第42回 「警察の常識は社会の非常識」知られざる科捜研の世界
メディア批評&事件検証梶山:科捜研の歴史をうかがいたい。
藤田元教授:まず組織的に見れば、当初、刑事部鑑識課の中に理化学係があった。その後、私が警察に入った時は、鑑識課内の科学捜査研究室であり、1997年3月まで存在していた。
同年4月以降、格上げになって鑑識課と肩を並べる刑事部科学捜査研究所となった。初代の所長(警視級)は 研究員から登用、副所長は鑑識課次長の兼務であった。今はどちらかが、ほとんど捜査1課、同2課という刑事畑の人たちが将来を見据えて占めるようになったのである。
梶山:犯罪というか、どうしてこういう鑑定結果の隠ぺいや改ざんなどが起こるのか?
藤田元教授:捜査畑の警察官が科捜研のトップの椅子を独占するのが問題である。刑事畑の人たちは、自供させることが優秀な刑事であると言われた人たちが大半である。DNA型等の鑑定においても捜査側の都合のいいように結果を求めることも事実ある。それに応じた人が優秀とみなされる。
そうすると科捜研の研究員は、どうするかと言えば、上司の警察官の評価を得るために不適切なことを時にはする。時には不適切と分かっていてもである。捜査側に都合の良いデータを出さないと、仕事ができない研究員と評価される。
科捜研を含む警察組織の世界において、「警察の常識=社会の非常識」という話が一部で囁かれていた。「非常識」は、警察・大学でも見られることであるが、普通の一般社会では通用しない。一般社会では、常識・非常識がその組織の存続に関わる重大要因である。
私は科捜研在職中に22回の警察庁長官賞から鑑識課長賞までの表彰を受けているが、90年6月に四国で初めての薬学博士の学位取得者となり、警察庁長官賞まで受賞した。
本来ならば、上位の役職という声もありましたが,所長補佐で退職した。捜査側の都合でなく、鑑定に忠実であったため良い評価ではなかった思う。なぜなら、31年間の科捜研時代で公判の鑑定の証人出廷は、ただ1回でそれも検察官が慌てるぐらいの証言をした。「毛髪で個人識別は困難である」と……。今、それを裏付けるように毛髪で個人識別は行っていない。
一般の人には理解できないと思うが、警察の世界には独特の世界観がある。事件が発生すれば、犯人をつかまえて解決させる。刑事は、真偽は別にして自供を引き出せば、それは大きな仕事をしたと評価される世界である。
梶山さんは「今市事件で取り調べの際に勝又受刑者が、殺人事件について否認したら、刑事から平手打ちされて医師の治療を受けた」と言われたが、昔は密室でそういう取り調べが行われていたようであるが、取り調べの可視化により暴力も振るう違法行為がないよう切望している。
警察上層部というのは、殆どが警察官である。警察官の使命は犯人逮捕が第一で、その情熱により、時として、厳しいリクエストを鑑定人である捜研の研究員(技術吏員)に要求するときがある。今市事件の捜査方針と反対のデータの非開示も科捜研研究員の単独の判断ではなく、捜査側に対する忖度があったのかもしれない。
それによって、科捜研研究員が科学者の端くれであっても、やはり動揺するのが普通である。そこで自分がどうするか、というのは個人個人のやはり科学者としての資質であると思う。今回の今市事件でもこういうふうなデータが出ているのであれば、犯人のDNA型は出てませんよ。しかしながら、我々鑑定人以外にもこういうDNA型が出ている。これぐらいのピークの高さですから女性の可能性があることを捜査側に具申して詳細に検討してもらう。それによってより真実に近づくこと画できる。
梶山:科捜研の実態が見えてきた。そんな状態で組織はおかしくならないのですか?
藤田元教授:なります。影響が出ている。今の全国の科捜研が抱えている問題を象徴した大きな事件が13年に発生した。和歌山県警科捜研の主任研究員が変死などの6事件における繊維・塗膜片の鑑定書類に過去の鑑定資料のきれいな分析データの波形図を流用し、偽造した。同研究員は、事実を認め、証拠隠滅、有印公文書偽造・同行使の罪で懲役2年、執行猶予4年の有罪判決となった。
動機は、同研究員が上司から波形データの不鮮明との指摘を逃れるためだったが、裁判で弁護側は職場環境にこう問題があると主張した。
警察官は科学的評価ではなく、事件解決に寄与し検察庁に送致可能で、見栄えだけの表面的に整った鑑定書類を評価しがちであることが本件に至った一因である。
最初、科捜研研究員は誰もが社会正義を貫こうと入所するが、特にベテランは長年、様々な要因によりそれが失われるので、社会正義を維持できる体制が必要である。警察署長に送付される科捜研研究員が作成した鑑定書、あるいは鑑定結果報告書について、法科学鑑定において、研究員(技術職員)の上司の決裁により、不備が指摘された例は多数あり、警察官だけでは、鑑定書類の偽造防止は不十分である。
警察鑑定は再審など以外では、検証されないので、警察が扱う事件における鑑定は、科捜研の独占業務に等しい状態であり、検証機関が存在しないのも法治国家として成熟していない。特に、重要事件については、科捜研を同様な作為事案も含めて第三者機関が詳細に検証すべきである。
梶山:科捜研の仕事、上司に命じられ遂行したら気が狂いませんか?
藤田教授:狂いますよ。だから自殺者が出るんです。私が知っているだけでも、全国的には仕事関係で自殺したのは3件。山梨、神奈川、宮城県警です。
梶山:うーん。やるせないなー。こんなことがあっていいのですか。もう科捜研は警察組織から独立して、堂々と胸を張って鑑定作業に従事してもらいたい。どうですか?
藤田元教授:私は日本犯罪学会の評議委員であり、その学会で警察での科学捜査の検証について発表し、まさに科捜研を第三者機関へということで「『法科学研究所』創設への提言:冤罪のない安全と安心の社会を目指して」という論文を執筆した。その中に書いているが、やはり警察というのは、犯人逮捕が第一なんで、それに警察という所は警察官の世界なので、その第一目的を達成するがために、ときにはその情熱が高いがゆえに、厳しいリクエストがある。
先ほど説明した和歌山県警の過去のデータの引用なども、なぜ正直に本当のものを出さなかったかと疑問を持たれるが、それは違う。上司の警察官にとっては見栄えが悪いデータだったらこのデータおかしいぞとか、技術が下手とか、言われる。だから本事案に至った。捜査幹部もいろいろなタイプがいるが、ほとんどが、厳しいリクエストを言う。
だから見栄えのいい捜査側に都合の良い鑑定データを出せば、この人は優秀な科捜研の研究員である、違うデータを出せば、技術が未熟であるという評価をされる。そうすると、科捜研の研究員はどうするか。判りますよね。
元々、科学捜査という情報を警察が一番、利用するという事で科捜研を警察に置いた。鑑定の正確、客観性、中立性等の問題が出てくると、やはり警察から離し、科捜研は第三者機関等に創設しなければならない。
まさしく、今市事件の例でも警察が逮捕した人物と鑑定結果が合わないのであれば、それを提出すべきと思う。そのことについて、弁護士、検察官、裁判官がいろいろ方向から精査、検討して真実を追求するのが理想だと思う。
連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/
(梶山天)
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。