ウクライナ戦争を仕掛けたのは誰か?(前)
国際私はベルリンの壁が崩れて10年目の1999年夏、ブダペストで40日間暮らした。ハンガリー科学アカデミー世界経済研究所に招かれた形をとって「ハンガリーと中国」の経済体制の比較研究を行った(矢吹晋「ブダペストで中国の未来を考える」『大航海』1999年12月号)。人口1000万のハンガリーと12.5億(当時)の中国の比較可能性を疑う向きもあろう。
しかしながら、中国市場経済改革の旗手である朱鎔基(当時国務院国家経済委員会副主任)が1984年3月、経済改革のモデル探しの旅でハンガリーを訪問している。当時の中国指導部がハンガリーの経済改革に深い関心を寄せていた事実を読み取ることができよう。
私がブダペストで暮らした1999年には、ハンガリーにポーランド、チェコスロバキアを加えた東欧3カ国は、EU への参加準備を進めており、2004年に加盟した。ここまで東欧3カ国のヨーロッパ化が進むと中国にとっては、もはや改革モデルの選択肢から外れるが、天安門事件当時も、それ以後も<蘇東波(ソ連東欧を震源地とする民主化ツナミ)>という世界カラー革命の波が繰り返し中国を襲っていて、私はその帰趨に釘付けであった。
そのような問題意識で東欧の行方を考えた私の目から見ると、<中立ウクライナ>こそが鉄のカーテン崩壊以後のヨーロッパ世界とロシアとの見えざる境界である事実は明らかであり、NATOの東方拡大、とりわけ<ウクライナのNATO加盟>は妄想か挑発としか思えなかった。<鉄のカーテン>で著名なジョージ・ケナン(1904~2005)も、ニクソン訪中を実現させたキッシンジャーも、この論調を堅持していた。これが米国独り勝ち以前の地政学の常識であった。
Ⅰ.ウクライナ戦争を仕掛けたのは、誰か?
ロシア・ウクライナ戦争が2022年2月に始まって以来約半年、ようやく戦争の全体像が見えてきた。次の図1が興味深い。
このグラフは、ドイツの著名なシンクタンク(キール世界経済研究所)が作成した。この分析によると、米英両国が圧倒的に、カネを出している。米国はダントツで軍事援助(赤色)、資金援助(青)、人道援助(緑)を提供している。その金額は、450億ユーロである。
ユーロとドルの交換比率は、これまでユーロが米ドルよりも強かったが、今回の戦争を通じて経済的負担(直接的軍事・経済負担およびサプライチェーンの寸断による経済混乱)を被ったために、ユーロは米ドルよりも弱くなった。これは20年ぶりである。
細かい計算はさておき、概観のためにユーロ=米ドルと読むと、米国は45億ドルを支出した。この金額は米国筋から流れている<戦費約50億ドル>という数字に近い。さて、このグラフで注目されるのは、英国とEUとの比較だ。英国1カ国の支出はEU全体を上回る。ジョンソン首相はスキャンダルで失脚したが、在任中、EU離脱を断行して世界を驚かせた。
が、ウクライナ戦争への積極的関与はこのグラフから明らかだ。逆にドイツとフランスの支出が小さいことは、数年前に米国国務省のヌーランド国務次官補(現国務次官)の悪罵<Fuck EU>発言が想起される。これはウクライナのNATO加盟に余りにも消極的な独仏の煮え切らない態度をヌーランドが罵倒したものだ。
ヌーランド氏はウクライナから米国に亡命し、米国外交に関わる1人として、ウクライナの<民主化=米国化>に対して、いかに前のめりになっているかを、この<Fuck EU>発言が端的に示した。英国の援助が米国に次いで多く、EU全体よりも多い点は、この戦争が英国の協力を得て、米国が始めた戦争である本質を何よりも雄弁に物語る。ここで米国の専門家ミアシャイマー教授の分析を紹介したい。
