原爆・原発・統一教会 ~天網恢々、疎にして漏らさず!~
政治さて、統一教会は、韓国や日本や米国の政財界に浸透して、多大な影響力を行使してきた。その意味では統一教会は「ディープステイト(=影の政府)」と呼ぶにふさわしい。
幸か不幸か、私は、統一教会・原理研・国際勝共連合が大学の運営を事実上牛耳(ぎゅうじ)っていた開学当初の筑波大学で、学生生活を過ごした。筑波大学は、60~70年全国大学闘争に懲りた自民党が音頭を取って、民主化運動と反戦運動の牙城であった東京教育大学を強引に潰して、人里はなれた北関東は筑波山麓(さんろく)の原野に押っ立てた「新構想大学」だった。
なにが「新構想」かというと、まず世界的にも歴史的にも「大学」という知識伝承機関の中核を成してきた「教授会」と「学生自治会」が廃絶された。
そして19世紀に後進国ドイツを「世界に冠たるドイツ帝国」に押し上げた原動力であるドイツ流の教養主義的な大学教育を棄(す)てて、アメリカ合衆国が対日・対独戦争のなかで増長発展させた“政府と軍による科学技術動員”方式、軍産複合体による「産学協同研究」体制へと、大学教育のスタイルを根本から変えてしまった。
東京教育大学を潰(つぶ)して、廃墟(はいきょ)に残った教授連中を北関東に集団移転して新構想「筑波大学」で使い潰(つぶ)す、というアウシュヴィッツ強制収容所の学者版みたいなことを政策として断行したのは、岸信介の実弟で当時の首相だった佐藤栄作の、自民党政権である。
「左翼の牙城」のように言われていた東京教育大学とて、一枚岩ではなかった。特に歴史学や言語学などの“文化系”は筑波移転反対闘争の牙城であったが(たとえば日本史学の家永三郎教授の闘いはよく知られているし、西洋史学の学徒でのちに名作『ベルサイユのばら』を描いた池田理代子さんも移転反対闘争を精力的に闘った)、物理学や化学などの“理系”は筑波移転の推進派で、特に戦時中に理化学研究所の仁科研究室で原爆開発研究に従事していた福田信之(ふくだ・のぶゆき)や宮島龍興(みやじま・たつおき)などの原子物理学者は――いずれも私の在学中に筑波大学の「学長」になって統一教会や国際勝共連合の筑波大学への浸透に尽力し、教授自治や学生自治の運動を弾圧して強権を振るった“暴君”なのであるが――
“筑波移転派”の急先鋒だった。なぜ“理系”の学者が、東京教育大を“廃学”して筑波に「新構想大学」を創設することにそれほど熱中したのか?
それは日本を滅ぼした原爆製造「マンハッタン計画」の“遺産(レガシー)”にすっかりシビレていたからだ。
原爆開発体制(=原発誘致とウラン濃縮研究体制)を確立させた中曽根康弘は、総理大臣だった1980年代には「風見鶏」だと揶揄(やゆ)されたものだが、その伝で行けば福田信之は、風に吹かれて無定見に増長する「ヘビ花火」のような男だった。
戦時中の彼は、理研で原爆開発に従事していたが、アメリカに先を越されて日本が降参するや、占領軍(GHQ)の「民主主義」振興政策に迎合して、日本共産党系の「民主主義科学者協会」(略称「民科」、1946年1月12日創立)に加入して、“青年科学者”として左翼運動に身を捧げた。ところが数年も経たぬうちに“冷戦”が起きてGHQは日本を反動「逆コース」へと誘導した。
1949年8月にソ連が原爆実験を成功させて、10月には中華人民共和国が成立。翌50年6月には朝鮮戦争を起きて、日本は東アジアの最重要“兵站(へいたん)基地”に一変した。
