【連載】ベトナム便り(堀庸師)

第1回 ベトナムと彫刻、日本庭園

堀 庸師

私は彫刻家の堀庸師と申します。普段は抽象彫刻を作っていますが、具象彫刻もします。2007年にはバングラデシュ政府の依頼で、独立闘争を指導したジア大統領のモニュメント彫刻を造りました。コロナ以前は世界各地で彫刻シンポジウムというイベントが開催されていました。1-2ヶ月それぞれの作家が自身の作品を創り、少しばかりの報酬を受け、街角や公共機関などに作品を寄贈します。私は各国でシンポジウムに参加し、普段は生活の為に石屋などでアルバイトをしていました。建築、墓石、神社、公園、庭などで石に関することは何でもします。出身が石川県の金沢市ということもあり、金沢城公園の復元事業にも参加した経験があります。

最近は主にベトナムで仕事をしています。1995年に初めてベトナムを訪れ、行き来する中で、彫刻シンポジウムの開催などを行なってきました。国内外の作家を招いてたくさんの彫刻をベトナムに寄贈することが出来ました。彫刻の仕事を続けながら2015年に庭園の会社を立ち上げ、主に日本庭園を造園しています。

今、世界では日本文化への関心が高まり、多くの海外の人々が日本食や武道、茶道、禅などに親しんでいます。日本庭園も広く紹介されるようになり、街や富裕層の自宅などに造られ始めています。ベトナムでも日本庭園を造る事がステイタスとなり、茶や禅をたしなむ人達が増えてきました。日本では最近、多くの庭が壊され駐車場に造り変えられており、私も何度か庭の解体に従事しました。

若い人は日本庭園に関心がありません。また手入れなどの維持費が高いこともあり、敬遠されています。今は、一時値崩れした松や槇(マキ)の木もベトナム人のブローカーによって奪い合いになっており、ベトナムとベトナム経由で中国に輸出されています。ベトナムでは一本数百万円から数千万円の値がつき、どんどん取引されています。社会問題になった賄賂の取り締まりが厳しくなると、それに代わって松や槇の木を贈っています。

日本にいる皆様はあまり想像出来ないかもしれませんが、中国と同様にベトナムでも多くの富裕層や億万長者が生まれています。高級住宅街に住み高級外車を乗り回すセレブが沢山います。いわゆる成金でしょうか。日本では戦後の混乱期からバブル期に出現し、今ではあまり聞かない言葉になりました。

私は現在、海の桂林と言われるベトナム北部ハロン湾に面したカムファ市に来ています。そこでベトナムの巨大財閥グループの一つから高級住宅地の庭の造園を請け負っています。この街は戦前から日本にも無煙炭として輸出された有名なホンゲイ炭を産し、世界各国に輸出してきました。私は20数年前、彫刻の材料にと黒いダイヤを買い求めるためにここを訪れました。その時は黒い石炭のススで街中真っ黒でした。

今では石炭もほぼ掘り尽くされ、ハロン湾も世界遺産になった事から、街はすっかり綺麗になり、観光都市に生まれ変わろうとしています。道も整備され、観光施設だけでなくホテルやビルなども立ち並び、商店もひしめく街へと変貌を遂げました。この炭鉱と観光と不動産と中国との国境貿易などで財を成した成金達をターゲットにしたのが、この高級住宅街です。予定では190棟の源泉掛け流しの野外露天風呂を持つ住宅が造られます。スーパー銭湯も併設され既に営業しています。住宅は五種類あり最低価格が約一億五千万円ですが既に半数が売れたと聞きました。スーパー銭湯はビュッフェ付で一人約一万円です。

皆様はこれが今のベトナムなのかと意外に思われるかも知れません。反戦や平和運動、北爆やジェノサイド、サイゴン解放といった当時の状況を知っている世代なら尚更だと思います。もちろん多くの一般市民はまだ貧しく、大きな格差社会になっています。

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堀 庸師 堀 庸師

1960年生まれ 1982年 金沢美術大学彫刻学科卒業 1989年 ベオグラード大学純粋美術学部彫刻科修士課程卒業 日本、ユーゴスラビア、ベトナムやその他各国の展覧会やシンポジウムに参加し個展も開催する。 2008年ベトナム政府から文化勲章

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