ミアシャイマーは1970年にウェストポイントを卒業し、5年間空軍に勤務した。その後、1975年にコーネル大で博士号を取得して、1979~80年ブルッキングス研究所、80~82年ハーバ-ド大国際事情センターでリサーチフェローを務めた後、シカゴ大学でテニュアを得て、以後40年間もシカゴ大学で安全保障論を講じてきた専門家である。数冊の本を書いて、それらはいずれも高い評価を得たが、ここで特に言及したいのは、 The Great Delusion: Liberal Dreams and International Realities (2018、邦訳なし)である。
『大国政治の悲劇』は翻訳があるが、『大幻影2018』は翻訳なし。私はミアシャイマー教授の本を知らなかったが、たまたま<ウクライナのNATO加盟>を批判する論客がいるはずだと確信してネットを調べ、ミアシャイマー教授の卓説を発見して我が意を得た次第である。ミアシャイマーの見解は、英『エコノミスト』3月19日号に寄稿した「西側はなぜウクライナ危機に対して主たる責任があるのか」(Why the West is principally responsible for the Ukrainian crisis)で、説かれている。ここでミアシャイマーがクリミア併合当時に作成した3枚の図から、ウクライナ危機の核心を読んで見よう。
図2は、ウクライナの人種構成とその言語生活である。言語情況を読むと、1.赤色は大部分がウクライナ語を話す、2.桃色はウクライナ語が主流、3.黄色は大部分がロシア語を話す、4.薄い黄色はロシア語が主流、5.桃斜線はカルパチア山脈のウクライナ人である。ロシア人の分布をみると、5.茶色はロシア人が多数派、6.クリミア半島はロシア人からなる。その他の少数民族は、7.黒はルーマニア人・モルドバ人 8.緑はハンガリー人 9.紫はブルガリア人を示す。
図3は、ウクライナ2004大統領選で、決選投票は反ロシア派が勝利した。茶色はユシチェンコ票、青色はヤヌコビッチ票を示す。当初、決選投票により与党ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ首相(親ロシア派)が当選とされた。
しかし、野党「我らのウクライナ」の指導者ヴィクトル・ユシチェンコ元首相の陣営(反ロシア派)はこれに反発、与党陣営が不正を行ったとして勝利宣言。以後、野党支持者によるデモや政府施設への包囲が続き、同国内は混乱状態に陥った(オレンジ革命)。
親欧米感情が強い西部(首都キエフ、旧ポーランド領リヴィウ等)が野党支持で、親露感情の強い東部が与党支持。同年12月26日に実施された再決選投票でユシチェンコ元首相(反ロシア派)の当選が確実になる。
図4は、2010大統領選はヤヌコビッチ(親ロシア派)巻き返しが成功した。2010年ウクライナ大統領選挙、第1回の投票は10年1月17日に行われ、前首相で地域政党の党首であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチが1位、首相のユーリヤ・ティモシェンコが2位となった。10年2月7日に決選投票が行われ、ヤヌコーヴィチ氏(親ロシア派)がティモシェンコ氏(オレンジ系)に勝利。これが10年時点における民意だ。
しかしながら、このヤヌコーヴィチ氏(親ロシア派)が反ロシア派による2014年クーデタ(マイダン革命)でウクライナを追われ、ロシアに亡命した。この2014年クーデタこそが今回のウクライナ戦争の発端だ。ウクライナで、親ロシア派の政権が瓦解した事実に恐怖を感じたプーチン大統領はクリミア併合を断行した。黒海艦隊がセバストポリ港の出口を塞がれ地中海への出口を失うことを恐れたのだ。
