第46回 冤罪を救った刑事魂
メディア批評&事件検証今市事件の被害女児で小学1年だった吉田有希ちゃん(当時7歳)が眠る栃木県日光市の墓前に足を運ぶと、なぜか居た堪れない気持ちになる。
有希ちゃんは、家族みんなで動物園に遊びに行くことをよほど楽しみにしていたのだろう。墓石の一番下の段には、キリンとクマ、そしてカラフルな観覧車が刻まれている。上の段には、彼女が大好きだったヒマワリの花7輪が咲き誇り、笑顔という文字が温かい。
このような墓碑になっているのは、冷たい場所で有希ちゃんが一人寂しくないように、と家族の思いがあるからだ。
今市事件捜査に携わった宇都宮地検の検事、栃木県警の警察官たちは、有希ちゃんの墓前に捜査の結果をどのように報告したのだろうか。私が墓石の前で手を合わせるときには、「梶山さん、犯人は違うよ」と、すすり泣く声が未だに聞こえてくる気がするのだ。
犯人に猛省を促し、犯行事実を心から認めさせたと有希ちゃんに報告できるのだろうか。疑念を抱かざるを得ない。身体的暴力と心理的脅迫を用いて得た供述調書なのだから証拠が何一つないのは当たり前。それを採用した裁判官には、開いた口が塞がらない。
捜査というのは、そう簡単に進展するものではないということは分からないではない。人は思い込むこともある。ただその誤りに気づいた時、どう対応するかが、一番大切なのだ。特に冤罪が絡む時は重要だ。なぜなら人の人生がかかっているからだ。
私は40年というこれまでの取材で、刑事魂というものを見てきた。冤罪だと気づき、自分の出世よりも、無実の人が有罪になるのを何としても食い止めようと警察組織と闘った警察官たちの真摯な姿だった。正直、胸を打たれた。
しかし、捜査の途中で冤罪と気づきながら、証拠を捏造し、法廷で法医学者らに偽証させて無実の人に罪を着せた今市事件の捜査陣には、あえて警察官とか検事とは呼びたくない。
私は今市事件の捜査に携わった刑事たちにはぜひ、今から綴る「志布志事件」捜査での刑事たちの行動を読んで再考していただきたい。鹿児島県警が2003年4月に行なわれた鹿児島県議選曽於郡区(定数3)で、当選した新人の県議や住民ら計13人(1人死亡)を架空の買収事件をでっち上げて逮捕、起訴した「志布志事件」の真実だ。
この事件は鹿児島県警の捜査二課の特捜班長らが計画したもので、逮捕された住民のうち6人が「たたき割り」と称される同県警に伝統的に受け継がれている暴力的な取り調べに屈して自白調書を作られた。
事件の舞台となった志布志市志布志町四浦の懐(ふところ)地区は、宮崎県との県境に位置し、7世帯20人が静かに生活する山あいの限界酢集落だった。
03年4月から5月にかけてのことである。少なくとも5世帯5人が救急車で病院に搬送されていたことが、大隅曽於地区消防組合南部消防署の救急搬送証明願書から明らかになった。これまでに年に1回の救急車搬送があるかないかだけだったので異常なことはわかる。
しかも志布志事件の鹿児島県警による任意の聴取を受けていた人たちだった。うち3人がなんと一時期意識がなかったというからたまげた。その取り調べが、いかに過酷なものであったのかを物語っていた。やっていることは今市事件と変わらないと思う。
私がこの事件に関わるきっかけになったのは朝日新聞西部本社報道センター(旧社会部)次長から鹿児島総局長として赴任した05年4月。着任してまだ1週間も経っていない日の午後だった。
志布志事件の裁判がが2年も経つのに未だに結審してない状況に驚き、警察担当の記者に女性被告の起訴状を見せてもらった。すると犯行日時が「2月上旬ころ」と記されていたことに違和感を覚えた。
十数人が逮捕されていながら誰一人犯行日時を覚えてないことはあり得ないと思った。すぐに総局員を集めて最初からこの事件を徹底的に調べ直すことにした。
私の予感は的中した。それだけではない。運も味方してくれた。若いときから親しくしていた捜査一課の刑事に相談すると、志布志事件の取調官の一人のAさんを鹿児島市内のホテルに呼び出してくれたのだ。事件に風穴を開ける絶好のチャンスが巡ってきた。
同年8月だった。最初は「知らんがよ」と全否定する刑事に私は、もう、これしかないと女性1人を人質に、連合赤軍のメンバーが保養所に立てこもったあさま山荘事件で殉職した警視庁機動隊の内田尚孝二機動隊長のことを夢中で話した。
突入した機動隊は人質の救出を第一に、犯人を捕獲。しかし、銃を使えなかったこと。さらに隊長は部下が突入時に銃で撃たれるのを防ぐために自分が標的になったこと。途中で説明をしていた私自分も興奮。我に戻り、目の前のAさんを見ると、肩を震わせて泣いていた。
彼は声を発した。「事件はあんた言うようにない。班長に命令されて嘘の調書を作った」と認めた。
さらにこう言った。「オイはは刑事じゃっと。無実の人々ば守らにゃいかん」。彼の額に私の額をくっつけて、「大変だったんだね。あなたが住民を守るなら私も手伝わせて下さい。報道の力も必要でしょう。あっそうだ。あなたをアルファベットでAさんと呼ぶことにして、会話もノートのメモにも、一切実名は使わないことにしますから」。私とAさんは、意気投合した。
その後、Aさんから志布志事件でっち上げの全貌を示す機密の内部文書全てを入手した。調書の下書きに当たる「取調小票」や警察、検察の公判対策を磯部一信捜査二課企画指導補佐が捜査二課長に報告した「地検協議結果について」など、冤罪を裏付ける貴重な証拠群だった。
この事件は起訴されたが被告全員が無罪になった。なぜ、無罪になったのか。それは、Aさんを見てもわかるように約100人の捜査員の中の一部の人たちが、架空の事件で証拠集めをしていたことに気づいたからだ。
今市事件の捜査員が冤罪と分かり突っ走る栃木県警と違い、鹿児島県警の捜査員の一部が壮絶な闘いを県警組織とその後することになる。その結果が無罪を勝ち取ったのだ。一言で表すなら刑事魂が違う。彼らは住民を命がけで守る警察官なのだ。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。