1953年には米国アイゼンハワー大統領が国連演説で「平和のための原子力(アトムズ・フォア・ピース)」政策――すなわち「反共産主義」同盟諸国への原子エネルギーの利用供与の開放――を唱え、翌54年3月には米国がビキニ環礁で水爆実験を強行して付近の島々の住民や、操業中の世界各地の漁船が“死の灰”(核分裂生成降下物)を浴びて放射線被曝し、マグロ漁船「第五福竜丸」での操業中に被曝した乗組員は“原子病”で死亡し、「世界初の水爆の犠牲者」となった。
こうして原水爆が“冷戦”の最重大案件となるや、米国は「反共産主義」同盟国を、原爆の魅力で糾合(きゅうごう)しようとした。福田信之ら、血気盛んな原子物理学者は、米国政府の接待で、マンハッタン計画の原爆開発拠点を見学して大いに感動したようだ。
なにしろそこは高学歴の学者が何万人も何千人も住んでいて、世間の政治的喧噪とは無縁の場所で、好きなだけ予算を使って思う存分に「研究」三昧の生活ができる……。
終戦直後の“敗戦ニッポン”の浮浪児たちは進駐軍に「ギブミー!チョコッリート!」と懐(なつ)いて飢えを満たしたわけだが、“敗戦ニッポン”の物理学者たちも同胞(どうほう)を“地獄の業火”で焼き尽くした原爆の副産物だった“秘密学園都市”にシビれてしまったのだ。
こうして筑波の原野に、ゼロから“研究学園都市”を造る、という構想が(東京への人口一極集中への緩和“分散遷都”計画の一環という性格づけも行なわれて)急浮上したが、政府が当初、「筑波研究学園都市」のモデルにしていたのは、ニューメキシコ州の砂漠に建てた秘密研究都市「ロスアラモス」や、ソ連がシベリアに建設した軍事研究都市「アカデム・ゴロドーク」だったのだ。
マンハッタン計画以来、物理学や化学は「紙と鉛筆」で計算する学問営為というよりも、巨大な実験設備を駆動させなきゃ答えの出しようがない“ビッグサイエンス”に変貌してしまったので、福田信之や宮島龍興のような戦後“若手”物理学者は、自(みづか)ら「めがね姿に出っ歯のリトルボーイやファットマン」となって世渡りをしようと考えたわけだ。
「北関東のゴビ砂漠」などと揶揄(やゆ)された筑波山麓のだだっ広(ぴろ)い「研究学園都市」は、お日様を直視できないような悪党どもが跋扈(ばっこ)するには格好の“ヤミ世界”であった。「アトムズ・フォア・ピース」と同時期に、日本を代表するヤミ世界のフィクサーだった児玉誉士夫と笹川良一の支援を受け、岸信介の庇護を受けながら日本に侵入してきた統一教会の、増殖の温床として、娑婆の監視がとどかない「新構想大学」はまことに好都合だった。
筑波大学は73年10月に開学したが、その直後に第四次中東戦争が起きて日本は「オイルショック」に襲われ、田中角栄の「日本列島改造論」は“物理的”に破綻(はたん)した。
74年4月に第1期の学生が入学したが、その歓迎行事で、統一教会の“ドル箱”興業部隊である少女舞踏団「リトル・エンジェルズ」の踊りが披露されていたし、体育の選択教科には「ライフル射撃」があり、そのライフル銃は、統一教会が韓国で製造したものを、統一教会系の貿易商社が日本に持ち込んだものだった。
(統一教会の日本への銃器の組織的な持ち込みについては、当時、国会でも問題になったが、通産省は「認可ずみのライフル銃なので何ら問題ない」と太鼓判を押していた。名目上「合法的」に統一教会の信者にむけて配備されたライフルなどの銃器は、統一教会を影で支援していた児玉誉士夫や笹川良一の系列の任侠右翼団体などにも普及拡散していた可能性は否定できない)。
私は1977年に第4期生として入学したが、78年秋の茨城県議会議員選挙で数百名の学生が集団買収されるという不祥事が起きたのが契機となり、筑波大学では俄(にわ)かに「学生の非政治的(ノンポリ)ことなかれ主義」を自己否定して、学生生活の自主運営・自主管理を求める「民主化運動」が勃興(ぼっこう)した。
