第8回 北極圏250kmを走ってアフガニスタン緊急人道支援―ラップランドのアドベンチャーレースに挑戦した相澤依里さんに聞く―
社会・経済――一番楽しかったことは。
相澤――楽しいことはたくさんありましたが、キャンプ地での交流が良い思い出になりました。昼間は走りますが、夜は設営されたキャンプ地でテントに寝泊まりします。夕食後、他の参加者と過ごす時間が何とも言えず、楽しかったです。
――一番苦しかったことは。
相澤――レース中、3日目の30キロ地点を超えた頃が、精神的に一番苦しかったです。すでに2日走ったので、体力が落ちてきています。翌日は40キロ、その後に80キロがあると思うと、「こんなに辛いのに、明日も走るのか」と思うと不安になって、怖かったです。「なんでこんな所に来ちゃたんだろう」と思うと涙が出ました。
私だけでなく、他にも突然泣き出す人がいました。足が痛くて座り込んでいる人もいました。お互い声をかけて励まし合いながら、次に進みます。チェックポイントでもスタッフが励ましてくれます。
――ゴールした時はどんな思いでしたか。
相澤――86㎞を2日間(5,6日目)かけて走るナイトレースが一番の正念場だと考えていたため、これを終えた時に「乗り越えられた。終わった!」とほっとしてしまいました。最終日は12キロしかなかったので、12キロなら走れる、大丈夫とわかっていましたから、個人的には6日目を完走できて、達成感を持って、「よし、よくやった」などと思っていました。
でも、最終日になると、やっぱり「ああ、本当にこれで完走できたんだ」と実感できて、日本の方にも良い報告ができるので、安心しました。
陸上スポーツの経験もなく、登山経験もないのに、先輩ランナーに教わって練習を始めました。羊蹄山まで練習に行ったり、辛い時期もありました。皆さんに助けてもらってできたことだと思います。
・RAWAとの出会い
――RAWAと連帯する会会員ですが、同時に北海道パレスチナ医療奉仕団のメンバーでもあるということです。アフガニスタンやパレスチナとの出会いは。
相澤――2018年にパレスチナ医療奉仕団の講演会が札幌で開かれて、初めて聞きに行きました。2013年に一人でイスラエルに旅行したことがあります。その時は、そこはイスラエルだとしか思っていなくて、パレスチナのことは何も知りませんでした。
その講演会以来、清末さんからパレスチナやアフガニスタンのことを伺うようになりました。その中でRAWAのこと、RAWAと連帯する会のことを知りました。アフガニスタンについてはペシャワール会の中村哲さんのことは少し知っていましたが、RAWAの話を聞くと、女性たちがどんな状況で、どうやって闘っているのか、同じ女性としてとても強く関心を持つようになりました。
――RAWAの女性たちの活動について感想をお願いします。
相澤――誰も代わることのできない活動をしている女性たちです。教育にしても食糧支援にしても、他のNGOや国際団体がいろんな努力をしていると思いますが、現地でアフガニスタン女性が立ち上がっていることはほとんど知られていません。彼女たちにしか伝えられないことを、本当に危険な状況の中で活動しているのは本当にすごいことです。日本の女性が学ばなければならないことがあると知りました。
――次は何をしたいですか。2023年のレースはヨルダンですか。
相澤――辛い時には「二度とごめんだ」と思いましたが、あの素晴らしい体験は、やはり、もう一度と思います。楽しかったことも多いですし、完走できましたが、最後は歩いてのゴールになったのが悔しかったので、次は走ってゴールしたいです。
ウルトラマラソンはいろんな大会が続くので、2023年のヨルダンは無理ですが、4つの砂漠のシリーズです。私も4つの砂漠を全部走れたら良いなと思います。
アフガニスタンも行ったことがないので、レースとは別に、アフガニスタンに行ってRAWAの女性たちにも会ってみたいです。
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(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。