以来ロシアの不凍港獲得への熱意は、極東のウラジオストク、大連港をめぐる角逐を通じて日本でも周知だ。ヤヌコビッチ大統領がEUと交渉せず、と言明したのは、13年11月21日だ。その後、両派の衝突が続いた。14年2月18~20日の街頭デモでは26~40名が死亡と報じられた。14年2月22日、ヤヌコビッチ大統領がロシアへ亡命し、親ロシア派政権が崩壊した。
プーチン大統領によるクリミア併合は、この事態への対処なのだが、日本の報道では、その前夜の事情が報道されず、プーチン大統領の併合だけが印象付けられた。旧ソ連解体以後の経過を素描すると、2000年10月=ユーゴスラヴィアのミロシェビッチ大統領が退陣し、セルビアのブルドーザー革命と呼ばれた。
ユーゴはチトー大統領のもとで辛うじて統一してきたが、ソ連解体後のコソボ紛争は大きな悲劇を生んだ。一連のいわゆるカラー革命を顧みると、ウクライナのオレンジ革命がその中核に位置していることが分かる。
2003スターリンの故郷・グルジアのバラ革命(シェワルナゼ政権退陣)が起こった。2004=フルシチョフの故郷・ウクライナのオレンジ革命(ユシチェンコ政権支持率低迷⇒⇒2010ヤヌコビッチ大統領⇒⇒2014ヤヌコビッチ大統領退陣クーデタ⇒⇒プーチン大統領がクリミア併合)。2005=キルギスのチューリップ革命2月27日と3月13日の2回行われたキルギス議会選挙後、アスカル・アカエフ大統領が辞任。
Ⅱ. 中国・ウクライナ関係
中国は核兵器をロシアに引き渡して<非核保有国>になったウクライナと平和友好協定を結び、中国の核をウクライナに対して用いないと約束し、友好関係を維持している。ウクライナから空母ワリャークを買い取って遼寧号とし、これをモデルとして、山東号・福建号を国産した。
現在ウクライナに人道援助を提供しつつ、日本を含む西側の対ロシア経済制裁は問題解決に繋がらないと強く批判している。日本では中国とウクライナとの両国関係が十分に理解されていない。中国・ウクライナ両国は1992年に国交を樹立。2001年友好協力関係の樹立を、2011年戦略的パートナーシップ関係の樹立を宣言。2022年1月、習近平国家主席とゼレンスキー大統領が祝電を交換した。
中国の統計でみると、2021年の中国の対ウクライナ輸出額は前年比36.8%増の94億ドル、輸入額は25.2%増の97億ドルといずれも20%を超える伸び。ウクライナ統計では、2020年、輸出入とも中国が最大の貿易相手国。垂直的貿易構造。ウクライナ向け主要輸出品目は、玩具、携帯電話、パソコン、太陽光パネル・セルなど工業製品が上位。多種多様な中国製品がウクライナ向けに輸出されている。
主要輸入品目をみると、鉄鉱石、トウモロコシ、植物油など、資源・穀物・油脂関係が上位。輸出とは異なり一部品目に輸入が集中。中国と欧州や「一帯一路」沿線国を結ぶ国際貨物列車「中欧班列」は、2020年6月に中国・湖北省武漢市からウクライナの首都キエフ市向けの定期直通列車が、2021年9月にはキエフ市から陝西省西安市向け直通列車がそれぞれ運行を開始。
両国は2021年6月、インフラ建設分野での協力の深化に関する協定を締結。両国企業・金融機関による道路、橋、鉄道などの分野での積極的な協力を推進することで合意した。2020年における中国のウクライナへの直接投資額(フロー)は2,106万ドルだった。
1938年生まれ。東大経済学部卒業。在学中、駒場寮総代会議長を務め、ブントには中国革命の評価をめぐる対立から参加しなかったものの、西部邁らは親友。安保闘争で亡くなった樺美智子とその盟友林紘義とは終生不即不離の関係を保つ。東洋経済新報記者、アジア経済研究所研究員、横浜市大教授などを歴任。著書に『文化大革命』、『毛沢東と周恩来』(以上、講談社現代新書)、『鄧小平』(講談社学術文庫)など。著作選『チャイナウオッチ(全5巻)』を年内に刊行予定。