第5回 人種差別撤廃法・条例を求める札幌市民 ―故郷の札幌講演会で考える―
社会・経済・アイヌ民族差別
講演会の折にもう一冊、主催団体の一つであるアイヌ政策検討市民会議が制作・発行した『2024年「アイヌ施策推進法」改正に向けてのアンケート調査報告書』(2022年3月)を頂戴した。
アイヌ政策検討市民会議は、現行のアイヌ政策の骨子は「有識者」による密室の会議によってつくられ、当事者のアイヌが蚊帳の外に置かれてきた。これは国際人権文書で謳われている先住民族の権利FPIC原則から逸脱しており、アイヌの人権を著しく損なっている。
アイヌ政策の問題点を市民社会に広く知らしめ、歴史、文化、権利の観点から、当事者アイヌを中心に据え、ボトムアップで代替案を探る必要があるという問題意識から2016年に設立された団体で、北海道の市民運動・平和運動の重要な拠点であるさっぽろ自由学校「遊」が連絡先となっている。
FPIC原則とは、自由意思に基づき、事前に十分な情報を与えられた上での同意を指す。国際人権法の要請であるが、日本ではないがしろにされてきた。
『アンケート調査報告書』は、2019年の「アイヌ施策推進法」は一面では前進であるが、民族の権利を回復する施策が全く含まれていないことを指摘し、2024年に法改正を行う必要があるという立場で、アイヌ団体や関係個人へのアンケート調査を行った。
質問項目は、「アイヌ関連事業予算」は、所属団体の自発的意思が尊重されているか。民族共生象徴空間(ウポポイ)開設は、アイヌ民族の誇りの尊重に結び付いているか。「アイヌ施策推進法」を生活保障や教育、雇用などにも広げるべきかなど、11項目である。その回答と、詳細な分析が採録されており、結論は次のようにまとめられている。
「今回のアンケート調査及びアイヌ政策関連の公文書から、アイヌ施策推進法は多くのアイヌの人々の意見が反映されないものであったことが明らかになった。それは国際人権法や日本国憲法にも反する。したがって、日本政府には、日本国憲法98条2項に従い、先住民族の権利に関する国連宣言など国際人権法を踏まえ、FPIC原則を尊重し、アイヌ諸団体と対等な立場において全面的な改正の協議を行うよう要請したい」。
・屯田兵の5代目
札幌出身の私は、アイヌ民族との関係では侵略者の子孫ということになる。父方も母方もともに1870年代に、もっとも早い時期の屯田兵として札幌周辺に入植した。私は5代目である。父方は苗穂地区と琴似・発寒(はっさむ)地区に、母方は琴似・山の手・西野地区に入植し、国有地払い下げを受けて地主となった。
国有地とは1869年にアイヌモシリを北海道と命名して、北海道全体を国有地とし、その後順次、民間に払い下げたものである。つまり、アイヌ民族の大地を丸ごと略奪して、分割所有したのである。
屯田兵とは、北方の守りを固めるとともに、北海道を開拓する任務の集団だが、まさに植民地の先兵である。北海道大学はもとは札幌農学校だが、札幌農学校で形成された学問が植民学である。アメリカの開拓・植民理論を北海道に適用し、後に台湾、朝鮮、旧満州に応用していった。植民地主義そのものである。
大通公園と創成川で区切られた札幌の街並み、そして北海道大学や時計台は、まさに屯田兵による札幌地域開拓=アイヌモシリへの侵略の歴史の所産である。わが故郷、大好きな街札幌は植民地主義発祥の地でもある。
それにしても創成川とはよくぞ名づけたものだ。札幌開拓の初期に人工的に堀削してつくった川であり、植民地「創成」の記念碑でもある。創成川に面して建立されたテレビ塔は札幌の象徴だが、それはアイヌ民族に対する支配の象徴でもある。
おかげで父方も母方も大土地所有の地主となり、不在地主でもあった。3代目の祖父が若くして他界したため、私の父親(4代目)は物心ついた時すでに不在地主であった。文字通り小林多喜二の小説『不在地主』の世界である。
父親は少年時代、大いに遊んで暮らしたようだが、後に農地改革によりすべての土地を失い、貧困状態となった。札幌郊外の土地付きの娘であった私の母親と結婚して、そこに私が生まれたので、私はアイヌ民族から略奪した土地のおかげで高度成長期に幸せな少年時代を過ごすことになった。
私は琴似生まれだが、琴似とはコトニ・コタンに由来する地名である。コタンとはアイヌのコミュニティを意味する。コトニ村である。琴似神社の裏手には最初の屯田兵入植の地の記念碑が建っている。私は3歳から高校卒業まで発寒に在住した。発寒とは、ハチャム(桜鳥がいるところ)に漢字を当てはめた地名である。
高校を卒業して東京に出て、そのまま東京に住み着いた私は札幌に戻る予定はない。両親が他界して10年以上になる。不動産はすべて処分したので、今は札幌には姉が住んでいるだけだが、両親のためにお墓を建てたので、時々帰省している。
あるアイヌ民族の活動家から「前田さんは隣に引っ越してきた」と言われたことがある。150年前に、父方と母方の先祖が札幌に引っ越してきて、アイヌ民族の土地を奪った歴史を意味している。150年前に隣に引っ越してきたという歴史認識は重要である。
侵略した側はすぐに忘れるが、侵略された側には全く異なる歴史意識の層が形成される。私の身体を貫いている歴史に無頓着でいられるのは侵略した側に属しながら、自分は直接その体験をしていないからだ。
ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ、人種差別を考える故郷への旅は、故郷の植民地主義性を手繰り寄せ、これからの研究と活動にさらなる強い動機を与えてくれた。
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(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。