第41回 初動捜査の崩壊
メディア批評&事件検証もう一つ注意して読んでほしい。勝又受刑者は身に覚えのない殺害などを認めたことについて「殺人も拉致も強制わいせつもやってもいないし、とにかく被害女児もあってもいないし、知らないんだ。検事さんの調べの時も拉致とかをちょっと認めると、優しくなるのでほっとした。栃木県警の取調官には殺人を否認したら平手でぶたれて痛かった。とにかく取り調べの時は怖くて楽になりたいとことばかり考えていた」。
これが勝又受刑者がどうして殺害を認めてしまった理由だ。この供述パターンは、暴力で嘘の自供をさせて冤罪になった「足利事件」の菅家利和さんと類似している。
菅家さんの場合は、まだ逮捕令状もとっていない任意同行の際にいきなり暴行を受けた。菅家さんにとっては今でも忘れられない1991年12月1日。この日は知人の結婚式に呼ばれていたのだ。
午前7時ごろ、借家の玄関の戸を叩き、いきなり部屋の中に刑事たちが入り込んで来た。「お前、子どもを殺しただろう」とすごんだ。怯えながら小さな声で「いや、自分は何もやっていません」と答えると、栃木県警捜査一課強行班長が右胸にひじ鉄を一発くらわし、もんどりうった。
菅家さんが体を起こすと、今度はそばにいた機動捜査隊長が亡くなった被害女児の写真を目の前に突き出し「謝れ」と怒鳴られた。菅家さんは何が起こったかわからない状況で恐怖におびえ、ただ言われた通りに写真に手を合わせた。この日の警察署での取り調べでは「お前がやっただろう」と机をたたかれ、嘘発見器にもかけられた。太股に膝蹴りされた時には痛くて涙がでて殺害を認めざるを得なくなったという。
その取り調べも、殺害をしていなくても、自分と取調官との会話の中で事件の内容を自分なりに復習し、次はこう答えれば取調官は優しくなると恐怖の取り調べを回避するために容疑を認める調書になっていく。今市事件も全く一緒だった。そして都合の悪いことはすべて法廷で見せた影像にはなかった。
最初に勝又被告に接見し、警察にも話を聞いた国選弁護人たちによると勝又被告本人は被害女児の拉致やわいせつ行為を認める話をしており、殺人もしているかもしれないと思い込んでいた様子だったいう。
しかし、弁護団が本田元教授にあってアドバイスを受けたのは「解剖とこんなに合わない調書は足利事件みたいに取り調べに怯え、嘘をついている可能性がある。もっと詳しく話を聞いてみたほうがいい」ということだった。
弁護士たちが再度あって話を聞くと元教授が指摘した通り、捜査陣の「拉致や強制わいせつのことを認めるそぶりをすると怖い検事さんがやさしくなる」などと、取り調べが怖くて取調官の顔色を見て嘘をついてその場の恐怖をしのいでいたという。勝又被告本人は被害女児と会ったこともないし、殺害についても全否定した。しかも裁判員裁判の一審で公開された録音・録画映像には捜査陣の恐怖の取り調べを映した場面はほとんどと言っていいほどなかった。
本田元教授は、今市事件のDNA型鑑定でのデータの隠ぺいなどの対策として次のように指摘している。
犯罪捜査におけるDNA鑑定には二つある。その一つは、犯行現場の遺留品からのDNA鑑定で、これはこれまで警察の鑑識が採取し、捜査機関がDNA鑑定を行ってきた。そしてもう一つは、被害者の遺体からのDNA鑑定で、これは主として大学の法医学研究室で行ってきており、両者のDNA型を参照して初めて犯人追求が可能となる。
したがって、捜査機関は大学でのDNA鑑定も捜査機関で独占すれば、データは自由にできると考えたとみられる。
そういう意味では、現在、捜査機関が独占してしまった被害女児の遺体からのDNA鑑定を大学に引き戻すことも、DNA鑑定の捏造や隠蔽の歯止めにはなる。もっと言えばそれより理想的なのは、海外でも行っているように被害者の遺体からのDNA鑑定と犯行現場の遺留品からのDNA鑑定を、いずれも大学で行うか、あるいは捜査機関から中立した証拠管理機関を設立し、証拠保管と鑑定実施を検察と弁護側が共用できるような、新たなシステムを作ることである。
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
(梶山天)
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。