安倍国葬に法的根拠は絶対にない、「国葬令」はなぜ廃止されたか
政治岸田文雄首相は7月22日、同8日に亡くなった安倍晋三元首相の国葬を9月27日に行なうことを閣議決定した。その理由を、岸田首相は7月14日の記者会見で、「卓越したリーダーシップと実行力でわが国のために首相の重責を担った」と説明した。
この安倍国葬について、二つの市民団体から予算執行差し止めの仮処分が提訴された。
しかし、7月16日に提訴した「権力犯罪を監視する実行委員会」に対し、東京地裁は8月2日に却下。それを受け同実行委員会は、8月10日に東京高裁に即時抗告している。さらに、仮処分請求を却下した東京地裁の裁判官3名を、同月16日、裁判官訴追委員会に訴追請求した。
「安倍元首相の国葬を許さない会」も8月9日、国を相手に、国葬の差し止めを求める裁判を東京地裁に起こし、同時に差し止めの仮処分も申し立てた。
・「国葬令」における要件
1926(大正15)年に制定された国葬令は、嘉仁(大正)天皇が死亡した場合を想定し、国葬を実施するために用意されたものである。天皇や皇后、さらには天皇一族だけではなく、民間人も対象としていた。
その第3条第1項は、「國家ニ偉勳アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ」と規定し、国家に特別に立派な業績があった者を国葬にすることもあるとしていた。
ここでの要件である「偉勳アル者」という用語には一定の定義がある。
爵位の基準を定めていた華族叙爵内規では最高の爵位である公爵について「公爵ハ親王諸王ヨリ臣位ニ列セラルル者旧摂家徳川宗家国家ニ偉功アル者」と定められ、その他の侯爵・伯爵・子爵および男爵に叙せられる民間人については「国家ニ勳功アル者」としていた。
国語大字典(小学館・七訂新装版)では、「偉勲」とは「すぐれたるいさをし」。「勲(勳)」とは「王事に功ある」である。それに対し、「偉功」 とは「すぐれたるてがら。大功」である。ここから明らかなように、「偉勲」は、「偉功」よりも天皇一族(国家)に対する手柄が優れていなければならない。
したがって、国葬令第3条第1項の国葬対象者の要件である「國家ニ偉勳アル者」とは、国に対して優れた業績を果たしただけでは足りず、「王事に功ある」ことが必要であった。
そのうえで、国葬令が1947年12月31日に失効するまでの間に対象とされた者は、次のとおりである。
・1927年2月7日 大正天皇
・1934年6月5日 東郷平八郎 元帥 海軍大将
・1940年12月5日 西園寺公望 公爵 内閣総理大臣
・1943年6月5日 山本五十六 元帥 海軍大将 連合艦隊司令長官
・1945年6月18日 閑院宮戴仁親王 元帥 陸軍大将 参謀総長
このうち民間人は、東郷・西園寺・山本の3人である。彼らがなぜ「国家ニ偉勳アル者」とされたのかについては不明であるものの、西園寺についてはすでに公爵に列せられていた。
・国葬令が失効した経緯
この国葬令は、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律第72号、同年4月18日公布、5月3日施行)第一条の規定により、1947年12月31日に失効した。
その第1条は、次のように規定している。
〈日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和22年12月31日まで、法律と同一の効力を有するものとする〉。
これは、新憲法施行後も年末までは暫定的に(勅令などの名義のまま)法律としての効力を認めておき、必要であれば早期に新たな法律として立案することで、国会のチェックを経た立法とすべきことを促すものであった。
この法案を審議した第92回帝国議会衆議院本会議(1947年3月19日)で、入江俊郎法制局長官は、命令の効力が12月31日までであることについて、
「政府はその時期までに、速やかにこれに代るべき法律案を準備いたしまして、国会の議決を経て法律に改めることといたしたいと考えております。もちろんこれらの命令の規定も、日本国憲法施行前におきまして十分検討の上、不必要と考えられますものはこれを廃止し、不適当と考えられまするものは、これを改正いたしまして、日本国憲法施行の際には、真に存続を必要とするもののみを残す考えでおります」と、提案理由を説明した。
法案を審議した委員会(3月20日)では、入江長官が、日本国憲法施行に際し、将来に存続させる必要がないとする法律を列挙。とくに貴族や士族の特権を定めた法律について、
「これらは王公族に対して、一般国民とは特別の権利義務を認める法律でありますので、新憲法に照しましてこれを存続せしめることができませんので、これを廃止することにいたしました」「士族制度は別段法律上特権を伴うものではありませんが、階級の別を示す呼称を存続せしめることは、新憲法の精神にそわないものと考えまして、これを廃止することといたしたのであります」と説明している。
この法律案は、3月24日の委員会で、全員賛成で可決され、29日開催の本会議で可決、貴族院に送付した。貴族院でも、委員会や本会議でこの点についての審議は何もなく、可決・成立した。
ここでわかることは、新憲法に合致しない法律について、政府で十分に審議したうえで、その廃止が決定されたということだ。そして、継続すべきものについては国会に諮られた。
国葬令も、内容的に天皇一族や貴族・士族を対象としているので、本来ならば、廃止法令に組み込まれてもよかったはずだが、年末までの効力を認められ、審議に移されている。
審議は戦後の第1回国会で行なわれた。そのために政府は、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律の一部改正案」を国会に提出した。
12月4日に開催された参議院司法委員会で、佐藤達夫法制局長官はこう述べた。
「現行法の第1条によりますと、新憲法によって法律で決めなければならん事項を定めてあります命令は、本年末までに法律化の措置を執りません限り失効してしまうのであります。従いまして政府におきましては、それらの中の存続を要するものにつきましては、本年の夏以来これが法律化の準備に万般の努力を傾けまして、すでに今期国会において成立したものもありまするし、あるいは現に御審議を願っているものも相当件数に上っているのであります。
なお種々の関係上甚だ遺憾ではありまするが、今期国会に提出の運びに至り兼ねるものもできて参ったのであります。よってこれらの残余の命令につきましては、止むを得ざる措置といたしまして、ここにその件名をずっと列挙いたしまして、これらのものは昭和23年5月2日までの間暫定的に法律として扱うことにいたしました。来年5月2日までには、本格的な法律の形にこれを整備して行こうというふうに考えた次第でございます。本案第1条の2には、これを規定せんとするものであります」。
継続か廃止か結論が出ないものについては、1948年5月2日まで効力を延長するということだ。
そして、この中に国葬令は入っていなかった。すなわち、国葬令は新憲法に合致しないと、国会で明言されたことになる。こうして、継続する法律に含まれなかった国葬令は12月31日に失効した。
国葬令は対象となる者を、天皇一族、貴族および士族に限定し、一般人については、特に天皇制国家に重要な功績があった者に限定していた。これは、天皇主権を認めた大日本大国憲法下では有効であったかもしれないが、天皇を国民の象徴としてのみ扱い、「主権は国民に存する」ことを明言している現行憲法には、絶対に合致しないものだから、廃止されて当然であった。
「ブッ飛ばせ!共謀罪」百人委員会代表。救援連絡センター代表。法学者。関東学院大学名誉教授。専攻は近代刑法成立史。