【連載】ヒューマン・ライツ紀行(前田朗)

第5回 人種差別撤廃法・条例を求める札幌市民 ―故郷の札幌講演会で考える―

前田朗

8月27日の午後と夜、札幌で2つの講演をした。

時計台

 

1つは、「みんなでつくろう人種差別禁止法」(北海道ウリトンポセンター)である。主催は5団体で、アイヌ政策検討市民会議、一般社団法人メノコモシモシ、札幌市に人種差別撤廃条例をつくる市民会議、茶門セミナー・ハンマダン、パレスチナ連帯・札幌である。また賛同団体には、沖縄の基地を考える会・札幌、朝鮮学校を支える会、日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会が名を連ねた。

講演会の様子

 

もう1つは、「安倍国葬 やめろ! in札幌緊急集会」(札幌エルプラザ・男女参画センター)であり、「違憲・違法の政治利用をゆるすな! 売国奴=安倍の国葬は民主主義破壊の総仕上げ」と謳い、「“自民党よ、反社会的カルト教団から目を覚ませ!”――国民を巻き込むな!国葬差し止め請求訴訟の現在」と訴えた。主催団体は同実行委員会(「国葬やめろ 非国民札幌」)だが、「みんなでつくろう人種差別禁止法」に参加した人たちと重なっている。

私は札幌出身なので、お墓参り等の目的で帰省する際に、同じグループの人たちに講演会を開催してもらってきた。特にヘイト・スピーチが大きな社会問題として意識されてきたので、朝鮮人や朝鮮学校に対する差別問題を中心に講演することが多かった。

・在日朝鮮人・人権セミナー

1990年代、私は仲間と一緒に「在日朝鮮人・人権セミナー」という小さなグループを作って、事務局長として活動した。呼びかけ人代表は故・鈴木二郎氏(社会人類学者、東京都立大学名誉教授、東京造形大学学長を歴任)、実行委員長は床井茂(弁護士)である。

鈴木氏が東京造形大学学長だったのは1980年代のことで、私が東京造形大学教員になったのは1990年である。人権運動の現場で初めてお目にかかり、さまざまにご教示いただけたことは幸いであった。

1989年、いわゆる「パチンコ疑惑騒動」が起きた。国会で朝鮮民主主義人民共和国非難、朝鮮総連非難が巻き起こると、各地の朝鮮学校に対する弾圧と差別が激化し、ヘイト・スピーチが吹き荒れた。私たちは暴行・暴言の被害を受けた朝鮮学校生徒の被害聞き取りを行い、記者会見を開き、抗議集会を開催した。そして在日朝鮮人・人権セミナーを結成した。

1994年、いわゆる「朝鮮核疑惑騒動」が起きた。日本政府もマスコミも猛烈な朝鮮叩きを行った。この時も、朝鮮学校に「生徒を殺す」等の脅迫電話が殺到し、実際に多くの生徒が通学時に暴行・暴言の被害を受けた。ハサミで髪の毛を切られ、チマチョゴリも切り裂かれた。私たちは朝鮮学校生徒から被害聞き取りを行い、パンフレットをまとめた。

1994年のパンフ表紙

 

日本でいくら訴えてもまともに取り上げられないので、94年8月、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開かれた国連人権委員会・差別防止少数者保護小委員会に参加して、民族差別の実態を訴えた。国際人権の専門家や人権NGOにアピールした。国連人権機関に参加したのはこれが初めてだが、その後、四半世紀にわたってジュネーヴに通うことになった。

1998年、いわゆる「テポドン騒動」が起きた。朝鮮が発射した人工衛星問題である。日本やアメリカはいつでも自由に人工衛星を打ち上げる権利があるが、朝鮮にはその権利を認めないのが日本政府とマスコミの姿勢である。反朝鮮キャンペーンが始まると、各地の朝鮮学校生徒に被害が集中するのはいつものことである。私たちは被害調査に奔走した。

1998年のパンフ表紙

 

ところが、千葉朝鮮会館強盗殺人放火事件が起きて、私の友人が殺された(事件は迷宮入り)。その直後、私の自宅に「朝鮮人の味方をする輩は日本から出ていけ」という脅迫状が舞い込み、勤務先には「こんな教授は馘首にしろ」という手紙が届いた。自宅に帰ることができず、ホテル滞在の日々を過ごした。

・ヘイトの現代史

1990年代には日本社会で何度もヘイト・クライムとヘイト・スピーチが吹き荒れた。被害は通学の路上で、駅で、電車やバスで発生した。朝鮮学校側には防備する手立てがない。警察も誰も守ってくれない。私たちは懸命に被害調査をして、被害実態をアピールした。