その疾風怒濤に巻き込まれるかたちで、私も急進化したが、79年の6月、中間試験の準備勉強中に統一教会の学生たちに深夜、襲撃されて、全治数週間の傷を負った。これで私の学生生活は粉砕されて、大学との「闘い」に身を捧げることになったわけだが、思い返せば統一教会の集団テロリズムが、私の人生を変えたのである。
政治的には、79年3月28日の米国スリーマイル島原発事故で、自分のなかにあった「原発=先端技術=安全」神話が粉々に崩れて、学生処分を覚悟しながら、筑波大学で最初の「反原発」運動を始めた。
当時は――いや迂闊(うかつ)にも今年2月の“ロシア・ウクライナ戦争”が始まって東欧やウクライナに根付いてきたファシストや国際反共運動のネットワークに着目するまで――私は、統一教会と原爆との関係は意識してこなかった。
しかし国際政治の歴史的展開としては、「原発」よりも先に「原爆」があり、ソ連と中華人民共和国の核兵器の脅威と、どの国よりも深刻に直面していた「韓国」と「台湾」は、いずれも原爆を独自開発するために秘密研究を行なっていた。
その韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)独裁政権と、台湾の蒋介石・蒋経国(父子)の独裁政権こそ、統一教会を利用して米国共和党政府との“ヤミのパイプ”を築いたわけだし、“敗戦国ニッポン”は、“第三国”の台湾や韓国ほどには「フリーハンド」で核兵器秘密研究を行なう余地など到底なかったにせよ、CIAやアイゼンハワー政権を利用して“日本列島と朝鮮半島をひとつに結ぶマイクロ波謀略通信網”を築こうと画策した読売新聞社主・正力松太郎や、中曽根康弘や、岸信介に始まり、佐藤栄作や、その後の(アベ晋三とその周辺人脈にまで延々と連なる)「独自核武装」陰謀勢力を、統一教会との共存共栄関係を維持しながら、ひそかに勢い付けてきたわけである。
ここで厄介なのは、統一教会は“単なる新興宗教”ではなく、洗脳をうけて献身的に行動する“ゾンビ”軍団を抱えた政治的カルト集団だということ。
そしてその教義と実践は、単なる「布教」の域を超えて国際的な政治支配や、テロリズム支援推進活動に及んでいること。……つまり我々は、日本の政界が(いや少なくとも米国の政界も)統一教会に地方末端まで汚染されている現実に直面しながら、核武装やテロリズムの実行支援勢力としての統一教会の暗躍に注目せざるをえないのである。
我々が統一教会を追い詰める「天網恢々」を編んで行かねばならない。「粗にして漏らす」ものか!
その意味では岸田「統一教会」汚染政権がかってに決めたアベ晋三の「国葬」は、日本全体がカルト集団に零落する決定的な分岐点となる。
国政(まつりごと) 枉(ま)げた亡頼(ぶらい)の
お弔(とぶら)い
九・二七(キュウ・ニイ・ナナ)は売国記念日
【参考資料】
①『インサイド・ザ・リーグ:世界をおおうテロ・ネットワーク』 (ジョン・リー・アンダーソン&スコット・アンダーソン著、山川暁夫監修・近藤和子訳、社会思想社、1987年)
②『日本・韓国・台湾は「核」をもつのか?』(マーク・フィッツパトリック著、秋山勝訳、草思社、2016年)
③『原発と原爆:「日・米・英」核武装の暗闘』 (有馬哲夫著、秋山勝訳、文春新書、2012年)
④【リニアと原発と日韓トンネル】の背後に【統一教会】(https://www.nicovideo.jp/watch/sm29324042)
(雑誌「季節」2022年秋号より)
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筑波大学で喧嘩を学び、新聞記者や雑誌編集者を経て翻訳・ジャーナリズムに携わる。著書『もうひとつの憲法読本―新たな自由民権のために』等多数。