【特集】ウクライナ危機の本質と背景

ウクライナ戦争を仕掛けたのは誰か?(前)

矢吹 晋

Ⅲ.2008年春<米国独り勝ち幻影Great Delusionからネオコンの暴走が始まる>

幻影あるいは妄想に酔う、2008年秋のリーマン恐慌は、喉元過ぎれば熱さを忘れる例えそのもので、あっさりと忘れられた。

[ブカレスト・サミットの決議]NATO welcomes Ukraine’s and Georgia’s Euro-Atlantic aspirations for membership in NATO. We agreed today that these countries will become members of NATO. Both nations have made valuable contributions to Alliance operations. We welcome the democratic reforms in Ukraine and Georgia and look forward to free and fair parliamentary elections in Georgia in May. MAP is the next step for Ukraine and Georgia on their direct way to membership. Today we make clear that we support these countries’ applications for MAP. Therefore we will now begin a period of intensive engagement with both at a high political level to address the questions still outstanding pertaining to their MAP applications. We have asked Foreign Ministers to make a first assessment of progress at their December 2008 meeting. Foreign Ministers have the authority to decide on the MAP applications of Ukraine and Georgia.(2008年4月3日のNATO首脳会議<宣言第22項のウクライナとジョージアに関する加盟期待>(以下ブカレスト宣言)。

ブカレスト・サミットの大誤算:2008年4月ブッシュ大統領は、米国独り勝ち幻影に酔う余り、ウクライナのNATO加盟を提案し、議事録に書いた。独仏は東欧3カ国の受入れに手一杯で、米国提案に消極的。米国務省のヌーランド次官補は<Fuck EU!>と罵倒し、これがBBCに暴露され、謝罪したが、ウクライナ戦争への挑発はやめなかった。これはオバマ大統領バイデン副大統領のもとで行われた。要するにブッシュのブカレスト・サミット提案およびバイデン副大統領のブリンケン、ヌーランド(いずれもウクライナ亡命者、ユダヤ人)、ゼレンスキー大統領(ユダヤ人)が実行部隊である。

Ⅳ.バイデン政権のウクライナ政策

バイデン政権の外交を担うアントニー・ジョン・ブリンケン (Antony John Blinken)国務長官は、1962 年生まれ、60 歳の外交官だ。彼はニューヨーク州でウクライナ系ユダヤ人の銀行家ドナルド・M・ブリンケンと、裕福なハンガリー系ユダヤ人の母との間に誕生した。

父のドナルドは 1994 年駐ハンガリー大使、伯父のアラン・ブリンケンは 1993 年駐ベルギー大使を務め、外交官一家。父方がウクライナ血統のユダヤ人、母方がハンガリー血統のユダヤ人だというブリンケン国務長官がウクライナ問題に通暁しているのは当然であろうが、彼は否応なしにウクライナびいき、反プーチン論に引きずられるおそれは否定できまい。

米国外交にとってより重大なのは、国務省ナンバー3 のビクトリア・ヌーランド国務次官の暗躍だ。ウィキペディアによると、1961 年ニューヨーク市生まれ。父方の祖父はロシアから移民したウクライナ系のユダヤ人である。ブラウン大学を卒業後、アメリカ国務省に入省。外交官として、在広州アメリカ合衆国総領事館(1985~1986)、国務省東アジア太平洋局(1987)、在モンゴルアメリカ合衆国大使館(1988)、在ソ連アメリカ合衆国大使館(1988~1996)、ソ連担当デスク(1988~1990)、内政担当(1991~1993)、国務次官首席補佐官(1993~1996)、国務省フェロー(1996~1997)、外交問題評議会フェロー(1999~2000)、アメリカ NATO 常任委員次席代表(2000~2003)、国家安全保障問題担当大統領補佐官次席(2003~2005)、オバマ政権下で NATO 大使(2005~2008)、米国務省報道官(2011~2013)。

ソ連解体期にモスクワ大使館で働き、オバマ政権期に国務次官補としてロシア東欧を担当し、バイデン政権下で国務省ナンバー3の国務次官(国務長官、副長官に次ぐ)となって、<オレンジ革命最後の舞台>を演出した。彼女のエピソードをウィキペディアは、次のように紹介している。2014年2月、パイアット駐ウクライナ大使との通話内容がYoutube で暴露された。

そこでは 2013 年末からのウクライナの政情不安についての議論がなされ、ヤツェニュク政権の発足が望ましいとされ、クリチコやチャグニボクの排除が合意された。その場でヌーランド氏は国連によるウクライナへの介入を支持し、ヌーランド氏の意に批判的な EU を「fuck EU(くそくらえ)」と悪罵した。

当然、米国流の乱暴な内政介入を批判する声が上がった。ヌーランド氏の後任のサキ報道官はこの会話内容が本物であることを認め、結局ヌーランド氏は EU 側に謝罪した。2013年12月には、ウクライナを巡る会議において「米国は、ソ連崩壊時からウクライナの民主主義支援のため 50 億ドルを投資した」とも証言している。プーチン大統領がクリミア併合を断行したのは、一連のヌーランド作戦に対処するためだ。
2022年3月9日、米連邦議会上院外交委員会の公聴会で、ヌーランド氏はウクライナに化学・生物兵器はあるかとの質問に対し、こう回答した。

<ウクライナは生物研究所の施設を管理している。我々はロシア軍がそれらを管理下に置くことを懸念している。そのためウクライナ側と協力し、これらの研究資料がロシア軍の手に渡らないよう努力する> 。

ヌーランド氏のいうロシア側に渡らない努力とは、ロシア軍の進駐に備えて研究資料を破棄することだが、この証拠隠滅は十分ではなかった。ロシア国防省は米国がウクライナにおける生物研究所の活動に2億ドルの資金援助を行っていたと発表し、これらの研究所は米軍の軍事生物プログラムに参加していたと指摘し、国連生物兵器禁止条約(BWC)の枠組みで協議を開催する必要性を国連安保理に提起し、米ロ間で厳しい応酬が行われた。中国外務省はロシア側の問題提起を受け、米軍が国内外で生物兵器の開発を進めているのかについて、説明を行うよう強く要求した。

というのはコロナウイルスの発生源をめぐって米中は厳しい対立を展開してきたが、ウクライナの生物実験室のなかに中国が米国に提供したキクガシラコウモリの標本が確認されたことで、コロナ発生源をめぐる米中の応酬は新たな段階を迎え、中国側に有利な展開となったからだ。

ヌーランド証言を聞いた SNS上の書き込みのなかに、昨日までは陰謀論として否定されてきたヌーランド氏の暗躍がいまや上院証言で確認されたわけだ。

 

◎「ウクライナ戦争を仕掛けたのは誰か?(後)」は9月10日に掲載します。

 

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矢吹 晋 矢吹 晋

1938年生まれ。東大経済学部卒業。在学中、駒場寮総代会議長を務め、ブントには中国革命の評価をめぐる対立から参加しなかったものの、西部邁らは親友。安保闘争で亡くなった樺美智子とその盟友林紘義とは終生不即不離の関係を保つ。東洋経済新報記者、アジア経済研究所研究員、横浜市大教授などを歴任。著書に『文化大革命』、『毛沢東と周恩来』(以上、講談社現代新書)、『鄧小平』(講談社学術文庫)など。著作選『チャイナウオッチ(全5巻)』を年内に刊行予定。

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