第1回 ベトナムと彫刻、日本庭園
国際ベトナムでは1986年にドイモイ(刷新)政策が発表されました。以降主に経済の自由化と解放が重点政策として行われ、医療、教育、福祉といった分野の予算は大きく削られました。91年の憲法改正では「段階的社会主義」が明記されました。これは言い換えれば「将来的に社会主義を目指します。まずは資本主義から始めます」と宣言したと言えると思います。
95年アメリカとも国交回復し、全方位外交を行い、積極的に外国投資を誘致していきます。アメリカの北爆も、韓国軍による虐殺も、日本統治下での数百万人餓死も、フランスや中国による甚大な侵略による被害も、学校では教えても、対外的に話すことは暗黙のタブーとなっているようです。
それはベトナムの人々は過去の歴史をしっかりと伝えていくと同時に、もっと豊かな生活を得るためには、現実的に前を向き、したたかに対応しなければという考えからだと思います。
日本とベトナムの近年の関係では村山、小渕、小泉、橋本、鳩山、菅、安倍、菅といった歴代首相はじめ日本・ベトナム両国の首脳や要人が年中行事のように相互訪問し、文化や経済交流なども含めて、両国の友好関係や経済関係は現在強い繋がりを見せています。またベトナムは、いろいろな分野の法律の顧問をベトナムに招き、法整備を進めています。こういったことから、日本を最高のパートナーとして、そしてモデルとしているのが見てとれます。日本製品への信頼や日本志向も高く、先の高級住宅も、日本の大手設計会社による日本仕様で、私が造る庭も日本庭園です。
このように日本を始め世界各国に広く門戸を開き、関係を深めるベトナムですが、ここで安全保障問題について敢えて少し考えたいと思います。世界最強のアメリカを打ち破ったあのベトコン(ベトミン)が近年ASEAN(アセアン)とも一緒になって、米軍と軍事演習をしている事をご存じでしょうか。
これは南シナ海に進出する中国に対抗した国防政策と言えます。ただここで言いたいのは、フィリピンが2015年から一部再び自国内の基地を米軍に使用させ始めましたが、ベトナムはじめ他のアセアン諸国はそれをさせていない、という事です。その理由は簡単です。民族の独立と自由は多くの闘いと犠牲の上に勝ち取ったものだからです。
国内に他国の軍事基地がある事は、他国に従属している事を意味します。その基地から他国の軍隊が外国に戦争を仕掛けた場合、その基地を貸し与え、或いは占領された国も参戦したことになり、また加害者になります。日本はアメリカに加担したことで、日本本土や沖縄からベトナムにB29が飛ばされ北爆し、軍人や戦車、砲弾が運ばれました。
1960年生まれ 1982年 金沢美術大学彫刻学科卒業 1989年 ベオグラード大学純粋美術学部彫刻科修士課程卒業 日本、ユーゴスラビア、ベトナムやその他各国の展覧会やシンポジウムに参加し個展も開催する。 2008年ベトナム政府から文化勲章