【連載】塩原俊彦の国際情勢を読む

対ロ制裁によるロシア経済への影響について〈上〉:不勉強な日本のマスコミに喝

塩原俊彦

「ロシアへの経済制裁は必ずしも効果を上げていないようです」という一文ではじまる記事(https://news.yahoo.co.jp/articles/abf57afda881c7d51a26d8fd2ab0230187d5dec3?page=1)がある。2022年11月25日にアップロードされたものだ。執筆者は、田村秀男という産経新聞特別記者、編集委員兼論説委員だ。

私は、拙著『プーチン3.0』や『ウクライナ3.0』のなかで、日本経済新聞の二人の編集委員の実名をあげて、彼らを批判したことがある。

今回は、田村なる人物の皮相な見方を批判しなければならない。ここでは、「対ロ制裁はロシア経済を苦しめており、その影響は深刻である」と主張したい。つまり、田村のいう「効果を上げていない」という見方とは180度違う。

まずは先行研究

学者であろうと、新聞記者であろうと、ある問題を考察する際には、先行研究を比較検討するというのが常道である。対ロ制裁がロシア経済に及ぼしている影響について考察するには、この問題について論じられている数々の論考を熟読することからはじめるのが基本だろう。

私は過去において、『ロシアの軍需産業』(岩波新書)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店)でロシアの軍事と経済のかかわりを分析したが、その際も、まず先行業績を徹底的に分析した。

 

こんな私からみると、対ロ制裁について論じている日本人の多くは、このもっとも基本的な学問への姿勢がまったくできていない。唯一、信頼できる研究は、2022年7月にまとめられたNIRAの報告書『ロシアのウクライナ侵攻』のなかで、田畑伸一郎が書いた「ロシアへの経済制裁とその影響―短期的変化と長期的展望―」くらいだろう(なお、この報告書にある松里公孝の「ウクライナ危機の起源」には、2014年2月の「クーデター」が触れられていない。不誠実きわまりない論文だと指摘しておきたい)。

海外に目を転じると、ウラジーミル・ミロフが書いた論文(下記の写真参照)およびイェール大学のジェフリー・ソネンフェルドらの論文(https://papers.ssrn.com/sol3/Delivery.cfm/SSRN_ID4179598_code3324709.pdf?abstractid=4167193&mirid=1)が役に立つ。

ウラジーミル・ミロフの論文の表紙   (出所)https://www.martenscentre.eu/wp-content/uploads/2022/11/Beyond-the-Headlines.pdf

 

ここでは、比較的最近になって公表された、この二つの論考を参考にしながら、対ロ制裁で深刻化するロシア経済の実態について考察してみたい。〈下〉では、9月21日の部分的動員導入以降のより深刻化するロシア経済を中心に論じる。

ソネンフェルドらの論文:「表面下ではすでに深刻な緊張状態」

まず、ソネンフェルドらの論文を紹介したい。彼らはまず、ロシア経済の状況判断が困難になっている点を率直に確認している。第一に、ロシアの経済発表は、「有利な統計はそのままに、不利な統計を選択的に捨て、部分的で、不完全なものを選ぶようになってきている」というのだ。

とくにヨーロッパとの輸出入に関するものを含むすべての対外貿易データ、石油・ガスの月次生産量データ、商品輸出量、資本流入・流出、主要企業の財務諸表、中央銀行のマネタリーベースデータ、外国直接投資データ、貸出・融資実行データ、その他信用供与に関するデータなど、戦前は月次で更新されていた経済指標の一部をロシア政府はもう公開していない。

第二に、公表された有利な統計でさえ疑わしいと指摘されている。政治的圧力で、より有利な数値に化粧されている可能性が捨てきれないのだ。第三に、ほとんどすべてのバラ色の予測や予想は、最近の数週間、数カ月の最新の数字ではなく、制裁や事業撤退が完全に効いていなかった侵攻後の初期の経済発表をもとに作成された結果であり、合理性に欠けるという。

こうした困難な状況にあることを踏まえたうえで、ソネンフェルドらの論文では、「経済活動の指標をマクロ経済学的に詳細に分析すると、ロシアの商品輸出は、石油やガスの輸出から得られるエネルギー収入に限らず、商品複合体全体にわたって、表面下ではすでに深刻な緊張状態にあり、西側よりもロシアにはるかに大きな打撃を与えていることがわかる」と指摘されている。

興味深いのは、輸入減少がロシア経済のボトルネックを示している点である。論文では、「ロシアへの輸入の流れは、侵攻後数カ月で大きく減速している。ロシアの主要貿易相手国からの貿易データ(クレムリンはもはや独自の輸入データを発表していないため)を見てみると、ロシアの輸入は侵攻後の最初の数カ月で50%以上減少していることがわかる」と記されている。

