news/2021/11/01/satellite-russia-ukraine-military-518337
(注4)「Satellite photos raise concerns of Russian military build-up near Ukraine」
URL: https://edition.cnn.com/2021/11/04/europe/russia-ukraine-military-buildup-intl-cmd/index.html
(注5)「Blinken: US ‘Concerned’ About Russian Military Activity Near Ukraine」URL: https://www.voanews.com/a/us-ukraine-strategic-partnership-talks/6307814.html
(注6)「The Shot That Was Called: Intelligence and the Russian Invasion of Ukraine」URL: https://nationalinterest.org/blog/paul-pillar/shot-was-called-intelligence-and-russian-invasion-
ukraine-200846
(注7)「’Russian Troop Build-Up’ – Eight Years Of Crying Wolf」URL: https://www.moonofalabama.org/2022/02/page/2/
(注8)УКАЗ ПРЕЗИДЕНТА УКРАЇНИ №117/2021
URLhttps://www.president.gov.ua/documents/1172021-37533
(注9)「Zelensky enacts strategy for de-occupation and reintegration of Crimea」
URL: https://www.ukrinform.net/rubric-polytics/3214479-zelensky-enacts-strategy-for-deoccupation-and-reintegration-of-crimea.html
1953年7月生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。政党機紙記者を経て、パリでジャーナリスト活動。帰国後、経済誌の副編集長等を歴任。著書に『統一協会の犯罪』(八月書館)、『ミッテランとロカール』(社会新報ブックレット)、『9・11の謎』(金曜日)、『オバマの危険』(同)など。共著に『見えざる日本の支配者フリーメーソン』(徳間書店)、『終わらない占領』(法律文化社)、『日本会議と神社本庁』(同)など多数。