第50回 都立大の女子学生が再び登場、病んでいる司法に喝を!
メディア批評&事件検証今年4月から始まったISF独立言論フォーラムの梶山天副編集長の連載「絶望裁判 今市事件」が50回を記録した。意外と読まれていると実感する。なかでも裁判官を目指して法律学を学ぶ東京都立大学法学部2年の女子学生(19)の、連載を読んでの感想文を掲載した「第33回 私の夢を壊さないで!法律学を学ぶ女子大生の怒り」には多大なる反響があった。
それを見た若者たちがネットで意見を出し合う。国民の生活や政治、司法などを語り合う。そうやって病んだ社会を変える原動力になっていく。とても良いこことだと思う。
その感想文を書いた彼女は今、大学で刑事訴訟法を学び、今市事件の一連の裁判を「活きた教材」として大学教授や記者である私たちに話を聞いたりしている日々が続いている。その彼女からもう一度投稿にチャレンジしたいとの連絡を頂いた。
一読して胸が熱くなったので、ここで紹介したいと思う。読者の皆さんには、まだあどけない女子学生が日本の司法へ向けて反駁する姿に着目してもらいたい。
【東京都立大学法学部2年の女子学生による判例研究】
前回、梶山さんの連載について送った感想を記事に載せていただき、皆様から反響をいただいたことや勝又拓哉さんのお母様が実際に読んでくださったことを知りました。そんなことになるとは思わず驚きました。自分のこうした行動で少しでも冤罪で投獄されている勝又さんの無実を訴える助けになれるかもしれないと希望を抱きました。
私自身大学で刑事訴訟法の授業を受け始めたことで、控訴審の行動の明らかなおかしさが痛いほどに実感されてきたこともあり、今回、改めて今市事件の裁判について勉強して意見文を書いてみました。
今回は、今市事件の控訴審において大幅な予備的訴因変更がなされたことと、訴因変更後に破棄自判(注:被告が一審判決を不服として控訴審に控訴。控訴審が被告の申し立てが理由あるものとして原審である一審に差し戻しをせずに現判決を破棄。控訴審自らが新たに判決を出すこと)がなされたことの是非を問題にしたいと思います。
今市事件控訴審での予備的訴因変更は、大幅に殺害場所・日時を拡大するもので、一般的に言っても反証が難しくなる、被告にとって不利なものというだけではなく、自白内容とのずれをもみ消すように内包してしまうものでもあり、その恣意性はあきらかと言わざるを得ません。
また、破棄自判の判断は、規定上直ちに違法というものではありませんが、大幅な訴因変更により審理内容が一審とは、ほとんど別物になったにもかかわらず差し戻さないということは、裁判員の存在を無視することと同じです。まずありえないと思いました。
さらに、一審で不自然にも重視されなかった証拠の存在を鑑みると、それらが十分に審理される前に無期懲役を確定させてしまおうという意思が働いているように思えてしまうのです。
ここから、まず訴因変更の刑事手続きについて詳しく検討していきます。
刑事訴訟法第256条3項には、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」という規定があり、その趣旨は裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものと判例では解されています。
本件訴因変更はひどく広範囲で明示されているとは到底言えないため、256条後段の「できる限り」の範囲の広さに拠って正当性を維持していると考えられます。そして私はここに問題があると考えます。なぜなら、「できる限り」は「できなかったらそれでいい」規定では当然ないからです。
「できる限り」というのは、犯罪の種類、性質などの如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合にはその限りではないという強度条件として解されています。
具体的には、最大判昭和37年11月28日の白山丸事件の判例があります。
この事件で最高裁は、「犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法(刑訴法256条)の目的を害さない限りの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない」との見方を出しています。
「前記法(刑訴法256条)の目的を害さない限りの幅のある表示」について見れば、特殊事情があったとしても訴因の具体性を欠くことが許容されるには刑訴法256条の目的を害さない限りの幅の表示でなくてはならないのであって、特殊事情の有無にかかわらず256条の目的が優先されると解されていることが分かります。
そしてその目的とは、白丸山事件の判決で「たとえその出国の日時、場所及び方法を詳しく具体的に表示しなくても、本件公訴が裁判所に対し審判を求めようとする対象は、おのずから明らかであり、X(被告人)の防禦の範囲もおのずから限定されているというべきであるから、Xの防禦に実質的の障碍を与える恐れはない」としていることからも、被告人の防禦の不当な妨害を防ぐことであることは明らかです。
つまり、特殊事情の有無にかかわりなく、具体性を欠いた訴因はそれが被告人の防禦の不利益になる限り認められてはならないのです。
ここで今市事件に戻って検討すると、勝又さんの自白で語られた内容と一審の訴因で指定されていた殺害日時の齟齬は、一審では不自然なことに重要視されなかったものの、控訴審で正しく議論されれば勝又さんの無罪を立証する証拠、そこまでいかなくても無罪を肯定する心証を形作るものとして重要な要素だったはずです。
それが大幅に広げられてしまうと、自白と元の訴因日時との齟齬が内包されて消滅してしまい、勝又さんの防禦の手立てが大きく一つ失われてしまうことになります。これは明らかに具体性を欠いた訴因変更による被告人の防禦の妨害であり、刑訴法256条違反です。
そしてこの訴因変更が被告の不利になることは、当然裁判所はわかっていたはずなのです。なぜ変更の許可を出したのか。もっと言うなら、なぜ訴因変更を検察にそそのかすような言動をとったのか。
裁判所は絶対中立のアンパイアでなければならないはずです。こうも明らかに検察側の肩を持つような行動をとるのは、なぜなのですか? 本人を目の前にしてこう問い詰めたくなります。腹立たしく、悔しく、もどかしい思いです。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。