天然ガス大国ロシアの長期戦略:ロシアの「キャンセル」は不可能だ〈下〉長期的展望
国際・明るい水素の未来
『エクスペルト』[https://expert.ru/expert/2022/43/udlinit-tsepochku/]によると、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)は、2050年までに世界で年間6億1400万トンの水素を製造する必要があり、そのうち3分の2がグリーン水素、2億500万トンがブルー水素になると試算している。
同年に世界で生産される水素の約4分の1が国際取引され、そのうち1億トンがグリーン水素、5000万トンがブルー水素になるという。水素の半分は水素パイプラインで、残りはアンモニアとして海路で輸出される。
このような背景から、2021年8月5日の政令(http://static.government.ru/media/files/5JFns1CDAKqYKzZ0mnRADAw2NqcVsexl.pdf)で承認された「特別軍事作戦」以前に採用された「ロシア連邦における水素エネルギー開発のコンセプト」にある、「ロシア連邦から世界市場への水素輸出の可能性は、世界の低炭素経済の発展ペースと世界市場での水素需要の伸びに応じて、2024年に20万トン、2035年に200万~1200万トン、2050年に1500万~5000万トンになる可能性がある」との記述は決して過大なものではない。
世界の既存の水素供給量7000万〜7500万トンのうち70%以上が天然ガスによるものだ。ただし、この水素は二酸化炭素排出量が多い「グレー」なカテゴリーに属するものである。純粋な水素の世界市場は、電気分解による「グリーン」水素と、天然ガスから水蒸気改質法で製造し、その過程で回収したCO2を埋蔵する「ブルー」水素の両方で発展していくと思われる。
サウジアラムコ、シェル、エクイノール、カタールガスなどのガスメーカーは、すでにブルー水素への戦略的投資家としての役割を決定している。サウジアラムコは、2020年9月に世界で初めて「ブルー」アンモニアを生産し、日本へ出荷した。
ロシアのエネルギー省がブルー水素の輸出に冷淡な態度をとっているにもかかわらず、ロシアでは企業レベルでブルー水素に対する関心が着実に高まっていることがうかがえるという。
産業・商業省の「低炭素・カーボンフリー水素・アンモニア製造のためのロシアプロジェクト一覧」によると、33のパイロットプロジェクトがあり、そのうち27が「グリーン」な電解水素に関連するものであることがわかる。
ほかに、4つのブルー水素プロジェクトがあり、なかでもノヴァテク社のOb GHKプロジェクトは、年間220万トンのアンモニア生産量を見込んでおり、長期的には500万トンまで増加させる計画をもっている。
北極圏や極東におけるブルー水素・アンモニアプロジェクトは、「天然ガスの抽出-港湾エリアでの水蒸気改質-生産拠点での再圧入によるCO2排出の抑制-水素抽出-アンモニア生産-輸出用の海上輸送」という短い輸送チェーンが特徴となっている。
・アンモニアで輸送
いまでは、低炭素型水素の長距離輸送は解決可能な問題であるとみられるようになっている点も重要だ。比較的最近、ヨーロッパでは液化・圧縮した水素の輸入の可能性が議論されているが、ドイツの有力エネルギー企業の計画からすると、アンモニアの輸入が優先されているようにみえる。
たとえば、ドイツのエネルギー大手であるRWEとユニパー(Uniper)は、まさに低炭素なかたちでつくられたアンモニアを受け入れるターミナルの建設を計画している。
このターミナルでは、アンモニアから水素を分離し、水素パイプラインで輸送する。2030年には、ドイツの総消費量の約20%に相当する約60万トンの水素が、これらのターミナルから供給される予定であるという。
オラフ・ショルツ首相はカナダを訪問した際、LNGではなくアンモニアの輸入で合意した。つまり、大量の水素そのものを、海を渡って運ぶのではなく、より「便利な」誘導体(アンモニア、メタノールなど)として運ぶことが物流問題の解決策になるのだ。
ブルー水素から製造されるアンモニアは、世界的な水素市場の形成にもっとも適したツールであり、さらに将来的には通常のエネルギーキャリアとして利用することができる。
・肥料としてのアンモニア
いま、世界は天然ガスの価格高騰により、未曾有の窒素肥料危機に直面している。このため、ブルー水素は、肥料を作るための原料であるアンモニアというかたちで、先行き不透明な時期に追加で市場を見つけることができる。
