日航123便墜落事故(第26弾):RF-4EはSLARを使って墜落現場を撮影していた
社会・経済今回の記事では、事故の翌朝にRF-4Eが墜落現場の写真を撮影をした際、SLARを使って撮影していたことについて述べる。
現在、一般的には、事故翌朝にRF-4Eが発進し、墜落現場の写真を撮影したとされている。例えば、『ディフェンス』(7)掲載の「日航機墜落現場へ 救援自衛隊の初動の記録」には、以下の通り記載されている。
『ディフェンス』(7)(1985年9月25日発行)6ページ
≪8月13日
(中略)
( 5:50) 空自RF-4E偵察機2機現場写真撮影のため発進≫
上記の情報についてはご存知の方も多いのではないだろうか。しかし、RF-4Eがどのように写真を撮影したのかについては、知らない方も多いだろう。
実は、RF-4Eがどのように写真を撮ったのかがわかる資料があるので紹介する。『F-4ファントム物語』という本に、RF-4Eについて解説している箇所があるのだが、そこには以下の通り書かれている。
『F-4ファントム物語』(編者:ワールドフォトプレス、1986年5月20日発行)26ページ
≪(左)飛行中の航空自衛隊第501(偵察)飛行隊のRF-4Eファントム。航空自衛隊は14機のRF-4Eを採用し、旧式のRF-86Fセイバーと交替させた。RF-4Eの偵察システムは光学機器のほか、SLAR側視レーダーも装備する。前の日航機事故でも夜間にRF-4EがSLARを使って撮影した写真は、見事に現場を映し出した。≫
上記の記述から、RF-4EはSLARを使って墜落現場の写真を撮影したことがわかる。
では、SLARとは一体何なのだろうか。SLARに関する情報が掲載されている資料を以下に3つ紹介する。
SLAR | 一般財団法人リモート・センシング技術センター
https://www.restec.or.jp/glossary/slar.html
≪名称(英語) Side-Looking Airborne Radar
名称(日本語) 側方監視機上レーダ
航空機に搭載されるレーダーの一種で、主として地形観測や偵察などに用いられるもの≫
『Side Looking Airborne Radar (SLAR) ──その原理と地質調査への応用──』(松野久也氏による記事)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/82/3/82_3_153/_pdf/-char/ja
≪SLARは,さきにも述べた通り,航空機の飛行が可能な限り利用できる24時間─全天候型のリモート,センシング方式である。そしてこれまでの実例が示すように,空中写真では得られなかつた殆んど1年中雲に覆われている熱帯地方の陸地に関する地形 ・地質に関する情報が得られるようになつた。そして,その撮像は非常にスピーディであつて,1万数1千平方kmを数時間でカバーすることができるのである。また,SLAR映像では,厚い雲や雨を透過することができるばかりでなく,植物被覆,さらに表層被覆物をも透して観測することができ,その陰影効果と相侯つて,熱帯ジャングル下の地質構造のマッピングに空中写真以上の効果を発揮する。≫
『極地油・ガス田開発技術の現状及び動向 (その19) 』(坂光二氏によるレポート)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/_res/projects/default_project/_project_/pdf/3/3020/199208_079a.pdf
≪サイドルッキング・エアボーン ・レーダー(SLAR)システムの利点
1 )瞬時に広範囲のエリア(約20~40マイル)を探索し,リアルタイムで結果を得る。
2 )全天候型システムであり,昼夜を問わず使用可能である。≫
これらの情報から、SLARはレーダーの一種であり、昼夜を問わず24時間利用可能であることがわかる。また、上記の松野久也氏による記事には、SLAR映像の一例の写真も掲載されている。当該写真を見れば、SLARを利用することで鮮明な写真を撮影できることがわかるだろう。
仮に事故当日にRF-4Eが発進し、SLARを使って墜落現場を撮影していれば、事故当日には墜落地点の正確な位置を特定できていたのではないだろうか。事故当日にRF-4Eが飛ばなかったことは、残念としかいいようがない。
なお、一般的には誤情報とみなされるのかもしれないが、「事故当日に偵察機が発進した」とする資料もあるので以下に3つ紹介する。
『軍事研究』1985年10月号116ページ
≪だから今回の事故でも派遣要請を受けるより前、民間機行方不明の情報入手とともに百里基地の救難隊は出動待機に入り、 七時四十分過ぎには離陸、さらにRF4偵察機が七時三十分と、 いずれも要請以前に自主的に情報収集に入っているのだ。≫
『航空情報』1985年11月号69ページ
≪19時47分,百里基地を緊急発進した航空自衛隊のRF-4Eが炎上中の飛行機を確認。≫
1985年8月13日付『読売新聞(西部本社版)』朝刊1面
≪一方、防衛庁に入った連絡によると、茨城県百里基地を緊急発進した航空自衛隊の偵察機RS4Eファントムが、午後七時四十七分、炎上中の飛行機を確認した。≫
