原爆・原発・統一教会 ~天網恢々、疎にして漏らさず!~
政治
記された戒(いまし)めである。ざっくり言えば、次のような意味だ――「天(の唯一神)が地に張りめぐらした“網”は、大きく、ゆったりしていて、目が粗いように思えるけれども、しかし決してこの“天の網”は悪を“目こぼし”することはなく、かならず搦(から)め捕る。つまり悪事を行なって一時的に“逃げおおせた”と思えたとしても、最終的には必ず天罰に遭(あ)うのだぞ!」。
本稿を書くにあたって、私はこの『老子』の格言を深く思わずには居られなかった。古代中国・春秋時代の哲学者・老子(BC571?~471?年)は今から2500年前に活躍したと伝えられる伝説の存在である。
日本の記紀15代くらいまでの“初期”の「天皇」や「聖徳太子」と同様、老子の存在そのものだって単なる虚構、神話、伝説かもしれないが、彼が遺(のこ)したとされる“言葉”は2500年の時代を超越して今も生きている。その言葉の意味は重いのだ。
安倍晋三の「暗殺」をどう解釈するかは、人さまざまであろう。当然「自業自得」が招いた「天罰」だと見る人もいるだろう。ここでは敢(あ)えてそれを論じることはしない。しかし私が安倍「客死(かくし)」の以前から強く感じていたのは、忌まわしい“天兆”が相次いで起きていたことである。
この島国に“政事(まつりごと)”が発生して以来、明治維新でインチキな「王政復古」の喜劇が幕開けするまで、政府が重大な仕事としていつの時代も力を入れてきたのは、天変地異の兆候をこまかく観測して、記録に残す作業なのであった。
新型コロナ感染症の、押しては返す“津波”的な感染爆発に加えて、破滅的な洪水や干害や台風などが日本列島を次々と襲い、さらには正体不明の怪しい“流れ星”がたびたび不気味に天を照(て)らしていた昨今、これが天命を畏(おそ)れる賢帝の時代であれば、大いに綱紀を粛正して政治腐敗を改め、人民の声に耳を傾けていたのであろうが、腐敗しきった自民公明政権は、権力者が“内輪”の悪友(オトモダチ)どうしで血税を輪姦(まわ)し、日本支配を夢見る韓国邪教“統一教会”の走狗となって日本の政治を蹂躙(じゅうりん)してきた。
近年の“天の兆(きざ)し”をみれば、自民党の腐敗勢力に「天罰」が下ったのは当然の帰結だと感じざるを得ない。
全国各地の有名神社の鳥居や神殿が、台風や落雷に直撃されて、次々と破壊されるという惨害が続いている。まっとうな感性の神職なら、これに「神意(しんい)」を感じ取って当然であろうし、感受すべきであろう。そして統一教会のロボットとして動いてきた自民党の“魂の抜け殻(ゾンビ)”ども――いわば“霊的侵略者”――に対して、命がけで戦いを挑むべきであった。
「明治維新」が起こるまでの日本の歴史には、そうした庶民の鋭い感受性と、敬虔(けいけん)な心性が記録されているが、巫山戯(フザケ)た「王政復古」喜劇によって、日本人のそうした心性・霊性は腐りはてたのであろう。
その成れの果てが7月8日に奈良の駅前で展開した「アベ劇場」――昭和ふうに言えば「アベノスキャンダル」――の、「ダヴィデとゴリアテの戦い」を思わせる顛末(てんまつ)だったのである。
売国奴が日本の古都・奈良で、衆目環視のなかで「罰」を喰(く)らって息果てたのは象徴的だった。
もうひとつの「天網恢々」は、この原稿を書き始めた8月11日の未明に起きた。北海道の北部は、地震が起きない日本有数の盤石(ばんじゃく)な地層である、という“前宣伝(ふれコミ)”で、幌延町が、高レベル放射性廃棄物の「地層処分」場の候補地と目されて、地層処分の研究センターが建造され、いま稼働している。
ところが幌延街とその周辺が「地質盤石」だという迷信は、もはや賞味期限が切れたようだ。すくなくとも2011年「3.11」大震災以来の日本の「冥土(めいど)」、地下世界(アングラ)ニッポンでは、そういう平穏はスッ飛んでしまった。
