【連載】インタヴュー:時代を紡ぐ人々(前田朗)

第5回 根源を見据え、未来を展望する マーケットの手前にある生活文化にこだわる佐藤真起さんに聞く

前田朗

・硬直した日本司法

――原発訴訟では、先日、残念な最高裁判決が出ました。

佐藤――高裁判決では3対1で事故の責任を国にも認めていたのが、最高裁判決は国に責任なしと結論が簡単にひっくり返りました。本当に残念です。皆、怒りと悲しみに暮れています。怒りは当然ですが、この国にはこんな低レベルの、志の低い裁判所しかないのか。

脱原発練り歩き

 

私も神奈川の裁判を支援してきましたから、最高裁判決を見て、最高裁判事はどれだけしっかりと被害者の思いを受け止めたのか。証言をどれだけ受け止めたのか。向き合っているのかが感じられない。先に結論ありきの判決にしか見えない。逆に言うと、この国の司法には社会正義を求めてもダメなんだな、と感じさせられる。

一人だけ検察出身の三浦守判事が反対意見を書いています。その内容を見れば、原告の思いを受け止めて書いていることが伝わってくる。人間が書いた法律文書とはこういうものなのだろうと思います。救いがある。

――自動販売機からガチャンと出てくるような判決はもう読みたくない。

佐藤――これから避難者訴訟がいくつも続きますが、期待できない面と期待できる面、きちんと押し出していかないといけない面があります。

日本の裁判所には、市民のニーズにいかに対応するべきかという視点があまりにも弱いのではないか。『日独裁判官物語』(監督:片桐直樹、制作・普及100人委員会)という記録映画をオルタで何度も上映しています。1999年に制作されたもので、ドイツの司法が市民生活にとっていかに重要な役割を果たしているのかを知ることができます。裁判官が権威主義的存在ではなく、市民に向き合い仕事をすることを第一に考えています。戦後ドイツの司法改革が何であったかがよくわかります。

同じように戦後、民主的改革を経たはずなのに、日本の裁判所は権威主義と秘密主義に覆われています。日本の司法改革は逆向きで、どこを向いているのかと思ってしまう。三権分立とはいったい何なのか。回路が閉ざされていると痛感します。

――裁判所の構成も人事権も、判決内容も、戦前の大日本帝国を引きずっています。

佐藤――日本国憲法と戦後改革によって、司法の民主化がなされたものとばかり思っていましたが、違うのですね。日独裁判官の対比によって、裁判官の意思と自由とその生活のあり方の違いがよくわかります。ドイツの裁判官はまさに市民やコミュニティの裁判官であり、政治や市民運動にも積極的にかかわっている。それに対して、日本は国家維持のための裁判官です。人事権が最高裁事務総局に握られ、裁判官たちは3年ほどで全国を移動させられ、地域の市民社会との接点が奪われている。市民として、生活者としてのリアリティが薄い裁判官に、果たして市民生活の諸権利を守るための判断がどれだけできるのか。最高裁事務総局による裁判官統制が強まって、裁判官の独立が絵に描いた餅に過ぎなくなっています。

・ロシア・ウクライナ戦争と平和主義

――ロシア・ウクライナ戦争によって見えてきたことがあります。

佐藤――力による現状変更というのは、強権による生活文化の破壊そのものです。戦争反対を唱えてきた平和主義が揺らいでいることが気になります。ロシアが悪でウクライナが善、ウクライナの自衛が正当で、国家を守るために戦うことだけが良いこととされている。絶対平和主義はどこへ行ったのかと思います。

たしかにロシアの侵略には正当性がないので、ロシアを批判するのは当然です。でも、私たちの平和主義は、戦争そのものが犯罪であるという地点に立っていたはずです。平和に暮らす権利というのは、戦争そのものが犯罪であることを意味したはずです。ウクライナが元の生活文化に戻るのに30年以上かかると言われています。本当に大変なこと―戦争に勝つことでは贖えない現実が作られている。これは犯罪なのだと明らかにすべきなのに、戦争自体が犯罪だというところに行くまでにまだまだ距離がある。

――いまの国際人道法、国際人権法は100年かかって戦争違法化を進めてきました。1920年代の戦争違法化運動、1928年の不戦条約によって戦争は違法とされました。1945年の国連憲章は武力不行使の原則を掲げました。ただ、自衛戦争は残され、集団安全保障体制がつくられた。ところが、まったく別に集団的自衛権が持ち出され、軍事同盟が跋扈しています。

佐藤――集団安全保障と集団的自衛権の違いが分かっていない人が多いように思います。集団安全保障のために国連を創設したのに、NATOのような軍事同盟があるのは、議論を混乱させる。

――軍事同盟があるから戦争が起きることが理解されていません。

佐藤――マスコミを見ても、軍事同盟があるのが当たり前のように報道しています。NATOもそうですし、「日米同盟」などと平気で言っている。

――世界には軍事同盟を拒否している国が多数あります。非同盟諸国会議があるのに、日本政府もマスコミも無視します。NATOと日米同盟が世界を支配するのが当たり前と思い込ませようとする。