(「RF4E」ではなく「RS4E」と記載されているのは単なる誤字と思われる。)

再度述べるが、現在、一般的には、事故翌朝にRF-4Eが発進し、墜落現場の写真を撮影したとされている。
なぜ航空自衛隊は事故当日にRF-4Eを発進させなかったのだろうか。防衛省にはその理由を市民に説明していただきたい。
付記:アメリカ側から見た123便に関する日本の動き
実は、「アメリカ側から見た123便に関する日本の動き」がわかる資料があるので紹介する。『水面下の経済戦争 : 経済情報をめぐる各国情報機関の攻防』という本に、以下の通り記載されている。
『水面下の経済戦争 : 経済情報をめぐる各国情報機関の攻防』92〜93ページ
≪「ソ連の国家保安委員会(KGB)崩壊後は、日本が偽情報発地ナンバーワンとなった」と、東京駐在のアメリカ・エレクトロニクス協会副会長ジョン・P・スターンは嘆いている。(中略)また「日本の航空会社が使用する航空機の製造・整備に手落ちがある」として、ボーイング社を繰り返し攻撃している商社や研究所もある。彼らは、一九八五年のジャンボ機墜落事故はボーイング社の責任だったとまで言っている。アメリカの情報機関は、このような偽情報キャンペーンは企業が単独でおこなっている単発攻撃ではなく、日本政府・情報機関・経済界の典型的な連携プレーであるとしている。アメリカの情報機関によれば、日本政府内の反米派がアメリカ製品とアメリカのサービス業に対する攻撃を先導しているとワシントン・タイムズ紙は伝えている。≫
上記の情報は貴重である。
ボーイング社を繰り返し攻撃し「123便墜落事故はボーイング社の責任だった」とも述べた商社や研究所の≪偽情報キャンペーン≫が本当に「日本政府・情報機関・経済界の連携プレー」だったのであれば、日本政府がそのような行動をとった理由・目的は何だったのだろうか。
ボーイング社への攻撃に日本政府が加担したことがアメリカ政府に露見すれば、アメリカ政府の反感を買うことは明白である。
日本政府はそのリスク込みで「連携プレー」をとったと考えられるが、そのようなリスクを冒してまでボーイング社への攻撃に加担したのであれば、それ相応の理由があるということなのだろう。
「123便墜落事故はボーイング社の責任だった」とする≪偽情報キャンペーン≫に日本政府が加担したのはなぜか。深く考えたが、私には答えが出せなかった。ぜひ読者の方にも考察していただきたい。
【参考文献】
- 日航機墜落現場へ 救援自衛隊の初動の記録. ディフェンス, 1985, 7, p.6, p.92, 国立国会図書館デジタルコレクション. https://dl.ndl.go.jp/pid/2854977(参照 2025-12-05)
- ワールドフォトプレス. F4-ファントム物語. 光文社, 1986年5月20日, p.26-27, p.192, 国立国会図書館デジタルコレクション, https://dl.ndl.go.jp/pid/12684592(参照 2025-12-05)
- “SLAR”. 一般財団法人リモート・センシング技術センター. https://www.restec.or.jp/glossary/slar.html(参照 2025-12-05)
- 松野久也. Side Looking Airborne Radar (SLAR) ──その原理と地質調査への応用──. 地学雑誌. 1973, 82(3), p.153-159, J-STAGE, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/82/3/82_3_153/_pdf/-char/ja(参照 2025-12-05)
- 坂光二. 極地油・ガス田開発技術の現状及び動向 (その19). 石油・天然ガスレビュー. 1992, 8月号, p.79-83, JOGMEC石油・天然ガス資源情報ウェブサイト, https://oilgas-info.jogmec.go.jp/_res/projects/default_project/_project_/pdf/3/3020/199208_079a.pdf(参照 2025-12-05)
- ☆JSDFフリー・トーク☆ 日航機墜落、自衛隊の救難作戦 救出活動開始をめぐる議論は妥当か. 軍事研究. 1985, 10月号, p.116-117.
- “事故 JAL123便, B.747 御巣鷹山に墜落 生存者4人,死者520人”. 航空情報. 1985, 11月号, p.69.
- 524人乗り日航機墜落 羽田発大阪行き 山中(群馬・長野県境)で炎上. 読売新聞(西部本社版). 1985-08-13, 朝刊, p.1.
- シュミット=エーンボーム(著者). J.アンゲラー(著者). 畔上司(訳者). 水面下の経済戦争 : 経済情報をめぐる各国情報機関の攻防. 文藝春秋, 1995, p.92-93, 国立国会図書館デジタルコレクション, https://dl.ndl.go.jp/pid/12667673(参照 2025-12-05)
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