【連載】平成・令和政治史(吉田健一)

第3回 非自民連立政権(細川内閣・羽田内閣)

吉田健一

はじめに

第3回は非自民連立政権の細川内閣と羽田内閣を取り上げます。細川内閣は約8か月、羽田内閣は約2か月で退陣し、非自民連立政権は10か月で幕を閉じました。1993(平成5)年7月18日に実施された第40回衆議院議員総選挙において、自民党は単独過半数の議席を得ることができませんでした。選挙前の勢力はほぼ維持したのですが、この選挙の前に自民党は分裂していました。

administration

 

この選挙では羽田・小沢派が結成した新生党、武村正義らが結成した新党さきがけ、当時、前熊本県知事であった細川護熙が結成した日本新党の保守新党が躍進しました。この保守3新党が合計で約100議席以上を獲得し、社会党は約140あった議席を約70議席と半減させることとなりました。

(1)細川政権の誕生―小沢一郎の主導による7党8会派による連立政権―

選挙後、新生党が社会党、公明党、民社党、社民連、民主改革連合(参議院の会派)と連立政権を樹立することで合意しましたが、日本新党と新党さきがけは「さきがけ日本新党」という会派を組み、自民党側とも交渉を進めていました。

武村は自民党が新総裁に後藤田正晴を選出した場合には自民党と組むつもりだったともいわれています。日本新党と新党さきがけによる「さきがけ日本新党」は政治改革政権を提唱します。自民党、非自民勢力ともにこれに応じましたが、結果的に非自民勢力が細川首相を提示した結果、細川を首相とする非自民連立政権の発足が決まりました。

この過程の中で自民党の機先を制して旧野党をまとめた上で細川を取り込んだのが新生党代表幹事になっていた小沢一郎でした。

細川内閣は1993年8月9日に発足しました。細川内閣の発足によって自民党は38年間にわたって維持した政権から転落し、ここに55年体制は崩壊しました。首班を出すこととなった日本新党の議席数は連立政権内では社会党、新生党、公明党につぐ第4党でした。

細川護熙

 

 

小沢は細川の改革派としてのイメージを最大限に利用します。また、当時の社会党の委員長は山花貞夫でしたが、山花は党内で総選挙敗北の責任を問われており首相候補とは見なされていませんでした。また新生党の羽田孜はつい一か月前までは自民党に所属していたという意味から非自民連立政権の首相としては少し違和感がありました。さらに公明党委員長は石田幸四郎でしたが、創価学会を母体とする公明党から首相を出すことも違和感があったことから、第4党の細川に白羽の矢が立ったという側面もありました。

細川政権は、7党1会派(8会派)による連立政権でしたが閣僚は連立政権の議席数によって配分されました。ですが、主要閣僚は新生党が独占しました。新生党からは羽田外相の他、蔵相に藤井裕久、通産相に熊谷弘、農水相に畑英次郎、防衛庁長官に中西啓介らが入閣しました。

また、連立与党の党首はほぼ全員が入閣しました。新生党の羽田党首が外相、社会党の山花委員長が政治改革担当相、公明党の石田委員長が総務庁長官、民社党の大内啓伍委員長が厚生相、社民連の江田五月代表が科学技術庁長官に就任しました。

ですが、社会党からは新しく委員長に就任した村山富市は入閣しませんでした。このことは後に、与党内の第一党の社会党側と細川内閣(政権側)との軋轢につながっていくこととなります。

(2)細川政権の実績―政治改革法案の成立―

細川政権にとっての最大の課題は、海部政権や宮澤政権から持ち越された政治改革でした。細川は自らの政権の最大のテーマに政治改革を掲げ、年内(1993年内)に改革を実現できなければ退陣すると明言します。

政治改革の中の最大のテーマは選挙制度改革でしたが、細川政権の頃になると共産党を除く全ての政治勢力が小選挙区と比例代表の並立制で(党内事情はさておくとして、表向きは)合意するところまでは来ていました。

小選挙区と比例代表の組み合わせも並立制と併用制の違いがありますが、細川政権が導入を試みたものも並立制でした。並立制は海部政権の頃に選挙制度審議会の答申に書かれていたものでした。

Japanese ballot paper close up

 

宮澤政権時には政府は完全小選挙区制を国会に提出したりもしましたが、細川政権の連立与党はまた並立制を提出します。また自民党も当時は並立制でほぼ党内で合意を得られつつあったために、細川政権(連立与党)側と自民党の争点は小選挙区と比例代表の定数配分になっていました。