佐藤――最近聞いて驚いた話ですが、世界では実はロシアを支持している人口の方が多いそうです。ロシアを支持する中国の人口が多く、両大国の息のかかった国が増えているためですが、日本の報道だけを見ると、世界中がロシアを非難しているかのように思わされる。

――実際は違います。自分の頭で考えないと、世界は見えてこない。

佐藤――世界の2極化が進んだときに、またそれで50年なりの時間が費やされてしまう。しかも、AIやドローンという新しいテクノロジーが軍需産業に活況を与え、傭兵や私兵が特別な利潤をもたらす産業としてマーケットを新たな姿を形成し出している。戦争の文化が平和の文化を取り巻き、侵食している。未来に向け、私たちの世界はそうした方向しかないのか?それ以外の芽がみえない。

・市民がつくる平和の文化

――2016年に国連平和への権利宣言が採択されましたが、草案から重要な条文が削られた。推進したのはキューバやコスタリカで、多数の諸国が賛成したけど、アメリカが認めない条文は削られました。結局、アメリカはどれも認めなかったのですが、平和への権利があるということだけは採択されました。

佐藤――その下で違う出口を見付けたいのですが、現状は逆向きの話ばかりが見えてしまう。近未来の新しいビジョンを描きたいのに、2極化、軍拡競争、原発、武器商人です。最新のオックスファム報告ではコロナの2年間で新たに1億6000万人を超える人々が極貧に追い込まれ、反対に、上位10人の資産家が地球上の資産の半分以上を持ちながら、富裕層には税金を払っていない人も何人もいるとのこと。経済も社会も壊れているとしか言いようがありません。

20年前になりますが、2002年のサッカー・ワールドカップが日韓共催でした。当時はまだ近くて遠いと言われていた韓国との共同開催で、私もサッカー少年だったこともあり、スペース・オルタのすぐそばに決戦会場にもなった横浜スタジアムが新設されるので、市民外交の好機ととらえ、横浜キャンプ村の設立を仲間を集い提唱しました。

2年前から準備会議を立ち上げ、横浜市に企画書を出したのですが、認められなかった。酒に酔った大男たちが問題を起こすという否定的なイメージが独り歩きし、地域住民からも必ずしも受け入れられませんでした。

それでも、民際外交をできるところでやりました。第3世界の子どもたちにはサッカーボールがないので、国内で余っているサッカーボールを送る企画もやりました。「ワンボール、ワンルール」です。一つのボールと一つのルールがあれば人々は交流し、生活の中でサッカーを楽しむことができます。

バカ高い日本の宿泊事情で難儀するだろうと、世界のサッカーファンのことを考えてのキャンプ村だったので、ホームステイネットワークを作りました。急遽つくったので、10人ほどの利用にとどまりましたが、家に迎え入れてくれた方々の中には、その後、家族ぐるみで交流を続けた方もいます。

また、何日か新横浜の公園を借り切って、自由にサッカーで遊べる場所も作りました。その横には前述の民映研の姫田さんの知己を頼り、福井県から越前和紙の紙漉職人に来ていただき、海外からのサッカーファンが自分で紙漉をして作った和紙のハガキで故国の家族にメッセージを出してもらうというコーナーも作りました。NHKの番組でも市民の取り組みとして紹介されました。

国際的スポーツイベントは、サッカーW杯もオリンピックも、多国籍企業が乗り込んできて荒稼ぎし、開催地の自治体は巨大施設を抱え赤字になるパターンが多いのです。途中で法外な利益をむさぼる連中が必ずいて、1998年長野冬季五輪でも疑惑が持ち上がり、東京オリンピック2022は炎上の最中です。

多国籍企業による収奪とは異なる文化イベントを市民の側で作り出す必要があります。生活文化の多様性と豊かさが、巨大マーケットによってスポイルされそうな時、それにどうやって反撃できるかを考えてきました。

――世界と違って、日本では現状変革を求める運動のイメージが悪化しています。政府もメディアも一体となって改革つぶしに走る。

佐藤――自分たちは何かができるという感覚を持てずにいる人が日本には多い。韓国のキャンドルデモ一つ見ても、日本ではなかなかあの規模では成り立たない。世界と連帯しようと思っても、島国的風土が邪魔をしてきたところがあります。

もちろん、諦めたわけではありません。まだまだできることはたくさんあるはずです。

福島原発かながわ訴訟でも、支援者・原告団・弁護団が三身一体となって、一緒に悩み、苦しみながら常に仕掛けを作って、新しい取り組みを心がけていきます。

新しい科学技術とそのシステムが編み出す新しいマーケットが私たちの生活文化を変えています。その変化の中で変えてはならぬものと変えてるべきものの峻別を、生活文化の基層から考えていく必要を深く感じています。そして、全国各地で挫折を繰り返しながらも、その問題感覚を武器に等身大の闘いを続けている人たちがいることも確かです。

 

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前田朗 前田朗

(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。

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