2022年8月中旬までに、欧州の窒素肥料生産能力の70%が停止した。この結果、アンモニアは現在、世界の肥料市場が切実に必要としていることを背景にロシアのいう「非友好的な国々」の制裁対象から外されている。
ゆえに、温室効果ガスの排出量の少ないアンモニアの生産に石油・ガス会社が参入することで、ロシアからの輸出を阻む障壁が取り除かれる可能性がある。
天然ガスの価格高騰により、世界的に窒素肥料が不足している。そのため、ブルー水素は、アンモニアというかたちで追加的に製造され、その原料となる。ゆえに、「ブルー水素・アンモニア戦略」には明るい可能性があるのである。
ロシアには、従来バルト海の港を利用していたアンモニア専用の積み替えターミナルが一つもなく、トリアッティとオデーサを結ぶアンモニアパイプラインもウクライナ経由のものだけだった。
これは、2022年2月24日に停止したが、同年9月、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、捕虜と引き換えにのみ、ロシアのアンモニアをウクライナ経由で輸出することを支持すると発言している。
他方で、アンモニア・窒素肥料メーカーは、別の意味での物流難に見舞われ始めている。製品出荷のための運賃は、ロシアの港でのみ利用可能であった。また、傭船できる船舶の数も大幅に減少した。
貨物保険や取引に問題があった。だが、石油・ガス会社がアンモニア事業に参画することで、その潜在力を活かし、必要な港湾インフラ(サベッタ港など)やアンモニアトラック群を整備し、出荷体制を再構築することが可能になるとみられている。
アンモニアと液化石油ガス(LPG)は沸点が似ているため、同じ船で運ばれる。また、LNG船はアンモニアの輸送にも適しているという。つまり、LNG船を活用すれば、アンモニアを世界中に輸送できるのだ。
たとえば、インドは従来、アンモニアの輸入に頼っていた。世界最大のアンモニア生産国である中国はすでに輸入を開始している(2021年に80万トン)。
トラックを中心とした輸送手段の全面的な水素電池化計画に関連して、中国はとくにカーボンニュートラルな水素の輸入に関心を持っている。また、低公害水素の大量生産は、ロシアの肥料産業が今後必ず直面する問題、すなわち輸入国による国境炭素税の導入を解決するものでもある。
技術に注目すると、アンモニア合成と炭酸ガス注入の技術は、どちらも古くから成熟している。ただし、高い温室効果ガス回収率(95%以上)を達成するためには、最新の自己熱改質(ATR)技術、すなわち、供給される燃料の一部を酸化させ、得られた熱で残りの燃料の水蒸気改質を行うことにより、外部からの熱供給なしで改質する方式(内部熱供給式)が必要である。
つまり、課題は残されている。その意味で、ロシアによるウクライナ侵攻後、ユニパー(Uniper)がノヴァテクとの年間120万トンの「ブルー」アンモニア輸入契約を急遽取りやめたことは痛手と言えるだろう。
・新エネルギー戦略策定の延期
ロシア政府は、2050年までのロシアの新エネルギー戦略の策定を今秋から2023年半ばに延期した。ウクライナ戦争に伴うロシアへの制裁圧力、「シーラ・シベリア2」の契約、「ノルドストリーム」の操業可能性、大規模LNGの技術力を早期に確立する可能性など、多くの不確定要素が絡んでいるからだ。
ここで紹介したように、長期的にみると、欧米の制裁や規制の対象となっている天然ガス量は、ブルー水素の製造とその後の低排出ガスアンモニアへの変換に転用される可能性が十分にある。
そうなれば、たとえロシアが長期にわたって制裁を受けたとしても、ブルー水素製造やそれに基づくアンモニア製造によって安定した市場が保証されることも可能と予測できる。
アンモニアはパイプラインに縛られない移動可能な商品であり、適切なインフラのある港であれば、海上輸送で輸出することができる。ロシアを低排出ガスアンモニアの主要輸出国にすることは、世界の肥料市場の動揺を抑え、世界の食糧問題の解決に大きく貢献することにつながる。
こう考えると、天然ガスの欧州にいる買い手の多くをロシアが失ったとしても、それはロシアの「キャンセル」を意味しない。こうした長期的な視野にたった論考こそ、もっとも求められているのではないかと指摘しておきたい。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。