選挙制度改革については、当初、連立与党側は小選挙区250、比例代表(全国単一)250の2票制を主張しました(小選挙区と比例代表を別々に投票すること)。これに対して自民党は小選挙区300、比例代表(都道府県単位)177で1票制を主張しました(小選挙区候補への投票先が自動的に比例代表の投票先となる方式)。

しかし、国会での審議は進みませんでした。これは社会党の中にも自民党の中にも本心では小選挙区制に反対している議員がまだ多くいたからでした。

1994(平成6)年1月になり、連立政権側が提出した案が衆議院本会議では可決されましたが、その後、社会党からの造反で参議院では否決されるということが起こります。それほどまでに社会党内部には最後まで小選挙区制に対する批判が強かったのです。

その後、細川は自民党総裁の河野洋平にトップ会談を呼び掛けます。そして、細川と河野のトップ会談の結果、2人は小選挙区300、比例代表200の2票制で合意しました。

比例代表は全国11ブロックとすることで合意されました。また企業団体献金については、1団体で上限50万円までとする案で妥協が図られました。そして、細川と河野の合意により公職選挙法、改正政治資金規正法、政党助成法などの政治改革4法案が94年3月に成立しました。

(3)細川政権の崩壊―国民福祉税構想と佐川急便疑惑により退陣―

その後、細川は引き続き、行政改革、規制緩和、地方分権などの課題に取り組むつもりでした。しかし、結果的には細川政権は国民福祉税構想を機に求心力を失い退陣に追い込まれました。

この頃、大蔵省と小沢は消費税の増税を考えていました。一方、与党第一党の社会党と新党さきがけを率いる武村官房長官は消費税の増税には反対の立場でした。細川は94年2月2日の夜に記者会見でいきなり国民福祉税構想を発表します。

Concept of consumption tax (shopping cart and the Japanese word meaning “consumption tax”)

 

これは消費税を3年後に廃止して福祉目的に使途を限定した税率7%の新しい間接税を導入するというものでした。この国民福祉税構想は小沢と当時の大蔵事務次官の齋藤次郎によって進められたものでした。

しかし、この構想は民社党委員長で厚生大臣だった大内にも武村官房長官(新党さきがけ代表)にも知らされていないものでした。記者会見の翌日から与党内には大反発が起こり、細川が求心力を失うきっかけとなります。

さらに細川を追い詰めたのは細川自身の抱えていた金銭問題でした。細川は佐川急便グループから1億円を借り入れていたのですが、この問題が連日、衆議院予算委員会で追及されました。

中心となって細川の追及を指揮したのは、野党になっていた自民党の森喜朗、亀井静香です。野中広務は予算委員会で実際に追及します。細川は政治改革関連法案が成立した後、94年4月8日に首相辞任を表明します。細川内閣は、4月25日に閣議で総辞職し、28日までは職務執行内閣としては存続しましたが、結局は1年にも満たない短期政権として幕を閉じました。

細川政権は退陣時点でも支持率は5割前後を保っていました。細川政権の崩壊の原因は連立政権の与党内部の対立でしたが、これは大きくいえば保守2党を構想していた小沢と、社会党の村山、さきがけの武村との対立が底流にありました。

小沢の政界再編論は自民党に対するもう一つの保守党を作る保守2党論でした。これに対して勢力を減退させたとはいえ、社会党は保守2党論には与することはなく、当時の言葉でいう第3極の政治勢力の結集を目指していました。

武村は自民党を割って出てきたために、大きくいえば保守政治家でしたが、小沢と激しく対立していました。武村自身が首相を目指していた野心家であったという面もあったのですが、細川政権では小沢と対立する武村と村山は連携を強めていくこととなりました。

また、この時期は政界再編の過渡期であったことから、連立政権を構成する各与党も、再編期における生き残りを考え始めていました。細川本人は「穏健な多党制」論者でしたが、この後、小沢は社会党を排除した2大政党論を前面に出していきます。

この後の政界再編の中で細川自身も小沢の主導する新進党に参加することとなるのですが、それはこの少し後の話です。さらに小沢から排除された社会党と小沢と対立した武村は自民党と組んで反小沢政権というべき「自社さ」政権を樹立することとなりますが、それはこの後の羽田政権の後のことです。

 

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吉田健一 吉田健一

1973 年京都市生まれ。2000 年立命館大学大学院政策科学研究科修士課程修了。修士(政策科学)。2004 年財団法人(現・公益財団法人)松下政経塾卒塾(第22 期生)。その後、衆議院議員秘書、シンクタンク研究員等を経て、2008 年鹿児島大学講師に就任。現在鹿児島大学学術研究院総合科学域共同学系准教授。専門は政治学。著作に『「政治改革」の研究』(法律文化社、2018 年)、『立憲民主党を問う』(花伝社、2021 年)。

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