「8.11」未明から続いた道北地方の大地震の連発は、幌延地域が、高レベル廃棄物の地層処分を試みるには“日本で一番危険な場所”であることを、誰の目にもハッキリわかるかたちで“実証”したのだ。気象庁などの専門家にいわせると、北海道の北部、幌延町とその周辺は、北米プレートと太平洋プレートが激突してせめぎ合う「地震の巣」なのだという。
おかげで幌延町や隣接する(今回の震度5強の地震の震源地である)中川町の地下の、さほど深くない地殻には逆断層が生じて、それで一段と破壊的な地震が生じている……とのこと。そんな場所に地層処分の研究センターをつくるなんて、馬鹿なヒマ人どもである。
地下施設がどういうふうに崩壊するのか、じっくりと観察するつもりの物好きの集まりだとしか、もはや言えない。ついでだから、それらの研究者の地下「大深度」集合住宅も、幌延の地層処分研究センターに隣接して作ればいいのだ。
腐食する鉄筋コンクリートの地下坑道のなかで人間がどうサバイバルするのか、生態観察すれば、『タワーリング・インフェルノ』よりも面白い映画くらいは作れるさ……。
原子力産業そのものが、産官学の狂信(カルト)宗教になっているので、道北の幌延周辺とか、岐阜の山の中とかに「地層処分場」を作る、という狂信的な思惑は、自発的には止まるまい。それを止めるものがあり得るとすれば、日本の場合は唯一「天罰」だけであろう。
しかしこの「天罰」は大地震とか大風水害とか大疫病とかの、人知が及ばぬ自然災害だけにとどまるものではない。中国の場合は、「天子」たる君主が、「天」の意図に背いて悪政を続けていれば、人心が荒廃して「革命」が起き、政権が転覆して、それまでの王朝とは「姓」(=血統)が異なる新たな王へと「姓」が易(か)わり(=易姓革命)、「天命」が交替するのである。
この「易姓革命(えきせいかくめい)」という政治思想は、中国に王権が発生して以来、中国共産党が“王権”を牛耳(ぎゅうじ)っている今日もなお“生命力”を保っている。しかしこの「王権神授説」は、日本に輸入したときに大きく書き変えられた。
中国の場合は、どこの“馬の骨”ともわからぬ英雄的な覇者(はしゃ)が“天下”を獲(と)って「王」を名乗ってきた。いわば「天の神」とは血縁のないシロウトが、「天の神」に認証されて「王」に就いた。しかし日本の場合は、記紀物語の“官製神話”によって、天皇が「天の神」の子孫だという「血縁関係」が創作された。
とはいえ、この「神話」とは無関係に、明治維新以降の日本においても「易姓革命」が発生する余地は十分にある。昭和天皇は自(みづか)らの「神格」を否定したが、天皇が「神の子孫」であろうがなかろうが、“行政(まつりごと)の主宰者”である内閣総理大臣は、天皇が任命する。
その総理大臣が、仮に天皇に対する越権行為を働き、あるいは外国製のカルト宗教にカマけて“日本古来の霊性”を汚(けが)すような罪を働けば、やはり「天の仕組み」が動いて「天罰」を喰(く)らい「易姓革命」が起きるであろう。
原爆・原発・統一教会
教祖・文鮮明が死んで“家督(かとく)争い”が起き、いくつかのセクトに分裂した統一教会は、日本では近年、その主流派が「世界平和統一家庭連合」を名乗っているけれども、数多(あまた)の宗教的偽装団体で自(みづか)らを粉飾して、過去と同じ活動をしている以上、「旧・統一教会」ではなく、今もあいかわらず「統一教会」と呼ぶのが適切であろう。
韓国では「プチ整形」手術で外貌をごまかす、という虚飾が、国民の日常的な生活文化に定着しているが――いまだに儒教を社会規範の土台にしているくせに、この浅薄な「プチ整形」文化の定着はまことに奇態(けったい)なのだけれども――犯罪的な活動を世界規模で展開してきた宗教団体が、名前を「プチ整形」すれば世間の目をごまかせると平然と考えている、その社会をナメ腐った態度自体が、すでに罰当たりである。名前をゴマかして人を騙したりしないで、“十字架”を背負えよ、統一教会の指導者ども!
筑波大学で喧嘩を学び、新聞記者や雑誌編集者を経て翻訳・ジャーナリズムに携わる。著書『もうひとつの憲法読本―新たな自由民権のために』等多数。