欧米諸国の対ロ輸出禁止措置などによって、ロシアの輸入が減少したのだが、これに対して、ロシアは輸入代替の促進や並行輸入の解禁などによって対処しようとしている。しかし、海外からの輸入品のうち、ベアリングをはじめとする工業製品や、各種ソフトウェアの代替品を開発するのは簡単ではない。その結果、ロシアの製造業は窮地に立たされている。

頼みの中国からの輸入にしても、必ずしも十分ではない。「実際、中国の貿易データを詳細に管理し、個々の貿易相手国への輸出を細かく分類している中国税関総署の最近の月次発表によると、中国の対ロ輸出は年初から4月にかけて50%激減し、2021年末には毎月80億ドルを超えていたのが、4月には40億ドル以下に落ち込んでいる」と述べられている。

米国による対中二次制裁を恐れて、中国はロシアとの貿易だけでなく、対ロ融資などにも慎重姿勢を崩していないのだ。

長期的な経済見通しとして、ソネンフェルドらの論文が指摘しているのは、貿易収支の悪化と国内経済の低迷に加えて、①ロシアからのビジネス逃避、②ロシアからの資本逃避、③ロシアからの人口逃避の三重苦である。

イェール大学は、ロシアによるウクライナ侵攻後、世界中の約1500社の公的・民間企業の対応追跡調査で有名だ。その結果、1000社以上が、国際制裁で法的に求められる最低限のレベルを超えて、ロシアでの事業を自主的に縮小していることがわかっている(論文「企業がロシアから撤退するのは得策」[https://papers.ssrn.com/sol3/Delivery.cfm/SSRN_ID4112885_code3324709.pdf?abstractid=4112885&mirid=1]を参照)。

このリストが最初に発表された2月28日の週には、ロシアからの撤退を発表した企業は数十社に過ぎなかったが、5月に公表された前述の論文では、「約1000社が国際制裁で法的に求められる最低限の水準を超えて、ロシアでの事業をある程度自主的に縮小していることを公表している」と指摘されている。

さらに、ソネンフェルドらの論文では、1000社を超える企業の撤退を追跡した独自のデータベースによると、これら1000社のロシアでの売上高とロシアへの投資額は合わせて6000億ドルを超え、ロシアの国内総生産(GDP)の約40%に相当する驚くべき数値であることがわかったという。

さらに、これらの企業は合計で100万人を超えるロシア人現地スタッフを雇用していることがわかったとされており、こうしたビジネス逃避がロシア経済に大きな打撃を与えたと考えられる。

ミロフ論文:深刻な製造業、小売業も縮小

つぎにミロフ論文を紹介したい。彼はまず、「制裁の効果をどう測定するか?」と問うている。ロシアのマクロ経済指標は小幅な経済収縮しか示していないというのが通説となっている。

公式データによれば、2022年の9カ月後のGDPは年率2%の減少にとどまり、連邦予算は少なくとも9月末までは黒字を示しており、モスクワ証券取引所でルーブルは名目上強くなっている。ゆえに、「制裁が効いていない」と主張することもできる。

だが、ミロフは「よく見ると、おそらくそうではない」と書いている。実際には、「軍事費と製造業の急増によって深刻に歪められたはずの公式GDPの数字よりもはるかに深い経済収縮を示している」というのが彼の見立てだ。

彼が注目するのは、ロシア連邦予算の非石油・ガス収入(NOGR)、つまり石油・ガス輸出に関連しないすべての税金と収入である。

NOGRの重要な構成要素は、付加価値税と法人税(NOGRの70%以上)の連邦負担分による収入である。NOGRは、実際の経済活動の貴重な指標であるだけでなく、企業が経験する財務上および経営上の困難を示すという点でも非常に重要な指標ということになる。

ロシア財務省の発表によると、2022年の9カ月間の石油・ガス以外の連邦収入総額は、2021年の同じ9カ月間と比較して4.3%減少した。

2021年、2020年のNOGRはそれぞれ前年比15.8%、15.3%増であった。非石油・ガス収入の縮小は、2022年の最初の8カ月間に公式に報告されたGDPの小幅な1.5%の減少よりも、経済活動の縮小がはるかに大きいことを示唆している、とミロフは判断している。

さらに、小売業と運輸業の売上高の落ち込みも経済収縮の深刻さを示しているという。小売業は4月に前年同月比9.8%減となり、その後も改善は見られず、7~8月には前年同月比9%減となった。

10月初旬、プーチン大統領は、9月21日に軍事動員を発表して以来、小売業がさらに急落していると公に不満を表明したことも重要だろう。他方で、運輸業の売上高は、4~5月は前年同期比1~2%減だったが、7~8月には年率4~5%減、9月には7%超に悪化しているのだ。

 

1 2
塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