しかし、法律家団体や人権団体にさえ、ほとんど無視された。朝鮮人に人権はないというのは、日本政府だけでなく、日本の人権団体の共通了解なのかと呆れたくらいだ。話を聞いてくれるのは、ジュネーヴの国連人権機関だけだったというのが実感である。

こうした活動を続ける中、国連人種差別撤廃委員会の審議を傍聴して、ヘイト・クライムやヘイト・スピーチという言葉に接するようになり、研究を始めた。それが現在につながっている。

ところが、日本では「2000年代に日本でもヘイト・スピーチが始まった」という異様な言説が飛び交っている。過去のヘイト・スピーチの歴史が抹消される。1990年代以前にずっとヘイト・クライムとヘイト・スピーチが続いてきたと何度も強調しているが、なかなか理解してもらえない。歴史の偽造や歪曲は保守反動勢力の得意技ではなく、リベラル派も同じ過ちを引きずっている。

朝鮮人に対するヘイトは朝鮮植民地化過程において激化した。3.1事件でも膨大な被害が起きている。日本列島では関東大震災時に朝鮮人虐殺(ジェノサイド)が起きた。その後も、折あるごとに朝鮮人は殺害され、差別と抑圧を受けてきた。近現代日本史は朝鮮人に対するヘイトの歴史である。

2010年以後、日本社会でもヘイトの認識がなされるようになったのは一歩前進である。2016年にはヘイト・スピーチ解消法が制定された。きわめて不十分な法律だが、ここに至るまでに在日朝鮮人の膨大な被害があり、人権擁護の悪戦苦闘があった。

22年8月27日の講演では、差別抑止の総合的政策として、①差別(人種民族、先住民族、性別、性的アイデンティティ、障害、世系・部落…)の定義、②人として認められる権利と人間の尊厳、③民主主義とレイシズムは両立しないこと、④反差別の法と政策(刑事規制、民事、行政規制、教育、啓発、被害者救済…)について論じた。

さらに差別抑止の阻害要因として、①歴史的構造的差別とその認識不足(エリート・レイシズム、無意識のレイシズム)、②「中立性・客観性」論の陥穽、③「ふつう」というレイシズムとその認識不足、④被害には精神的被害(侮辱、名誉毀損、トラウマ…)、身体的被害、集団的被害、財産的被害があること、④マイクロアグレッション(ちくちく攻撃とじわじわ差別)の無理解、そして⑤平和主義リベラル派憲法学のレイシズムについて論じた。

この社会で「ふつう」でいられるのはマジョリティである日本人の特権だ。歴史のはざまで「ふつう」でありえない人生を押し付けられたマイノリティに対する差別を撤廃するのはマジョリティの責任である。

・北海道ウリハッキョ

講演会の折に、賛同団体の一つである北海道朝鮮学校を支える会の方たちから、北海道ウリハッキョ創立60周年記念文集『ウナス』第8号を頂戴した。

ウナス表紙

 

ウナスとは「銀河(天の川)」のことで、これまで7号発行してきた文集だが、今回は創立60周年記念で朝鮮学校中級部と高級部の生徒たちの作品や、朝鮮学校を支えてきた人々のエッセイを収録して「合同文芸文集」として編集したものである。2021年4月で60周年を迎え、同年10月に合同文芸文集を発行した。

記念号の帯には「大地へ根を張る、百年ウリハッキョへ」とある。朴大宇(北海道初中高級朝鮮学校校長)の「『軌跡』と『奇跡』」は次のように歴史を刻んでいる。

1961年4月10日

異郷の北の大地に根を張り幹を太らせ
逞しく育ててきた60年の「奇跡」は

と始まり、次の2連で締めくくられる。

笑顔の未来と決して譲れないものを守るため

私たちの新しい「軌跡」と「奇跡」が始まるのだ

1961年は初中級学校が創立された年であり、学校法人化は1968年である。1982年に高級部を併設した。2020年3月には初級部卒業生が1339名、中級部卒業生が1603名、高級部卒業生が595名に達した。

私は1999年4月以来、東京・小平市の朝鮮大学校政治経済学部法律学科で非常勤講師をしているが、教え子の中には北海道朝鮮学校高級部卒業生もいた。595名のうちの1人である。

上記文集には、祝賀の言葉やエッセイに始まり、生徒たちの絵、川柳、短歌、俳句、作文が採録され、学校行事のカラー写真も収められている、卒業生、教員、支援者らのエッセイも10点を超える。

朝鮮学校の60年は、子どもたちの瞳が希望に輝いた60年であり、教員や保護者たちの大変な苦労の歳月であった。それは日本政府による朝鮮学校差別の60年でもあり、日本社会におけるヘイト・スピーチの60年でもあった。

 

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前田朗 前田朗

(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。

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