改めて検証するウクライナ問題の本質:XVI NATOの秘密作戦Stay-behind の影(その4)
国際前項で紹介した元ウクライナ保安庁長官(SBU)のアレキサンドル・ヤキメンコ氏の証言は、2月20日の銃撃事件についても触れている。
そこでは、明確に実行犯がアンドレイ・パルビィ氏らによって支配されていた建物から弾丸が発射され、欧米の政府や報道機関が宣伝している当時のヤヌコビッチ政権の警官隊からではなかったという事実が以下のように強調されている。
「抗議運動の現場(マイダン)に立ち入るのは、パルビィ氏の同意が必要だった。さもないと(極右・ネオナチの)『防衛隊』に背後から襲われるからだ。パルビィ氏はそうした承諾はしなかった。ピストルもライフルも、特に望遠鏡のついたものは、パルビィ氏の許可がないと現場に持ち込めなかった」(注1)。
当時の現場は、治安部隊も容易に立ち入ることができない「二重権力」状態のように反政府派が制圧していたようだが、警察官の装備まで制約できたということなのか。
ただヤキメンコ元SBU長官によると、銃撃が始まって抗議参加者が倒れていく最中に、抗議活動の中心だった極右・ネオナチの「右派セクター」と「スヴォボダ」のメンバーから、「(SBU傘下の特殊部隊の)『アルファ』を動員して、発砲があった建物を一掃し、狙撃手を排除してほしい」(注2)との要請があったという。
この事実は、「右派セクター」と「スヴォボダ」の大多数にとっては銃撃の実行犯を想定できなかった事実を示している。「味方」が味方を撃った作戦の実態は、現場の「司令官」のパルビィ氏らごく一握りのリーダーだけが掌握していたのは疑いない。
またヤキメンコ元SBU長官は、実行犯についても証言している。
「最初の銃撃が終わった後に、多くの人たちが音楽院から出てくるのに気付いた。約20人ほどで、身なりもよく特別な服を着ていて、ライフル運搬用の旅行カバンを持ち、スコープの付いたカラシニコフがあった。狙撃手はその後、10人ずつの2つのグループに分かれ、1つはSBUによって見失われた。もう一方は、ホテル・ウクライナに向かった」(注3)。
パルビィ氏と米国との関係
しかもその際、武器の搬入を管理していたはずのパルビィ氏が、一団を見守るように音楽院の出口に居合わせた写真も残されている。そのため、これまで何度も紹介したカナダのオタワ大学のイワン・カチャノフスキー教授は、明確に「虐殺はアンドレイ・パルビィが実行した」(注4)と指摘している。
しかし「組織した」といっても、パルビィ氏1人だけで担えるような仕掛けではないはずだ。その背後に見え隠れする巨大な勢力の助力なしに、「虐殺」は可能ではなかったと推測できる余地がある。その理由は、パルビィ氏と米国との関係にある。
『ニューヨーク・タイムズ』紙の2015年1月3日付(電子版)の「ウクライナの指導者は追放される前に打倒された」と題する記事では、ヤヌコビッチ政権打倒に関し、「西側諸国が支援し、さらには民衆蜂起を装った『ネオ・ファシスト』による暴力的なクーデター」であるとする見方を「ロシアのプロパガンダ」と揶揄しながら、次のような見逃せない情報を伝えている。
「ドイツとポーランドの外務大臣、そしてフランスの上級外交官が(2014年)2月20日の夕方に政治休戦について交渉するためヤヌコビッチ氏と大統領宮で会談した際、パイアット米国大使と何人かの欧州の代表が、ドイツ大使館で抗議行動の司令官であったアンドレイ・パルビィ氏と会って『リヴィウの銃器がキエフに来ないようにしてくれ』と言った。
『私たちは、彼に言った。“銃器をキエフに来らせるな。もし銃器が持ち込まれたら、状況をすべて変えてしまうだろう”と』。パイアット氏はパルビィ氏にそう言ったのを回想するが、パルビィ氏は目だけが出た黒い頭巾をかぶってその場に現れた」(注5)。
この「銃器」とは同紙によれば、ウクライナ西部のネオナチの最大拠点リヴィウの警察署等から2月18日夜、当時の反政府派によって強奪され、所在不明になっていた「ピストルとカラシニコフライフルを中心とする約1200丁の武器」を指す。
パイアット米国大使や「西側外交官」らが「もしキエフに持ち込まれたら、西側で広く共感を得ていた平和的抗議運動として始まったものが、すぐにそうした好意を失う武装暴動に変わるのではないかと心配した」ため、パルビィ氏に要請したのだという。
この記事は、すでに警官隊の死傷者が続出して「武装暴動」になっていた段階にもかかわらず、あくまでクーデターの事実を否定するためそれを「平和的」であったかのように歪曲する意図が露骨だ。現在まで数多くの実例がある、米英両国政府の事実上の広報機関に過ぎないマスメディアによる「プロパガンダ」記事の典型だろう。
1953年7月生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。政党機紙記者を経て、パリでジャーナリスト活動。帰国後、経済誌の副編集長等を歴任。著書に『統一協会の犯罪』(八月書館)、『ミッテランとロカール』(社会新報ブックレット)、『9・11の謎』(金曜日)、『オバマの危険』(同)など。共著に『見えざる日本の支配者フリーメーソン』(徳間書店)、『終わらない占領』(法律文化社)、『日本会議と神社本庁』(同)など多数。