【連載】ロッド空港乱射事件から50年:未だ国際手配中の岡本公三容疑者の今(梶山天)

(下)パレスチナに潜伏中の岡本容疑者は英雄

梶山天

ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天の知人で、ジャーナリストの先輩でもある鳥越俊太郎さんも岡本公三容疑者には、忘れられない思い出がある。私が取材で何度も鳥越さんのマンションにお邪魔した時も、岡本容疑者のことで盛り上がった。

鳥越俊太郎さんの自宅書斎には、いろんな本がずらりと並ぶ。

 

1972年に起きた岡本容疑者ら日本赤軍メンバー3人によるロッド空港の乱射事件は、鳥越さんが毎日新聞社に入社して7年目、大阪府警本部担当になったばかりの時だ。サツ回りの経験がない記者、いわば見習い期間の時にの起きた。

現地時間では5月30日深夜、日本時間では31日早朝に発生した。31日の夕刊段階では、現地からの第一報は日本人の若者がテルアビブの空港で銃をぶっ放し、観光客20数人が死亡した、という情報だった。

情報は、時間が経つとともに少しずつ増えていったが、肝心の日本人3人の名前は、不明のままだった。ただ彼らが「PFLP赤軍派」を名乗っているらしいことが分かってきたが、事件から3日経っても判明したのは、犯人で死者の1人が三重県出身の京都大学生らしいということだけだった。

やがて死亡した犯人2人は、共に京大生の奥平剛士と安田安之両容疑者であることが分かった。6日朝のことだった。鳥越さんの記憶では、府警キャップから生き残った日本人青年の兄弟が日本初のハイジャック事件の「よど号事件」グループの中にいるらしいとの情報がもたらされた。

日航機「よど号」を赤軍派と名乗る9人の学生たちがハイジャックし、北朝鮮に亡命したのは、ロッド空港乱射事件の2年前の3月末に起きた。

鳥越さんはキャップの情報に「よっしゃ、俺がこの府警ボックスの中から電話だけでその犯人の名前を突き止めてやろう」と思ったという。

キャップがもたらした情報のポイントは、「よど号事件」グループ9人のうちの誰かが今回のロッド事件で生き残った犯人と兄弟関係にあるという点だ。すぐによど号事件の犯人の9人のリストアップした。今みたいにインターネット検索はまだできない時代だった。事件当時の新聞の切り抜きで9人の身辺調査をした。出身府県、出身高校、大学か分かると、大学の事務室に電話を入れ、学籍簿に残る家族構成を聞いていった。

実は鳥越さんは、最初の取材の過程で直感というか、「これじゃないかな!?」という一つに出くわしたという。京大文学部学生、岡本武。熊本県出身。鳥越さんも京大文学部卒だ。鳥越さんは身分と卒業生であることを名乗り、取材の意図を説明すると、岡本武の家族構成や実家の所在地などを教えてくれた。

岡本武には兄と弟がいたが、年齢からすると弟の公三の可能性が高い。熊本の実家がある役場に電話した。ここからは雑談に近いある種の自分の得意技の見せ所だった。岡本武の弟が鹿児島大学農学部の学生というのを聞き出した。今度は鹿児島大学農学部事務室相手の雑談取材で、武の弟公三もまた学生運動に深くかかわっていて、最近では若松孝二監督の映画「赤軍―PFLP世界戦争宣言」の上映運動に参加していたという証言を得たのだ。

直ぐにキャップに連絡し、生き残った犯人は名は「岡本公三です」と伝え、原稿を書いて本社に電話で送稿した。そのまま記事になっていれば、大スクープになるところだったが、社会部のデスクが慎重を期して夕刊への掲載を見送った。

ロッド空港乱射事件の生き残り犯の名前が鹿児島大学生の岡本公三と判明したと警察庁が正式に発表したのがその日の夜になってからだった。鳥越さんの初スクープは幻に終わった。

ロッド空港の乱射事件から30年たった2002年、鳥越さんは、岡本容疑者にインタビュー取材していた。映画監督の足立正生氏が岡本容疑者に連絡をつけてくれたという。危機管理上、岡本容疑者の居場所が分からないように撮影するという条件でのことだった。

テルアビブ乱射事件から30年たった2002年に元日本赤軍の岡本公三容疑者とレバノンで会ったことをほ話す鳥越俊太郎さん。

 

その場所は、レバノンの首都ベイルート郊外のアパートで重信房子最高幹部の長女のメイさんの世話を受けて生活していた。事件後にイスラエルに拘束されていた時期のトラウマがあるのか、全くの無表情だったのが印象的だったという。それでも鳥越さんの質問には、低い声で答えてくれた。

Beirut downtown cityscape & Mohammad al amin mosque

 

岡本容疑者が答えてくれたのは次のような内容だった。

よど号ハイジャック事件の犯人グループの一人だった兄の武を慕って活動を始めた。あさま山荘事件で連合赤軍のメンバーが逮捕されると、その夜に出国。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に合流し、射撃訓練を受けた。ロッド空港の乱射事件では、当初参加予定だった人物が訓練中に死亡したため、急遽招集された。

鳥越さんは、岡本容疑者と一緒にある難民キャンプに足を運んだら驚いたことに岡本容疑者は英雄だった。イスラエルに土地を奪われたパレスチナのため、命がけで闘ったと讃えられていたという。

Jerusalem

 

岡本容疑者に兄の話をふると「もう死んだよ。北朝鮮の落盤事故で。人づてに聞いた」と答えたという。日本に戻りたいとも漏らしていたという。

梶山は何故か不思議な縁みたいなものを感じる。02年に鳥越さんが岡本容疑者と秘かに会ってあって事件の真相を聞き出す。その中で連合赤軍による「あさま山荘事件」の話が出てくる。岡本容疑者は、「あさま山荘事件で連合赤軍のメンバーが逮捕された夜に出国。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に合流し、射撃訓練を受けた」などと話していた。

梶山は、朝日新聞児島総局長として05年4月から2度目の鹿児島勤務につく。そこで鹿児島県警による架空の県議選買収事件いわゆる県議や住民十数人が逮捕起訴された「志布志事件」の調査報道をし、全員無罪になった。その無罪の決め手になったのがこの選挙違反に携わった現職の捜査員たちから入手した内部文書だった。

その捜査員を鹿児島市内のホテルに呼び出して、説得した時に捜査員に語ったのが、あさま山荘事件で連合赤軍の放った銃弾に倒れた警視庁の機動隊の内田尚孝二機隊長のことだった。

「当時機動隊は銃器は使えなかった。殺すな、という命令が出ていた。人質を助けるために突入する部下を守るために、かぶっていた階級を示す帽子の白線を外さずに標的になった隊長の気持ちがわからないか」。その話をするうちにたまらなくなり、梶山は目の前の捜査員に「それにくらべるとあんたらのしたことは人間としてクズだ。とっととここから出ていけ!」と叫んだら捜査員は肩を震わせて泣いていた。

志布志事件の違法捜査実態が氷塊する瞬間だった。調書の下書きである「取調小票」など、この捜査で作られた全ての内部資料を入手し、裁判で全員無罪判決が言い渡される原動力の証拠となった。

なんと、この志布志事件も鳥越さんが取材していたことを後で知り、驚いた。

(終わり)

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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